私が私だという重力はスゴくほどほどでとても楽しいわ

ヨーグルトマニア

第1話

夏音はいつも感じている。

自分の中の魂がとてもしなやかで柔らかくふわふわなことを。


「だから体の中に沈み込んでくる魂の重力はとてもほどほどで、

 生きていることがスゴく楽しいわ」


音羽夏音おとわかのん。小樽市立芸術高校クラシックバレエ科1年。

15歳。身長161センチ。誕生日は8月27日。おとめ座。血液型はO型。

好きな本はジェラルディン・マコックランの「バレエ物語集」。

好きな食べ物は鶏肉のトマト煮。


学校帰り。

同じ小樽市立芸術高校クラシックバレエ科1年の友だちの

篠原絵麻しのはらえま雪谷玲ゆきがやれいとこんな話をしながら歩いていた。


「今度ね、『ロミオとジュリエット』のオーディション受けてみようと思うの」


「あ、絵麻ちゃん受けるんだ。市民会館でやるJカンパニーの『ロミジュリ』」


絵麻がプロのバレエ団が講演する舞台のオーディションを受けると言い出した

ことに少し驚いた夏音だったが、隣を歩く玲もすぐにこう言い出した。


「いいね、私も受けてみようかな。夏音ちゃんはどうする?」


ほんの少し考えた夏音が答える。


「絵麻ちゃんと玲ちゃんが受けるなら私も受けてみる」


5月の小樽はようやく雪も消え、太陽や空や海が初夏の色に変わり

夏音たちの気持ちを浮き立たせた。


後ろに海を臨みながら家への坂道を登る3人の少女の楽しそうな声を

5月の風が運んでゆく。



            🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀



六角屋根と呼ばれる自宅の庭にある練習部屋でバーレッスンを終えた夏音が

時計を見ると夜の8時を回っていた。その時、夏音と同じ高校のヴァイオリン科

2年の兄のはるかがヴァイオリンを持って入って来た。


「珍しいな、こんなに遅くまで。そろそろ寝る時間じゃないのか?」


クラシックバレエでは身長の高いダンサーが有利になる。161センチの夏音は

どうしても身長を伸ばしたくて、どんなに遅くても夜の9時には寝るように

している。


「ちょっとね。来週オーディションなので張り切ってたとこ」


「そうか。頑張れよ」


調弦を始めた遙の横顔を見ながら夏音が質問する。


「遙ちゃんはコンクールの時に緊張して手が震えたりしなかった?」


遙が調弦を続けながら答える。


「どうかな。僕はコンクールの緊張感がとても楽しかったけど」


しばらくの間、遙のヴァイオリンの音だけが響く六角屋根。


「遙ちゃん、また『反対の言葉で文を造るゲーム』しない?」


遙がヴァイオリンをひざの上に置いてうなずいた。


「いいよ」


夏音が窓辺に置いてある赤い砂時計をカタンと倒してゲームを始める。

砂時計の赤い砂がサラサラと落ち始める。


「私からね」


言い出した夏音が始める。


「とりとめもない簡潔な物語」


一息ついて遙が続ける。


「遊び半分な真剣さ」


「永遠で一瞬な時」


遙が少し考える。


「駆け足のアンダンテ」


言葉が砂のようにサラサラと流れてゆく。


「日差しの中の暗闇」


「シンプルなバロック建築」


「物静かで快活なダンス」


「老獪な子供」


「強風の中のそよ風」


「陽気な短音階」


「強靭で繊細な心」


「半音上がりのフラット」


「不幸なハッピーエンド」


あと少しで砂時計が終わりそうなことに気づく遙。

次の言葉を続けようとするがすぐには思いつかず、砂時計の砂が全て

すべり落ちてしまう。


「夏音の勝ちだ。夏音はこのゲーム強いな」


遙に勝てたことに頬を紅潮させながら嬉しそうにうなずく夏音。


「これできっと大丈夫。遙ちゃんに勝てたんだもの。オーディションで

 緊張したりしないわ」


夏音がゲン担ぎでゲームを始めたことに気づく遙。


「うん。きっと大丈夫だ」



               🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀



オーディション当日。


オーディション会場ではバーからセンターに移り、ピアノに合わせて

ピルエットをするようにダンサーたちが支持されていた。


しばらくすると審査をする舞台ディレクターの大きな声が響く。


「この子!この子のピルエットが好きなの!この子のピルエットが

 好きなのよ!」


息を弾ませた夏音が声のするほうを見ると、声の真ん前に居たのは

夏音と同じ高校のバレエ科に通う2年生の鴻池舞織こうのいけまおりだった。


その光景を見ながらピルエットを続ける夏音の心は複雑だった。



オーディションの帰り道。


3人が家までの登り坂を歩いている時、いつも元気な絵麻が会話をリードする。


「メソッドの違いで有利とか不利とかあるのかな?」


いつも淡々としている玲がすぐに応じる。


「どのメソッドでも見られるのは基本だけでしょ。ね、夏音」


「そうだね。たぶんそうだと思うけど。センターに出た時に鴻池さんが

 めっちゃ褒められてたね」


そういえば、という感じで玲が応じる。


「鴻池さんってさ、中学のときに黒鳥のグランフェッテしてる動画が

 天才中学生とか言われてネットに上がってたよね」


「あれ、すごかったね」


「でもあれって……」


そう言ったまましばらく何も話さない夏音に絵麻が質問する。


「でも?」


「うん。でもね、あの褒められ方って音楽性みたいなところが褒められてると

 思うの。感性の部分って言うのかな」


それを聞いた絵麻と玲が声をそろえる。


「あー、なるほどね」


「うん。そうかもね」


3人の少女の後ろに広がる今日の海は少しにび色がかっていた。



               🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀



遙と夏音の弟で芸術高校付属小学校4年声楽科の柚葉ゆずはは、すぐに

夏音のようすがおかしいことに気づく。


六角屋根でのバレエの練習はいつも通りにこなしているものの、

なぜか黙りこくったままの夏音。いつもの賑やかな六角屋根が

静まり返っている。


遙と柚葉が顔を見合わせる。


「夏音ちゃん、もしかしてオーディションで失敗したのかな?」


柚葉の問いに遙が小声になる。


「わからないけど、そこら辺の話は絶対出すなよ、柚葉。

 いつものようにくだらない話しをしててくれよ」


「くだらないってなあにー」


「しっ!」


「はーー」


バーを使ってゆっくりと開脚ストレッチをしていた夏音が大きなため息を

ついている。


「遙ちゃん、柚葉ちゃん。どうやったら音楽性って身につけれるの?」


「絶対音感とかじゃなくて?」


絶対音感の持ち主の柚葉が聞き返す。


「音楽性って一概には言えないけど、持って生まれた部分が大きいんじゃ

 ないのかな」


遙の言葉に夏音の瞳がうっすらと涙でにじむ。


「いやー。汗が入っちゃった。私もう寝るね。おやすみ」


タオルで顏を覆ったまま六角屋根を出て行く夏音。

遙と柚葉はまたまた顏を見合わせた。



               🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀🎀



次の日もその次の日も、六角屋根に夏音の元気な声は響かなかった。

すると柚葉が前にも聞いたことのあるようなことを言い出した。

*「僕が僕であるという重力がスゴすぎて僕はもうクタクタだ」

  参照でお願いします。


「僕、ヨーグルトの妖怪に夏音ちゃんのことをイジメないでって頼んでおいた

 から、もうすぐいつもみたいに賑やかにレッスンできるようになるよ」


「柚葉はいったい何のことを言ってるの?」


と不思議がる夏音。遙が以前のトラウマを思い出して口ごもる。


「これがなかなか説明しにくいというか……そうだ僕はもう寝るよ。おやすみ。

 おい、柚葉も来いよ」


「なんだよー、まだ8時じゃないかー」


柚葉の手をつかんで引きずるように六角屋根を出て行く遙の慌てぶりを

不思議に思いながら見ていた夏音に誰かが話しかけて来た。


 あのー、初めまして。


「え?どちらさまでしょうか?」


 あの、さきほど柚葉さんからご紹介頂きました者で、柚葉さんはうちのこと

 ヨーグルトの妖怪などと言っておりますが、けしてそのような者ではなくて……


「もしかして高次元の方ですか?」


 あ、何かすごくよくわかってらっしゃるというか、とても話を進めやすい

 予感がします。うちはですね、あなたにとっては神のような存在というか……


「もしかしてヨーグルトの妖精さん?」


 そ、そう!うちの愛らしさをものすごく的確に表現した言い方になっていると

 思います。うちはヨーグルトの妖精です!初対面の夏音さんがどうしてそのこと

 をご存じなんですか?


「今までの遥ちゃんや柚葉の言動を見ていて、どうもそういうことじゃないかと

 うすうす感じていたんです」


 さすが女の子!男の子たちよりずっと察しが良くて賢い。ある意味、男の子

 たちを手のひらの上で転がしてますね。さすがです! 


「ありがとうございます、ヨーグルトの妖精さん。とっても良い方ですね」


 いやー、話しやすい。遥くんの時とは大違いですよ。*「僕が僕であるという重 力がスゴすぎて僕はもうクタクタだ」参照でお願いします。


 ところで今回の件はいったいどうしたことでしょうか?


「いえ、わざわざお手数をおかけするほどのことでも無いんですけど。ちょっと、

 ちょっとだけなぜなんだろう?と思うことがあって」


 ほー。うちでわかることでしたら何でもお答えしますので、どうぞお聞き

 ください。


「はい、それでは。今回のお話しの主人公っていったい誰なんでしょうか?」


 それはもちろん夏音さんですよ。


「やはりそうですか。でもね、もしかしたらそうじゃないのかなと思って

 悩んでしまっているんです」


ほー、それはどうしてですか?


「それはですね、それは」


 それは?


「それは、鴻池舞織さんのことなんです」


鴻池舞織さん?


「ヨーグルトの妖精さんがオーディションを見ていたかどうかはわからない

 んですけど、あの場の主人公はまさに鴻池舞織さん。そういう空気でした」


あー、あの舞台ディレクターの女性に褒めちぎられてた一件ですか?


「そうなんです。普通こういうお話しの主人公って誰よりも才能が

 あるものじゃないですか?」


 まー、そうかもですね。でもね、夏音さん。人生というのは過酷で

 ままならないもの。絶対に自分の思い通りにはならないんですよ。

 うちはこのお話しにそういうリアルな部分を持たせたいんです。


「リアルな部分?まぁ、なんて文学的な奥深さ。さすが、ヨーグルトの

 妖精さんだわ」


あざますっ!


「でも、どうしてそれを私の人生で表現しなければならないんでしょうか?」


 と、言いますと?


「私の人生は順風満帆ではダメでしょうか?圧倒的な順風満帆。それで

 そういうリアルなのは遥ちゃんとか柚葉ちゃんとかでもいいのかなー?と」


あー、なるほど。

あーー、なるほどね。

あーーー、なるほど。


「ダメでしょうか?ヨーグルトの妖精さん」


 うちの造った夏音ちゃんのキャラって、自分を犠牲にしてでも

 ほかの人を助けるっていうキャラなんですよ。

 なので今ちょっと、違和感がどわーーーっと襲って来てて。


「イメージを壊してしまったんですね。ほんとごめんなさい」


 いえそんな。こんなことを夏音ちゃんに言わせてしまった、うちにも

 責任があると思いますよ。そのお詫びと言っては何なんですけど、

 すごい事実を夏音ちゃんだけに教えといてあげようと思います。これは

 内緒にしとこうと思ったんですけど。


「なんでしょうか?」


 このシリーズのね、(まぁ「重力シリーズ」とでも言っておきますか?)

 本当の主人公っていうのは実は……


「実は?」


実は夏音さんなんですよ。


「まじか!」


え?


「いえ、本当ですか?」


 そうなんです。うちは夏音ちゃんのこと大好きで、こういう女の子を主役にして

 いろんなハードルを越えてもらって大人に成長していくという、まぁ

 イニシエーションテーマですね。これでお話しを描きたいなぁ、といつも

 思っていたんです。


「まじか……」


 え?


「いや、本当ですか。わかりました!そういうことなら鴻池舞織さんの存在を

 しっかりと受け止めていきたいと思います!」


 よかったぁ。納得してもらって。これで元気になってくれますか?


「はい。さっきヨーグルトの妖精さんが、私のこと大好きだと言ってくれたことも

 すごく嬉しかったです」


 そう。女の子は可愛らしくて気持ちとかすごくよくわかるし、ファッションとか もよくわかるし、あ、もちろんヘアスタイルとかも。もう、描きやすくて

 描きやすくて。夏音ちゃんが登場してくれると心がホッコリして、もうホント

 大好きなんですよ。好きな食べ物もカツ丼とか高カロリーなもの言わないし……


「はい、鶏肉のトマト煮大好きです。低カロリーで高タンパクで。

 ダンサーは食事にも気を使わないとダメですから」


食生活は健康の基本ですからね。

そういうところも、夏音ちゃんのこと描くの楽しくて楽しくて。


「それで私も色んなことが楽しくてしょうがないのね」


 はい、夏音ちゃんを描くときは恐山のイタコになったような気分に

 ならないです。*「僕が僕であるという重力がスゴすぎて僕はもう

 クタクタだ」参照でお願いします。


 夏音ちゃん、どうもありがとう。


この言葉を聞いた夏音がここ数日で一番大きな声を六角屋根に響かせた。


「まじかっ!よしっ!どんなハードルだって何回だって超えてみせるわよっ!」




(そしてこれはどうでもいいことだが、この時ヨーグルトの妖精さんこと

 ヨーグルトマニアも叫んでいた。「よしっ!今回は設定変えずに

 済んだぞっ!」)



  

   第2章「私が私だという重力はスゴくほどほどでとても楽しいわ」終わり

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私が私だという重力はスゴくほどほどでとても楽しいわ ヨーグルトマニア @fuwa_fuwa_otaru

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