鉛弾と魔法のシンギュラリティ

原 六波羅

第1話 パープルヘイズ

「お嬢ちゃん、コーヒーは飲めるかい?」


 羽柴葉はしばは大きな白いテーブルの向こうにちょこんと座ている少女に語り掛ける。それに対して少女は黙って首を横に振った。


「それは、残念」


 狭い部屋の中に銃声が響いた。

 赤く染まってしまったテーブルの上にはコーヒーカップが二つと無数の紫色のガラス片が転がっていた。


「今度はコーヒーじゃなくグレープフルーツジュースにすべきだな」

「だめです。そんなことしたら羽柴葉さんグレープフルーツジュースにウォッカ入れて呑みはじめるでしょう?」


 誰にも聞こえないようつぶやくと、どこからかノイズの混じったような声がする。


「それこそダメだ。カクテルを作るには塩が足りんよ。塩が」


 そう言いながらドアを乱暴に開ける羽柴葉はかなり不機嫌そうだった。


「だってそうだろう? 我々は飼いならされた狩猟犬グレイハウンドではなく誉れ高き甲板員ソルティドッグなのだから、さ」
















 今朝の羽柴葉は恐ろしいほどに苛立っていた。髪の毛は心なしか逆立っているようにも見えるし、喉元の血管はくっきりと浮き出てはちきれそうだった。


「落ち着け、お前だって大人だう」

「なぁ、オッサンなら分かるだろ?」

「以後オッサンじゃなくて尾田おだと呼ぶように。それができないなら減給だ」


 オッサンと呼ばれてる彼の名前は尾田。尾田は羽柴葉よりかなり年上でオッサンではなくオジイチャンと呼ばれてもおかしくない見た目だが、迷彩服の上からでも分かるその体格の良さは羽柴葉にも劣らない。


「今回の回収任務が自衛隊と共同ってのは百歩譲っていいとしよう。ガッチガチの緘口令かんこうれい、そもそも回収対象のデータなし、それなのに奇襲用の軽装で敵陣に突っ込めと上は言ってるわけだ」

「愚痴は終わってから聞こう。さあ、作戦開始だ」


 羽柴葉は心底めんどくさそうに「へいへい」と返事をすると、ボディアーマーを装着し、トラックの助手席に乗り込んだ。運転席には尾田、荷台には三人の自衛隊員がすでに乗り込んでいた。


 トラックは簡易的なゲートをくぐり抜けると林道へ入っていった。林道は長年放置されていたせいかアスファルトに大きな亀裂が入り、瓦礫が散乱していた。路肩にちらほら見える民家はほとんど半壊、あるいは全壊していて、伸び放題の草木が日差しを遮るので瓦礫も道もすべてが黒ずんで見えた。


 しばらくトラックを走らせていると道がしだいに細くなっていった。獣道のような舗装されていない道にはいってすぐに、目の前に小ぶりな崖が現れた。


「ここからは徒歩だな、手短にいこう」

「崖を上るのか」

「向こうに古いハイキングコースがあるらしい。迂回する」


 しぶしぶハイキングコースとは名ばかりの急斜面を上り、無事崖の上までたどり着いた。これはなかなか足腰に負担がかかる。

 崖の上からは日の光を遮る鬱陶しい木と地を這うようにびっしりと生えた草や苔、それにところどころむき出しになった岩や土しか見えなかった。


 しかし羽柴葉はすぐに理解した。自分たちが見ているのは小さな盆地、いってしまえばクレーターであり、自分達はその淵に立っていると。その中心が今回指定された座標。つまり回収対象が鎮座している場所だと。

 地形は完全に把握した。しかし違和感もあった。移動している間に『敵』に一度も遭遇しなかったこと。それを見越したかのような装備、人選。具体的に言うならば、後方支援が主な任務の自衛隊が今回は最前線のさらにその先まで出しゃばってきたこと。考えてみればすべてが怪しかった。


「行こう、早めに終わらせたい。奇襲を受けるまえに」

「賛成だ。この静かさは不気味すぎる。なぁ?」


 尾田は自衛隊員のほうを見て賛同を求めたが彼らは不愛想に首を縦に振るだけだった。見るからに緊張していた。初めての敵陣への進攻に怖気づいているのか、それとも羽柴葉や尾田に後ろから撃たれることを恐れているのかまではわからないが。

 羽柴葉や尾田も緊張はしていた。彼らとは場数の多さからして違うが、だからこそこの静けさが不気味でたまらなかったし、自衛隊員が我々を消すために送り込まれたのではないかと思うと悪寒がはしった。


 その後も『敵』とは一度も遭遇しなかった。そのおかげで羽柴葉たちはスムーズにクレーターの淵から降り、まっすぐに中心部を目指すことができた。

 しかし中心に近づくにつれ耳鳴りが酷くなっていく。すると耳鳴りとともにガラスとガラスがぶつかったり擦れたりするような音が辺りに響く。


「敵だ。歩哨ほしょうか。オッチ…尾田、仕留められるか」

「足音を聞くに一体だけ。いける」

「よしいこう。自衛隊の人、あれがゴーレム。よく見ておいて」


 尾田は腰の鞘からなたを抜き、木の後ろに身を隠しつつ前進する。

 その先には人影がある。全身が紫色の結晶でできた化け物、ゴーレム。


 ゴーレムは体の大半が紫色のガラスやクリスタルに近い物質で構成されており、人に比べて肥大化した両手の爪で人を襲い、時に喰らうことすらあるという化け物だ。ある日突如現れたこの結晶生命体は伊豆半島いずはんとう全域を占拠、その後三浦半島みうらはんとうの南部を占拠し北上するも自衛隊、在日米軍などがそれを阻止、防衛拠点を築き、現在は徐々に占拠された土地を奪還しつつある。


 ゴーレムに対しては近接戦闘が好ましいとされている。理由は多々あるが、対ゴーレム用の武器を使えば比較的容易に破壊できること。聴力、視力があまり発達しておらず近距離での奇襲がしやすいため。銃撃戦より近接戦闘が隠密おんみつ性に優れるため。他にもいろいろあるが、何より対ゴーレム弾が高価なうえ使い捨てだから。という理由もある。弾を使い捨てるよりかは兵を使い捨てたほうが安価だとする声すらあった。

 とにかく、ゴーレムを破壊するためには近接戦闘に持ち込み隠密に、一撃で破壊するというのが基本だ。


 尾田も例に漏れずゴーレムに近づき、一撃で屠ってみせた。その後、尾田は緊張した面持ちで周囲を警戒していたがツメが甘かった。背後にもう一体ゴーレムが潜んでいたのだ。

 とっさに振りかざした鉈はゴーレムの胴体をかすめ左腕を切り落としたが致命傷には至らなかったようだ。振りかざされた鋭い爪が木漏れ日で照らされて不気味に輝く。

 しかしその直後に背後からの発砲音。ゴーレムは粉々になり、やがて紫色の靄になりどこかへ消えた。羽柴葉の放ったライフルの弾はゴーレムの胴の中心を貫いた。


「悪い、助かった!」

「いいから目標の回収急げ! 指定された座標まではそう遠くない!」


 いくら耳の悪いゴーレムといえど銃声には反応する。このままではゴーレムたちが集まりいずれ囲まれるだろう。その前に目標を回収し脱出する。それが最善の策だった。


「最悪のタイミングで情報が更新された! クソ野郎どもめ、そこまで隠し事がしたいなら自分で回収しやがれ!」


 クレーターの中心に全力で走っている最中に情報端末に新たな情報が送られてきた。



 回収対象:大型魔力結晶(原石)

 回収方法:結晶を測定した後、可能であれば破片の採取。

 備  考:大型魔力結晶の周囲を制圧することが前提となる。

     目標地点付近で回収部隊以外の人間を発見した場合射殺せよ。

     装備品を破棄する場合、鹵獲されることがないよう処理すること。

     回収部隊員が死傷した場合、回収、不可能な場合処理すること。

     この任務に関するすべての情報は規則に従い処理せよ。

     情報漏洩が発覚した場合、回収部隊全員が処分される。



「なるほど、機密情報の塊ってワケ」

「それより見えてるか? あれが大型魔力結晶ってヤツらしい。三メートルはあるぞ。でけぇな」


 そこには人の背丈二人分ほどはある大きな紫色の結晶が地面に埋もれていた。

 五人は周囲を警戒しつつ結晶に近づく。質感などはゴーレムとなんら変わらない。形は不規則ながらも美しい多角形が幾重にも連なり重なっている。あまりの美しさに見とれてしまいそうだった。


「デカい。こんなの初めて見た。これとゴーレムはどんな関係が?」

「いやぁ、説明しよう」


 どこからか声がする。五人は一斉に銃を構えるが声の主は姿を現さない。


「異世界の存在を君は信じるかね?」

「どうかな、地獄も異世界だっていうなら今すぐ連れてってやるよ。異世界マニアさんよ」

「地獄というより並行世界をイメージしてほしい」


 すると瞬きした瞬間に初老の男が姿を現す。ワイシャツを着ていていかにも普通のおじさんといった雰囲気だが油断ならない。ここは民間人はおろか軍の人間ですら踏み入れたことのない場所なのだから。


「五年ほど前、この世界と並行世界が衝突した。世界といっても概念だ。概念が衝突した。アルマゲドンとはちがう」

「クソッ、どこから」

「まぁ聞け。概念が衝突するとどうしても矛盾が生じる。例えるなら熱湯の中にある溶けない氷だ」


 羽柴葉は黙って男の眉間に銃を突きつける。


「この結晶は矛盾の塊なのさ。世界が矛盾で壊れないように最も安全な形で保管された矛盾さ」

「そうかい、ご高説どうも」


 辺りに銃声が響く。羽柴葉は血まみれだったが、表情一つ変えず初老の男の死体を足で退けた。


「任務続行だ。そこらへんに転がってる結晶のかけらを回収して撤退だ」

「羽柴葉くん羽柴葉くん、自衛隊の人ドン引きしてるよ? 表情には出してねぇけどさ」

「知るか。俺は死体を片付ける。ん、このおっさん。何か持ってやがる」


 次の瞬間、紫色の光が辺りを照らす。目も開けられないほどに強烈な光が瞼を貫通して眼球まで届いているのがよく分かった。

 やっとの思いで目を開けると、大型魔術結晶の表面が水面みなものように輝いていた。その揺らぎはどんどん大きくなり再び閃光が辺りを照らす。


「私は死んでも良いのだ。娘さえ生き返ればな」


 どこからか初老の男性の声がした。


「最後に良いことを教えてやろう。この結晶はご存知の通り様々な形に姿を変える。炎、雷、風、水、それは矛盾、不安定、不確定故に様々なものになれる」


 閃光は強くなるばかりで、意識が遠のくほどの強い耳鳴りに襲われる。


「ゆえに、ゆえにかのうなのだ。ひとのいのちさえつくれる。はんえいきゅうてきエネルギー! ゴーレムはそのしさくひんものにいのちをふきこむしさくひん」

「ひとのいのちつくるくうかんねじるねじれるわたしいにげられないいでもたすかうむすたすかわたしんしおあだつみあなきえむすかめあおいしっじゃてりっるああいああお





 瞼の裏側にまでびっしりと焼き付いた閃光と、止む事のない耳鳴りが羽柴葉を苦しめる。

 尾田は、ほかの人はどこだろうか。どうなってしまったのだろうか。考えようとしても頭が働かない。


 閃光が収まったと思うと体験したことがないような衝撃波が羽柴葉たちを襲った。あまりの強さに数メートル、あるいは十数メートルほど吹き飛ばされた。

 耳鳴りはさらに酷くなる。まるで耳から棒を入れられて、脳をかき混ぜられているようだ。


 しばらくしてやっと周りの景色が見えてくる。一面白か紫色か曖昧な霧のようなものがかかり、足元で尾田が倒れ、唸り声をあげていた。

 尾田をおこして肩をかして立たせると、霧が晴れてきてしだいに辺りの様子が見えてきた。

 生い茂っていた草や苔は軒並み蒸発し、木々は倒れ、土は不気味な色に染まっていた。例えるなら異世界。いや、地獄といったほうが適当かもしれない。


「あれはなんだ」


 尾田が掠れた声で柴葉の服の袖を引っ張る。

 尾田が指さす方向には浮遊する巨大な四角い影。その隣にはナイフのような形と大きさの影。巨大な影の奥には手足が不気味なほど長い二メートルほどの人型の影。


「なんだあの四角いの!?」

「壁、いや盾か?」


 その陰たちの正体に気がつくのに時間はかからなかった。もはや原型のない、迷彩服に包まれた死体を引きずり、一歩、また一歩と近づいてくる姿は見るものすべてに恐怖を植え付ける。


「あれは…本? 巨大な本にペン…? それにゴーレム。見たことがない形のゴーレム。えぐいな、死体二人前のオマケつきだ」

「ゴーレムの亜種ってのは何件か報告があるらしいがこんなの規格外だ」


 本とペンはゴーレムと同じ素材らしく、美しく透き通っていた。本には弾丸を受け止めても、刃物で斬りつけても傷一つつかないほどの厚みがある。ペンは羽根ペンのような形状で、ペン先は刀のような鋭さ、羽はファンタジーの大型剣のように叩き斬ることに特化した形状。ゴーレムはなんとか人型を留めているが手足が異様に長く、腕は鞭のようにしなり、足は堅牢かつ刺々しい。胴体と頭は強固そうな結晶の装甲がまとわりついている。これ以上に異形という言葉が似合うものはそうそうないだろう。


 正直に言って勝ち目がない。そう直感した。


「悪い、ちっと右が動かねぇ」

「寝てろ。マチェット借りるぞ」


 羽柴葉は尾田の腰の鞘から鉈を抜くとゆっくりと異形のゴーレムへ歩み寄る。右手でゆっくりと鉈を逆手から順手へ持ち変え、左手で腰のあたりにあるポーチの中を漁る。

 ポーチの中から取り出した小瓶を器用に片手で開けるとその中身をぐっと飲み干す。全身が一気に痺れるような錯覚。その後にじわじわと全身の血が騒ぎ出し、時の流れが遅くなっているように感じた。

 瓶の中身は有り体に言えばドラッグだ。即効性の高い逸品で、大きい戦闘の前にはこれを飲むのが羽柴葉なりの戦いとの向き合い方だった。

 右腕の端末を操作し、強化外骨格、パワースーツの出力を上げる。全身に走る痛みと締め付けられるような感覚。それすらも感じられないほどの痺れが柴葉を襲う。


「始めよう、お前もヤりたくてウズウズしてるんだろ。わかるとも!」


 そういうと羽柴葉は走り出した。歩幅は徐々に大きくなる。一メートル、一メートル三十、二メートル、滑空しているようにも見えるその動きは目で追う事すら難しいだろう。

 胸元めがけて一直線に飛んでくるペンの切っ先をいなす。左腰のベルトが千切れその下には血がにじむ。傷のことすら気にせずに羽柴葉はゴーレムの懐めがけて突っ込むがあと数歩のところで本が現れ、道を阻む。まるで空から壁が降ってきたかのようだった。すかさず鉈で本を斬りつける。が、鉈が本の厚みに耐えきれず曲がってしまった。使い物にならなくなった鉈を本に投げつけた後、拳銃で牽制しつつも距離を取り、右側へ回り込んだ。


 本の動きは機敏とは言えないが、盾としての役割はじゅうぶん果たしていて、なかなかゴーレムに攻撃は当てられない。だが接近戦まで持ち込めば本やペンは使えなくなるだろう。そうなると鞭のような腕や堅牢な脚が厄介なので先に破壊したい。しかし本が邪魔で銃弾すら届かない。長距での狙撃ならまだしも、中距離や接近戦では勝ち目がないようにも思えた。


 羽柴葉は腰から鉈を抜くと再び順手で構えた。今度は頭をめがけて飛んでくるペンを避け、本に斬りかかるが、やはり弾かれる。再び鉈を投げつけ、拳銃で牽制しながら右側へ回り込む。

 するとペンが羽柴葉の動きを先読みし襲いかかった。咄嗟にいなす態勢に入ったが僅かに間に合わず背中を強打した。運よく致命傷には至らなかったが柴葉の体は数メートル突き飛ばされ、外骨格のパーツが何点か脱落した。


 体がきしむ音がした。それは外骨格がきしむ音なのか、それとも自身の骨がきしむ音なのかはわからなかった。


 羽柴葉は右腕の端末を操作し、使い物にならなくなった外骨格を脱ぎ捨てる。四肢に取り付けられたパーツはがらがらと音を立てて落ちていき、背負っていたバッテリーはひときわ大きな音を立てて地面に落ちていった。

 その金属音に紛れて銃声が響く。本もペンも柴葉のほうを向いていた。がら空きのゴーレムの背中に銃弾が数発のめりこむ。


「利き腕潰れてるんだ。勘弁してくれ」

「もう少し遅けりゃ死んでたぜ、オッチャン!」


 遠くには尾田が這いつくばりながら羽柴葉のライフルを構えていた。


 羽柴葉は二回、ゴーレムに攻撃した後右へ回り込んだ。その度にゴーレムは柴葉のほうを向き攻撃したので結果的に尾田がいる方向に背を向ける形となった。


 ゴーレムの左腕の肘から下を撃ち落とし、胴を覆っていた装甲はその衝撃で崩れ落ちた。ゴーレムにしては華奢きゃしゃな胴体が露になった。


「ガラ空きだ、とどめ!」


 外骨格無しとは思えない人間離れしたスピードで間合いを詰める。懐に入り込み首元にナイフを突き刺し左手でそれを押し込む。


 おかしい。


 なにかがおかしい。


 羽柴葉は違和感を感じた。違和感の理由、透明な装甲とそうでない部分。華奢な体。かすかに漏れる声。装甲の隙間からみえた苦悶に満ちた表情。


 喉から溢れ出る血。


「こいつ、にんげ」


 少しの間だった。たった少し、羽柴葉が手から力を抜いた瞬間に、ゴーレムの右腕がしなり、柴葉の体を締め上げた。


 羽柴葉は人を殺すことを躊躇ためらったことがなかった。たいていの場合、躊躇う前に殺していたし、自分が生きるためだと割り切って考えていたからだ。しかし今回は違った。躊躇ってしまった。無垢な少女に似た顔が歪む姿を見て、初めて、ほんの少しだけ躊躇ってしまった。


 締め上げられた羽柴葉は意識を失いかけていた。ぎりぎりと音を立て、締め上げる力は少しずつ、だが確実に強まっていく。


 そうだ、抜け出さなければやられる。殺さなければ殺される。躊躇ってはいけない。


 羽柴葉は何か聞いたことのないような単語を数個、誰にも聞こえないような声で呟いた。

 突如、羽柴葉を締め上げていた腕の至る所から火花が散る。何かがショートしたような音となにか焦げたような臭いが辺りに広がる。

 ほんの少しだけ締め付けが緩んだ瞬間、無理やり左腕を引き出し、握りこぶしをゴーレムに向かって振りかざす。


「儀式、開始、介入、改竄、解放。火炎」


 再び羽柴葉が呟くと、握りこぶしが光りだす。程なくして強烈な爆発がゴーレムを襲った。羽柴葉を拘束していた腕は消し飛び、顔や足の装甲も剥がれ落ちた。ゴーレムは力尽き、動けなくなったようだった。

 拘束を解かれた羽柴葉はその場に倒れこんだが、すでに事切れていたようだった。爆発のせいで左手は原型を残しておらず、全身が傷だらけで、滲んだ血で服がところどころ赤く染まっていた。


「羽柴葉!」


 尾田が声を荒らげる。

 それに気が付いたゴーレムは再び動き始める。尾田のいる方向にゆっくり振り向くと一歩ずつ、よろけながらも進んでいく。


「カワイイ顔してコレかよ。バケモノだぜ」


 諦めたのか、あるいは目の前の現実を受け止められなかったのか、尾田は半笑いでライフルを構え、そして撃った。本が素早くゴーレムの前に回り込み銃弾を受け止める。

 ライフルの弾が切れるころにはゴーレムは尾田にかなり近づき、もはや逃げられないと尾田は悟った。


 ゴーレムが唸ると本が開く。ゴーレムが再び唸ると本が輝きだす。しかしその輝きはすぐに収まり、本は閉じた。


「ツメが甘い」


 ゴーレムの背後には拳銃を突きつける羽柴葉の姿があった。


「遅かったじゃねぇか」

「お互い様だ」


 辺りに銃声が響く。


 ゴーレムは力尽き、本とペンは砕けけ散って紫色の霧になりどこかへ消えてしまった。


 尾田と羽柴葉は拳を互いに軽くぶつけ合い、勝利を喜びあった。安心しきったのか羽柴葉はその場で倒れてしまった。意識はあったが立ち上がることはおろか指一本すら動かせなかった。


「さて、片付けだ。羽柴葉もツメが甘いからなぁ」


 面倒くさそうに立ち上がり、ボロボロの布をちぎり紐を作る尾田の姿を、羽柴葉は意識が遠のく中見ていた。

 その後、途切れ途切れになる意識の中、尾田何かを指さし「こういうのが好きなのか」と茶化してきたので、「横浜の風俗へいこう」と支離滅裂な返しをした辺りから記憶がない。今思えば、なぜあんな事をしてしまったのか、見当がつかない。本当に、ツメが甘い。




 羽柴葉、尾田両名が救出されたのは救助要請の連絡を受けてから実に十二時間後、夜間の捜索が打ち切られる直前、仮設三島みしま第四拠点周辺の林道にて自衛隊所属のヘリコプターが人影を発見、救出した。

 羽柴葉が左腕切断、各部裂傷れっしょう、左足骨折、全身に原因不明(おそらく感電)の火傷の重症。尾田は右肩脱臼、右腕骨折、各部裂傷の重症、 自衛隊員の碓氷うすいは軽症、生還した自衛隊員は碓氷一名のみ。小野田おのだ村上むらかみは死亡。ただし尾田が遺品と遺体の一部を回収。その後遺族に引き取られたとのこと。

 仮設三島第四拠点の医療施設は建設中であったため、米軍沼津ぬまづベース内で応急処置を受けたのち、特に重症であった羽柴葉は御殿場ごてんば自衛隊病院にて本格的な治療を行った。

 羽柴葉は左腕を切断した後、本人が完治まで時間がかかる再生療法を拒否、米国から支給された義手を装着、結合さる治療法を選び、一刻も早い職場への復帰を望んだ。

 尾田は右腕の脱臼と骨折の治療を受け、恐るべきスピードでの回復を見せたが精密検査前のアルコールの摂取や病室からの脱走などの問題行為が相次ぎ、一週間ほどで横須賀米軍総合病院に移動となった。

 碓氷は外傷こそ軽症であったものの、精神的なショックが大きく、最前線への復帰は難しいとされた。しばらく療養を行った後に横須賀よこすかで再び最前線に立つか、北九州の支部での後方支援、あるいは退職か、選択させられるという。

 今回の一件で死亡した二名の遺物と遺体のほかに、尾田が数点物資を回収した。魔力結晶の破片、通常のゴーレム、その装甲の破片、血液、血液が付着したナイフなどを回収し、持ち帰った。大多数は静岡県内で保存、研究されるが、残りの数点は横須賀に輸送された後に研究、安全が確認され次第前線へ配備される。

 本件は一般では報道されず、また自衛隊、米軍内でも機密扱いとなる。今回の一件を受けて、計画段階で凍結されていた特殊部隊が米国で結成、日本、横須賀へ派遣をする事が決定した。

 


「おいお前どういう事だ」

「うん、酔って看護師を襲ったのが決め手だと思う」

「それで飛ばされたのか!?」

「うん、横須賀は男ばっかりだった。筋肉モリモリの。アーノルド・シュワルツェネッガーみたいなの」

「それホントに病院だったのか?」

「いんや、アレはベッドつきのトレーニングジムだったな」

「そうかい。さ、そろそろタクシーでも拾って行くぞ」



「すいません、黄金町こがねちょうの駅まで、お願いします」

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鉛弾と魔法のシンギュラリティ 原 六波羅 @hara-rokuhara

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