第3話「日下琉聖」
校舎から出たはいいものの、購買部のある第二校舎へまっすぐ向かうとなると、今度はグラウンドを突っ切ることになる。こちらはこちらで、早速スポーツに興じている生徒などがいて、ボールが飛び交っていたりするので通りづらい。
周囲を見渡してみると中庭の方は人気がなさそうだった。遠回りにはなるが、一応第二校舎の側へと通じていそうなので、そちらから向かうことにする。
中庭を抜けてみると、運のいいことにこの先の入口が一番購買部に近いようだ。
(これからもこの道を使おうかな)
購買部のパンは、思いのほかバリエーション豊富で食べてみたいものがいくつもあった。
(とりあえずやきそばパンでも買おうと思ってたけど……、ホットドッグにかかってるソースも美味しそう……、チョココロネ……甘いのも欲しいなぁ……、匠のテリヤキチキンサンド……! これは買わないと……!)
迷いに迷った挙句、目についたものは全部買ってしまった。先ほどの蓮とのやりとりで気分が上がっているのかもしれない。
一食分には少々多い量のパンが入ったビニール袋をぶら下げ、来た道を戻っていく。やはり中庭は閑散としていて居心地がいい。ベンチなども置かれているので、明日以降、授業が本格的に始まったら、ここで昼食をとるのも良さそうだ。
(あ、雨宮さんと一緒に食べられるかな……。友達だし……! 昼ご飯ぐらいは……)
蓮と二人きりのランチを想像してみる。料理の得意な蓮は華やかな手作り弁当を持参していて、購買のパンばかりの自分を心配して、自分の分も作ってくると申し出てくる――。
そんな都合のいい空想に浸っていると、
「おーい、そこのお前」
背後から声をかけられた。
振り返ってみると、赤い髪をした精悍な男子が、中庭の大木にもたれかかったまま陽菜の方を見据えている。
日下琉聖だ。
廊下で周囲を威圧していた時と違って、随分砕けた調子にも感じられたが本人に違いない。自分が呼び止められる理由が思い当らなかったので、辺りを見回してみたものの他には誰もいない。
(え……? わ、わたし……? 普通に歩いてただけで何もしてないつもりだったけど……)
ひとまず、本当に自分で合っているのか確認する意味で、しばらくきょろきょろしていると呆れたような様子で再び呼びかけられた。
「お前だよ、お前、他に誰もいないだろ」
「わたし……ですか……?」
「おう」
おそるおそる尋ねてみるとやはり肯定の返事が返ってきた。呼ばれたからには、と大木の方に歩いていく。
日下琉聖は校内でかなり恐れられているようだった。そのことは教室から廊下の様子を伺っただけでも十分理解できている。しかし、不思議と逃げ出したいとは感じなかった。
琉聖は自分と同じ超能力者――。少なくとも小学生時代に自分をいじめていた人たちとは違う。陽菜にとってそれはとても重要なことのようであった。
自身は超能力を隠している為、仲間として扱われるはずはない。そう分かっていても同じ立場の人間の方が安心できるのかもしれない。それほどまでに異端の者として排除されることは陽菜が――あるいは人類そのものが――恐れる『孤独』そのものなのだろう。
あるいは蓮の言葉があったのも理由のひとつかもしれない。いくら超能力が強力でも社会的には不利になるのみ。人と違っていること、それによる孤独感を受け入れ超能力と向き合っているのだとしたら、力に怯えるばかりの自分に比べ遥かに勇敢だと思えた。
近づいていくと、琉聖の表情もよく見えるようになってくる。自信に満ちているように見えこそすれ、攻撃的には見えない。顔立ちも予想以上に端正で、つい見惚れそうになってしまう。
本人の前まで来たところで――、琉聖の姿に気を取られていたせいか、自分の足元がおろそかになっていたらしく足をもつれさせてしまった。
「わっ……」
前のめりに転びそうになったのだが、前方には琉聖がいる。結果、琉聖の身体に抱きつくような状態に。
筋肉質な肢体の感触と体温が伝わってくる。一瞬何が起こったか分からなかったが、異性と密着してしまっているという事実を認識して激しく狼狽した。
「す……すみませ……」
声にならない声で謝罪し、慌てて離れようとしたのだが、思いがけず肩から抱き寄せられてしまう。
(え……!?)
不意を突かれて完全に混乱しながら見上げると、琉聖は不敵な笑みを浮かべている。
「意外と大胆だな。気に入ったぜ」
言いながら肩に回した腕に力を込めてくる。
今まで手も触れたことがなかった男子の身体と全身が触れ合っている状況で、しかも相手の方から抱きしめられているということも相まって、陽菜の鼓動は急速に早まった。発育の悪さ故に心拍ははっきりと伝わってしまっているかもしれない。そう思うと冷や汗のひとつもかきそうなところだ。
(き、気に入ったって……、こんな風に抱きしめるほど……、それって……)
何とか現状を整理して考えようとしてみるものの、頭がクラクラしていてまともに思考することもままならない。
いよいよ限界がきてしまったのか、腰が抜けて立っていることすらできなくなった。そうすると琉聖は、体勢の崩れた陽菜を支えてゆっくりとその場に座らせた。
「いやー、悪かったな、驚かせて」
琉聖も同様に木の根元辺りに腰掛ける。ちょうど二人で木陰に入って休憩でもしているような感じだ。
(い、今の、何だったんだろう……、社交的な人だったらあのぐらいのスキンシップも普通なのかな……?)
涼やかな風を受けて少しは頭がはっきりしてきた陽菜は、そもそも自分は人と接する時の一般的な距離感を知らないと気付く。
「落ち着いてきたか?」
気遣うように尋ねてくる姿には、威圧感を覚えることもない。どうやら実際にはかなり気さくな性格のようだった。
「は、はい、何とか……」
人付き合いに不慣れな陽菜には刺激が強過ぎたが、それでも好意的に接してもらえたことは嬉しかった。肩が触れただけでも嫌な顔をされる――、それが自分にとっての普通だっただけに触れ合いを全く拒まれないというのは貴重な体験である。
「反応が可愛かったもんだから、ついついなー」
屈託のない笑顔で言って、足を伸ばしつつ木にもたれかかる。
(か、可愛い……!?)
言動の刺激が強く、嬉しい反面メンタルを鍛えないと平常心を保てなくなりそうに思えた。
蓮との一件といい、高校デビュー初日にして衝撃的な出来事が連続している。
「それにしてもお前、面白い奴だな」
「え……?」
可愛いの次は面白いときた。意図が分からずきょとんとしていると、琉聖は話を続けていく。
「俺の学校での評判はなんとなく知ってるだろ? 他の奴だったら大抵呼んだって無視するぞ」
やはり本人も周囲からどう見られているかは意識しているらしい。
「それは……、わざわざ声をかけていただいたのに無視するなんて……」
同じ超能力者同士だったからというのは言うべきかどうか迷ったが、そうでなければ無視していたのだと思われては良くないので、とりあえず言わないことにした。
「すげぇいい奴だな。みんな、声かける以前に最初から近くに来ないか、うっかり出くわしたらダッシュで逃げるか、そんな奴ばっかなのに。まして呼んだら素直に近づいてくれるなんて、感動したよ俺」
「い、いえ、そんな大したことは……」
しみじみと告げる琉聖に対し、ふと忘れかけていた疑問を思い出す。
「そういえば……、何かご用でしたか……?」
「ん? あぁ……」
肝心の用件について尋ねたはずが、案外反応が薄い。陽菜としては、そもそも大層な用事を自分に頼むはずがないと考えているので特別驚きはなかったが。
「俺、腹減ってんだよなぁ」
何やら琉聖の視線は、陽菜の持っているパンが入ったビニール袋に向けられているようだ。つい買い過ぎてしまっていた為、ひょっとしたらよく食べる女だという印象を持たれたのではないかと気恥ずかしくなる。
「そのパン、さっき購買で買ってきたんだろ? 実は俺も行ったんだけどよ、レジの奴俺を見るなり奥に引っ込んで出てこねーんだよ。おかげでなんも買えなかったんだよな」
学生のみならず学校の職員までもが琉聖を避けているようだ、超能力者である為に――。
「つーか俺が本当に不良だったら万引きし放題じゃねーか、管理体制どうなってんだよ。まあ、なんだかんだいって俺が在籍し続けられる程度の学校にレベルの高い教職員がいる訳ないか!」
そう言って苦笑する琉聖の表情が悲しげに見えたのは、陽菜自身の感情のせいだろうか。
「あ、あの……、これ良かったら……」
陽菜はおずおずとパンの入った袋を差し出す。
本来琉聖と同じ側の立場のはずなのに身分を隠して安穏な学園生活を送ろうとしていることに後ろめたさがあったのかもしれない。
「マジで!? 恵んでくれんの!?」
「あ、いえ、恵むだなんてそんな大それたことは……。た、ただ、買い過ぎてしまって……こんなに食べられないかなと……」
予想以上に大喜びされて、かえってばつが悪く感じてしまう。『恵む』などと、まるでこちらの立場が上であるかのような言い方をされるのは畏れ多い。陽菜自身の感覚としては『献上』の方がしっくりくるぐらいだ。
「おお! じゃあやきそばパンもらっていいか?」
「は、はい、どれでもお好きなものを……」
美味しそうだと思って買ったパンも、こうして相手に喜んでもらえるなら別段惜しくはない。今は目の前にいる琉聖のことが優先された。
「じゃあ、早速食わせてもらうぜ」
琉聖は差し出された袋からやきそばパンを取り出す。空腹だったというだけあって大口で勢いよく食べていったが、不思議とがさつさは感じられず、やはり不良などという世間からの評価は不当だと思わせるだけの品格があった。
「旨いな、商品の方はレベル高かったわ」
あっという間に食べ終えた琉聖は、陽菜に向かって笑いかける。
「ありがとな、おかげで元気が出た。この恩は忘れないぜ!」
「いえ……そんな、このぐらいのことで良ければ……。先ほどは失礼なことをしてしまいましたし……」
自分の方が取り乱してしまい、ちゃんと謝っていなかったが、事故とはいえいきなり抱きついてしまったのだ、相手が本当に不良だったらどんな目に遭っていたかと思うとぞっとする。
結果的には嫌がられずに済んだようだったが、自分に抱きつかれれば男子は誰でも喜ぶなどと思えるとしたら、余程の――それこそ蓮と並び立っても十分釣り合いが取れるほどの――超が付くような美少女か、もしくは思い上がりの甚だしい勘違い女だろう。
前者でないのは分かりきっているとして、後者にもなりたくはない。
「その……、決してわざとではなくて……不注意で転びそうに……」
「はは、まあそんなところだよな。転ばなくて何よりだ」
「す、すみません……これから足元には気をつけます」
必死に弁解する陽菜とは裏腹に、琉聖はその必要もないといった様子。
「それよりも受けた恩には報いねえとな」
報いるというほどの恩を売った覚えは全くなかったのだが、それでも律儀に何かしてくれるようだ。
「何か困ったことがあったらいつでも言ってくれ。腕っぷしだけは強いからな、何かしら力になれるかもしれん」
力強く言いながら立ち上がった琉聖はさらに続ける。
「もし誰かにいじめられたりしたら、そいつの方が学校に来れないようにしてやるし」
急に過激なことを言い出したので陽菜も立ち上がり、そこまでは――と遠慮しようとするが。
「心配すんな、お前の名前は出さねーよ。どうせ不良扱いだから理由もなく殴ったって今と変わらないからな」
「い、いえ……、それは申し訳ないです」
今がどうであれ自分のせいでさらに誤解が広まるなどあってはならないことだ。
「そうか? じゃあ何か他の恩返しを考えとかねえとな……」
腕組みをして考え込んだものの、特に思いつかなかったらしい。
「まあ、今度でいいか。気が向いたらまた来いよ。空いてる時間、俺は大体ここにいるから」
次に会った時に、ということのようだった。
なんだかんだで今後も関わりを持つことが前提となっているあたり妙に気に入られてしまった感じだが、せっかくの申し出を拒む理由もない。
「えっと……、では折を見て……」
今日一日で二人もの男子生徒とつながりができ、なおかつその二人共が相当にハイレベルな容姿と好感の持てる性格の持ち主だったことに驚きつつ、高校での生活は今までと何か違ってくるのではないかという淡い期待が生まれていた。
「そういえば、まだ名乗ってなかったか。もう悪い意味で知られてるかもしれんが、俺は日下琉聖な。今三年」
「わ、悪い意味だなんてそんな……、あ、あのっ、わたしは一年の水無月陽菜です」
先に名乗っていなかったのはまずかったと今になって気付く。そもそも明らかに自分の方が無名なのだ。
互いに自己紹介も済み、また会いに来るという約束もして、自分も家に帰り食事をとろうかと考えたところだった。
「じゃあな、陽菜! またな」
「……っ!」
あまりに衝撃的な発言に目を見開く。
下の名前で呼ばれた。陽菜にとってみれば、それは思春期を迎えて以降だと初めてのことだ。家族はともかく学校の生徒、それも男子からというのはありえないことだろうと思い込んでいた。
「あ……えっと……」
「ん? どうかしたか?」
どう反応していいか分からずオロオロしていると、琉聖は何かおかしなことを言っただろうかという様子で首をかしげている。
「い、いえ……、名前で呼ばれるのが初めてだったもので……」
「初めて? 陽菜は陽菜だろ?」
続けて名前を呼ばれて、顔が熱くなっていくのを感じる。赤面している状態はどの程度相手に分かってしまうものなのかと考えると気が気でない。
「は、はい……、そ、そう呼んでもらえると嬉しいです……」
さすがに今の状態は見せられないと思い、顔を背けつつ中庭を後にする。万が一にも嫌がって逃げたと思わせてしまっては申し訳ないと、去り際の言葉には精一杯『嬉しい』という気持ちを込めておいた。
家に帰ってからもボーっとしたままだったので親からは熱でもあるのかと心配されてしまった。こうして家にいると学校での出来事が現実だったのかどうか分からなくなる。ただ夢などと違い鮮明に覚えていて、それらを反芻する度、胸の高なりを感じた。
夜になりベッドに入ると、明日目覚めて学校に行った時本当に昨日の続きが始まるのだろうかと不安と期待が入り交じったおかしな気分になる。
スマートフォンのアドレス帳に蓮のメールアドレスが表示されているのを眺めながら眠りに落ちていった。
(雨宮さんと、日下先輩。明日からも会えるのかな……)
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