第10話 不穏な予感

*****

 少女は静かに祭壇の前にひざまずいていた。白い石で作られた祭壇は随分古びており年期を感じる。小さな三角屋根の下に筒状の伸びた小さな柱、その円柱形の柱の天辺は受け皿型になっており、その皿の上に何か光り輝くものが浮かんでいる。そこから発せられる光はうっすらと青みを帯びた白色の光で、非常に厳かに輝いていた。

 その祭壇を囲う石畳は、あちこちひび割れてはいるものの、その厳かな雰囲気を壊すどころか、かえってその神々しさを引き立てているように思えた。その石畳の中心にひざまずくようにかがむ少女は、白く長い裾の服を広げ、微動だにしない。白い服に包まれたその肌は肩から二の腕までがあらわで、薄い水色に柔らかく光っていた。青い髪を流すその小さな頭部の肌もまた水色――氷の精霊の血が強い精霊族のようだ。

 少女の唇はわずかに動き、そこから小さな声が響いていた。その呪文が続くにつれ、空間には清らかな魔力が満ち満ちてくる……。

 ふと、少女の唇が止まる。閉じられていた瞳をふいに開き、氷のように澄んだ瞳を背後に向けて動かす。

「……どなた……? 守護の術中に邪魔は困るわ」

 目線だけを動かし、少女は振り向きもせずに言う。その言葉に、石畳を囲むようにして立つ柱の一つから、黒い服がゆっくりと現れた。

「ええ、あなたの術を邪魔したくて現れましたから」

 黒い服の主はそう言葉を発すると、浅黒い右手でその銀髪をかきあげながら横目で少女を見る。その赤い瞳を細め、薄い唇を歪ませて男は笑った。

*****






 風こそは吹いていなかったが、空気は皮膚を刺すように冷たい。私は周りを見渡した。大分林の奥に入り、木々が高くなって日の光も届きにくくなっている。地表の雪は大分深くなり、歩くのも一苦労、という感じだ。目の前で雪に足をとられているリタを見ていると、どうにも危なっかしい。長いブーツぎりぎりのラインの雪を踏みわけ、転びそうになりながら前進している。その先には長いオレンジのコートをはためかせ、ひょいひょい雪道を越えていく金髪の少年……ダジトがいる。私は自分の足元を見た。先ほどの町で買ったブーツのおかげで雪道はさほど辛くないのだが、さすがにここで時間をかけるわけにもいくまい。私は目線を上げて、先頭を歩いているダジトに声をかける。

「あとどのくらいでそのトンネルに着くかな?」

 ダジトは、木々を片手で触れながら、道を確認するように一歩一歩進んで答える。

「あとちょっとだって。もうすぐ見えてくる」

 そんな金髪の少年は、とても昨日の傷を引きずっているようには見えない。響く心音も心強く聞こえ、痛みを我慢している様子もない。回復が早いのは、リタの魔法のおかげだろう。

 私はそこまで考えると、少し歩みを早め、前方のリタの腕を掴んだ。今にもよろめきそうだったリタは、私に腕を掴まれて、私の方向に身体を傾ける。

「うわあっ……てクーフさん……」

と、よろめいたのをいいことに、私はそのままリタの歩みを止める。そして、リタのちょっと前に来ると、彼女に背中を向けてそのリタの腕を前に引っ張り、自分の背中に引き寄せる。足元がおぼつかない少女は、そのまま私の背中に寄りかかる形になる。

「え、え、ク、クーフさん、ちょっと……」

「危なっかしいから、おぶるよ。さ、乗って」

 リタは私に腕を引っ張られ、私の背中に身体を預ける。急におぶったものだから、リタの心音が激しく動揺するが、今回ばかりは我慢してもらおう。この雪道は早く抜けたい。リタはおとなしく私の背中に乗ると、首に腕を回してきた。リタを背中に担ぐと、私はひょいひょい雪道を歩きぬけ、ダジトに追いつく。

「へぇ……クーフさん優しいな」

 ダジトは追いついた私を横目で見てにやりと笑うと、そのまま歩みを速めてまた私の前方を行く。やはりそうだ。ダジトもリタに気を使ってゆっくり歩いていたのだ。そのことに気がついたリタが、私にこっそり耳打ちする。

「も、もしかして……私が遅かったから、クーフさんもダジトさんも……?」

 私はすぐ右後ろにいるリタの頭に、自分の頭を傾けてこつんと当てて答えた。

「気にしないで。身長差ばかりはどうしようもないからね」

 リタは無言でいたが、その心音で嬉しく思っているのは分かった。

「……もしかして……聞こえてますか?」

「……一応ね」

 リタは恐らく心音のことを言ったのだろう。小さくまた私の耳元で囁く声に、私はつい微笑んで答えた。

「あった、ここだぜ」

 前方のダジトが私たちの方に振り返った。

 真っ白な雪の壁のような絶壁は、所々ゆきが落ちて黒い岩肌を表していた。そんな黒い岩肌の一カ所に、ポッカリと黒い縦穴が口を開けていた。穴は思いのほか小さかった。ダジトがちょっと腰を曲げて入るくらいの大きさだから、リタにはちょうどいい大きさかもしれない。私は確実に身体を半分に折らねば入れないだろう。

 私は屈んでリタを下ろすと、黒いそのトンネルをそのままの姿勢で覗き込む。そんな私の目の前で、ダジトはきょろきょろと中を覗いて一歩踏み出していた。

「ほ、ホントにこんな小さいトンネル行くの?」

 思わず不安になってリタが声をかけると、ダジトはにやりと笑って答える。

「狭いのは入り口だけ。入っちゃえば結構広いから大丈夫だって」

 そういってダジトは一足先にずんずん進んでいった。私はその様子を見て、軽く一息つくと、リタに微笑んだ。

「さ、私たちも行こうか」

 私の促しにしぶしぶリタは穴の覗き込むようにして入っていった。私は腰を曲げるようにして穴に入っていく。大分薄暗い。前方にいるリタの位置を心音で測る。一歩一歩慎重に進んでいるようだ。

「ク、クーフさん、ちゃんといます……?」

 心細いのか、リタが振り向いて私に問う。私は少し大きな声で応える。

「もちろん、いるよ。それよりダジトは?」

「オレならこっち! はやく! 二人とも!」

 リタの遥か前方で少年の声がする。程なくして、わずかに薄明かりが見えてきて、通路が広くなる。リタに続いて、私はその狭い通路を出た。

「ようやく来たか」

 そういって私たちの前に立っているダジトは、その片手に炎のたまを光らせていた。炎系のライトのようだ。

「へぇ……ダジトさんって炎系の魔術師だったんですか?」

 魔法に気がついて、リタがダジトの属性を当てる。ダジトは指で鼻をさすると、得意げに笑う。

「まあな。これでもオレは光の石・炎の守護役だぜ。これくらい朝飯前さ」

「光の石……炎?」

 ダジトの言葉にリタが首をかしげる。ダジトはその反応に面食らって、逆に聞き返す。

「何言ってんだよ。光の石にはもう一つの属性があるだろ。あれ、リタにはないのか?」

 少年の問いかけにリタは動揺しているようだ。首を振って、

「そんなの初めて聞いた……。私、あの不思議な石のこと、あんまり詳しくなくて……」

と肩を落とす。それを見てダジトは逆に肩透かしを食らったような、間の抜けた表情をする。私はそんな二人を見て思わず口を挟んだ。

「リタが守護する石には、光の属性しかないよ」

 私の言葉に、リタがびっくりして振り向く。

「ど、どうしてクーフさんが知ってるの?」

「どうしてって、あの祠で私も見せてもらったじゃないか。あの時分かったよ」

 私の言葉に、リタの心音が落ち着く。ああ、と声が漏れるところから察して、どうやら納得が言ったらしい。そんな私たちを見て、ダジトは頭をかいて続ける。

「ふーん……。でも光の石には、なぜかもう一つの属性があるんだよ。オレのは炎の属性。ウレノの都市の光の石は水の属性なんだ」

 その言葉にリタがふうんと感心する。

「そうだったんだ……。あ、ところで、その水の属性を持つ光の石にも守護役の人がいるんですよね?」

 リタの言葉に、ダジトの表情が真面目になる。心音の感じから、きっとその人を案じているのだろう。

「ああ、オレの幼馴染みたいなヤツなんだけどな……。無事だといいんだが……」

「お名前なんていう人なんですか?」

「あ、そいつ? ……スランシャ。クリスタイス族の末裔だ」

 その言葉に、思わずリタが感嘆の声を上げる。

「クリスタイス族!? あの氷の精霊って言われる一族ですよね? すッごくきれいって聞いたことがある! うわぁ……会えるの楽しみだなぁ……」

「そ、そんな楽しみにするようなことでもないぞ? アイツ結構人当たりきついっていうか……。オレなんか、久しぶりに会うから、怒られそうっているか……うーん……」 

 嬉しそうな少女の様子とは裏腹に、ダジトは困ったように頭をかく。

 私はゆっくりと周りを見渡していた。ダジトのライトに照らされた洞窟は、うっすらと黄色く照らされていた。ゴツゴツと岩肌があらわな通路は四角く切り取られ、いかにも鉱山らしい風貌だ。私たちが入ってきた道は、きっとちょっとした抜け道だったのだろう。今いる通路とほぼ垂直に交差して、私の左から右へ、ずっとこの四角い道が続いている。私は神経を集中して音を聞く。所々、魔力が固まって力となった魔鉱石の輝く音がするけれど、それに混じってざわざわと魔物が動く音がする。

「……確かに……魔物の気配がするね……」

 私が呟くと、ダジトは気がついたように頷く。

「そりゃあな。こんな場所だから、いろんな魔物が住みついてる。気をつけて進もうぜ。こっちだ」

 そういって、私たちを先導するようにダジトは進みだした。


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