10.手助けのタイミング

 ぶつぶつ、と素早く力のある単語を並べるチェスター。これは見た事がある。戦闘時、イアンもよく使う詠唱魔法の類だ。とはいえ、魔法には詳しくないのでその文言から何が繰り出されるのかは不明だが。

 当然、魔法を撃たせるつもりも無いのでタガーを片手に距離を詰める。それを見透かしていたかのように、チェスターの手の中に剣が出現した。


 下段から上段へ、振り上げるような一閃に仰け反りながらもそれを躱す。太刀筋、構え共にド素人ではない。とはいえ、剣士職と言う程でも無い。あくまで魔法の補助として剣技を扱うような気安さか。

 ボンボンのお貴族様かと思っていたが、昼戦時の対策をきちんと持っている。必要最低限、使う物だけを選んで。


「館は燃やしたくないな。今更だが、お前は冷凍に強いのだったか?」

「……あのな。一応言っておくが、多少頑丈とは言え、ベースは人間だぞ!」

「そうか」


 吸血鬼の周囲には無数の氷の矢が浮遊している。それが室内に出現したと同時、室内の気温がぐっと下がった。魔法というやつはこれだから――


 心中で文句を吐いていると、まったく唐突にそれらが飛来してきた。真横に跳び、それでも躱せなかった氷の刃をタガーで弾き落とす。意外な事に、刃は凍り付くこと無く氷の矢を弾き落とし、代わりに着弾した床を氷付けにした。


「興味深いな。刃を使えなくしてしまえば、私へ通る攻撃にはならぬと思ったが――魔法も効かんか。その希有さ、メイヴィスの遺物に違い無い。思わぬ戦利品が手に入りそうだな」

「あんた、それは手に入れてから言うべきじゃないのか」

「忘れたのか。ここは私の館だぞ。お前一人の攻撃が通るからと言ってどうという事は無い。他に対しては、違わず無敵である」

「おい、魔道国だ、つってんだろ。あんた帝国側じゃなかったか」

「人間とは力に靡く生き物だな」

「はぁ?」


 視界がブレる。黒い粒子が舞ったかと思えば、すぐ目の前にチェスターの姿があった。思いも寄らない距離に反応が遅れる。

 振るった腕が宙を掻いた。

 我ながら絶好の隙を作ってしまったが、チェスターはそこを突いては来ない。見れば、彼が伸ばしてきた右腕は中程からすっぱりと断ち切られていた。


 にやにや、愉快そうに笑ったチェスターが再び粒子のように散り、そして離れた所に集合した。取れたはずの腕がくっついているのが分かる。


「おや、睡眠時間はもう要らないのかね?」

「最初から眠ってなどいませんでした。というか、今何時だと思っているのですか? ああ、ご老人の朝は早いですからね。仕方ありませんね」


 部屋の入り口に立っているのは言うまでもなくイアンだった。薄い笑みを浮かべて佇む姿に、不覚にも安堵という感情が込み上げて来る。敵に回れば恐ろしい事この上無いが、味方であれば心強い。

 床から、先程チェスターが立っていた所まで一直線に深い傷が刻まれている。今、チェスターの腕を飛ばしたのは間違い無く彼女だろう。


 挨拶が遅れました、とイアンが表面上はにこやかに微笑む。


「おはようございます、チェスター大佐。連日、私のしでかした事件の処理に追われているようで。お疲れ様です」

「よく動く口だな。そこの彼にも提案したが、一応お前にも提案しよう。戻って来る気はないのかね? バルバラの件ならば私が処理するが」

「お断り致します」

「だろうな。残念だ、心の底からそう思うとも」

「逆の提案を致しましょうか? 貴方が我々と来ればよろしいのでは? 吸血鬼――本来、人間に飼われるべき存在では無いでしょう?」


 ここで初めてチェスターが疑問の浮き彫りになった表情を浮かべた。何か苦々しいものを見るような、同時に得体の知れない生き物をみるような。そんな目である。


「それは何を企んでの発言なのかを訊いておこうか」

「はあ、特に何も考えてはいませんけれど。帝国の方々とはそりが全く合いませんでしたが、強いて言うのであれば貴方とは存外気があっていたような、錯覚? さえ覚えていますし」

「まさに錯覚だな。私はまるでお前に懐古的な感情は覚えない」

「ですよね。でも、貴方を一目見た時から何故か旧い知り合いにでも会ったような気分でしたよ、私は」

「何を馬鹿な、記憶障害だと宣っていただろうに。そもそも、哀愁を覚えるような相手の腕を平気で飛ばすような知り合いなぞ、私は要らんな」

「全くですね」


 くすくす、と笑みを漏らしたイアン。口では懐かしさを覚えるような発言をしていたが、戦闘に対して手を緩める気は毛頭無いらしい。手に持った杖が自立的に術式を編み上げていくのが見える。術式が完成する間に世間話をしていたかのような体だ。

 ともあれ、自身のタガーの情報を共有すべきだ。一応、タガーという有効手段はあるがそれ以外はきっと暖簾に腕押し。まさに幽鬼のように攻撃を擦り抜けてしまう事だろう。


「イアン! 何故か俺のタガーは奴を傷付ける事が出来る。これを中心に戦った方が良い」

「いや、結構前から見ていました」

「早く助けに来てくれ、頼むから!!」


 すいません、と酷く口先だけの謝罪の言葉を頂いた。

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