【無料試し読み】結城光流『その冥がりに、華の咲く 陰陽師・安倍晴明』

KADOKAWA文芸

第一章_1




 夢を、見る。

 このくらがりに、はなの。






    一





 嗚呼ああわざわいだ、禍だ。

 冥がりを呼ぶ禍だ。



 この禍が華を呼ぶ。

 かの冥がりを。かの華を。

 あれはやみを好む華。あれは闇に呼ばるる華よ。

 闇をいだけばられる。からられてとらわれちる。

 堕ちれば華にくされて、冥がりの底にしずみゆく。



 嗚呼、禍だ。禍だ。



 人にもにも成れぬ者。

 お前こそが、禍だ。





  ◇ ◇ ◇





 平安の都は、夜ともなればあかりひとつない真の闇にみ込まれる。

 よいの空は、厚い雲におおわれて、手にした松明たいまつの灯りがなければ、いつすん先も見通すことはできないだろう。

 そんな、月も星も見えない夜の都大路を、ひとりの青年が静かに歩いていた。

 松明もしよくも持たないというのに、その足取りは危なげなく、まるで世界を見通せているかのようにしっかりとしたものだ。

 くつの先が石をり、かつっと音がした。

 ころころと転がった石は、やがて何かにぶつかったのか、急に止まった。

 暗闇の中に、闇より黒い小さなかげがある。

 青年は足を止めた。

 止まった石をのぞき込むように、影がのびあがり、しばらくそうしていたあとで、ついと蹴り返してきた。

 青年の足に小石が当たる。

 きゃらきゃらとかんだかい笑い声がして、影はするりと土中に沈み消えた。

「……まったく」

 青年はたんそくして、小さくうなった。

 あちこちに、小さな影がある。

 そしてその向こうに、それより大きな影が、ちらちらとおどるようにうごめきながら、青年を見ている。

 歩き出そうとした彼の、かりばかますそを、何かがくいと引いた。

「おい、せいめい

 見下ろせば、土かられ木のようなうでがのび出して、裾をつかんでいた。

「なにやら都のあちこちがさわがしい。お前のせいだろう」

 土中にひそんだままだったそれが、魚が水面みなもに顔を覗かせるかのようにして、するりと姿を見せた。

 小さな水干をまとったそれは、首から上が守宮やもりだ。いずこかのやしきの守宮が、なんらかの力を得てへんしたものだろう。

 守宮は土からあがると、水干のほこりはらった。

「騒ぎをしずめろ。我が邸の周りでも、おんやからが踊っている。あれらが入ってきたら、邸の者らがおそろしがる」

 青年はかたをすくめた。

「どうして私が」

「お前のせいだからよ」

 大きな目をきょろりとさせて、守宮は青年の背後をわたすようにした。

「お前のせいだし、お前の周りにいるやつらのせいだからよ」

 青年は守宮につられたように、自分の周りにただよっているいくつかの気配に目をやった。

 さわりと動くそれらは、決してしきものではない。悪しきものではないが、善きものであるかといえば、そうとも言えない。少なくとも、いまの青年にとっては。

 そうして守宮は、そでぐちから枯れ木のような手をのばし、青年を指差した。

「この百年近く静かだった都の冥がりに、お前が禍を落とし込んだ」

 水面に石を落とせば、大きなもんが何重にも広がっていく。石が大きく重ければ重いほど、水はふるえ、らめき、れるのだ。

「禍……?」

 ろんげにまゆを寄せる青年に、守宮は低く唸る。

「絶えずおののく声がする。───嗚呼、禍だ。禍だ」

 そして、あのおそろしい華の開く気配が。

 ずっと冥がりの底に沈んで、静かによどんでいたものたちが、禍がせまってきたことをさとり、目覚めはじめた。あちこちでたいどうしているそれらが、徒人ただびとには見えないうずを作り出し、徒人にはわからない不穏な波を生み出している。

「我らの静けき冥がりを乱すな」

 うすまぶたの守宮は、ひとつまばたきをしてじっと目を細めた。

「お前の落とした禍だ。鎮めるのはお前の役目だろう、安倍晴明」

 うっそりと言い放ち、守宮はついと足を引くと、音もなく土の中に沈み込んだ。

 灯りひとつない夜闇のなかで、青年はうんざりしたように息をつくと、再び歩き出した。





 彼の名は、べの晴明。

 だいだいおんみようりように出仕している。しかし、これといった役職にはついていない。

 師であるものただゆきはそれを大層残念がっており、次回のもくの折にはどうにかして何らかの役につけるようにと心をくだいてくれている。

 だが晴明は、役職につくことを望んではいなかった。

 安倍氏は古いいえがらだ。身分こそ高くはないが、血筋は確かである。それに、陰陽寮は実力さえあれば出世の道をけ登ることも容易だ。ほかの省寮とちがい、実質的な才覚が重用される数少ない役所なのである。

 晴明にはずばけた才覚がある。たぐいまれなる、といえば聞こえはいいが、明らかに他者とは異質な力だ。

 陰陽寮だけでなく、大内裏に勤める貴族たちはみな、その理由を知っている。

 安倍晴明は、あやかしの血を引いた、半人はんようなのだ。ゆえに、すさまじいれいりよくを持ち、徒人にはえないものを視て、徒人にはこえないものを聴き、徒人には感じられないものを感じ取る。

 宮中の貴族たちは、常に彼を恐れている。

 人というのは異質なものを恐れるから、それは本能だ。恐れない者のほうが稀であり、徒人に恐れられはじかれることは当然の反応であると、晴明はにんしきしている。

 以前、光のさない暗闇の中を灯りひとつ持たずに危なげなく進む彼の姿を見たという貴族が、彼の周りにほの青いおにが漂っていたと後日れ回った。

 ちょうどそれを、たまさか通りすがった晴明本人に聞かれ、貴族は青を通りした白い顔で声を吞んだ。

 晴明自身は内心うんざりしながらも、表面上は顔色ひとつ変えず、無言で一礼してその場を去った。

 相手は晴明よりずっと身分の高い、ふじわら一門に連なる貴族だった。下手につつけばいらない苦労を呼び込みそうだったし、何よりも晴明は、自分にまつわる世間の風評などというものにまったく興味がないのだった。

 藤原なにがしが見たという仄青い鬼火とやらに、晴明は心当たりがまったくない。

 何かのちがいか、それとも、ひとだまと連れ立って彷徨さまよい歩くりようでももくげきし、晴明であると思い込んだか。

 いずれにしても、それについてしやくめいする意思は晴明にはなかったので、いずれ忘れられるだろうさとほうっておいた。しかし、いつの間にかどうやら話にひれがついて、禁中にまでおよんだということだ。

 人は、取り分けによしようは、うわさばなしが好きな生きものだから、おそらく禁中のきさき方やによかんたちは、こわがるふりをしながら、目をかがやかせて噂話を楽しんでいるのだろう。

 知らないところで自分がさかなにされることに、晴明は慣れていた。うれしくもなんともないが、どうにもならないことをわかっているので、とうにあきらめている。

 おのれの母がきつねの妖であったことは事実であるし、赤子のころに姿を消してしまったことも事実なのだ。

 いまも晴明は、くらやみの中を灯りもなく進んでいるが、そういう様が、大内裏の貴族たちやみやこびとたちに、あれは妖の血筋ゆえやみを見通す目を持っているのだ、そのひとみねこのように細く金色に光っているのだ、とあらぬ誤解を植えつけるのだろう。

 一々説明する必要性を感じないので言われるままにしているが、陰陽寮で晴明と言葉をわす数少ないうちのひとりは、根も葉もない噂を流されることはごうはらだと、まるで己れのことのように目をいからせていた。

 そう、別に晴明は、妖の血筋ゆえに夜闇を見通せるわけではない。

 彼は、夜闇を昼日中と同じように見通すための暗視の術を、己れにかけているだけなのである。

 陰陽寮ではなんの役職にもついていない晴明だが、その異能の才をかすためにと、幼少の頃から賀茂忠行の教えを受け、ありとあらゆる陰陽の術をたたき込まれた。暗視の術はその中のひとつにすぎない。

 そして貴族たちは、彼を恐れているが、完全にはいせきすることはない。

 なぜならば、その類稀なるおんみようとしての能力だけは、評価しているからなのだった。

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