第1章 盗まれた古の秘跡
第1話 背後でうごめくもの
「じゃあ、クーフさんもあの神殿を心配して来たところだったんですね」
私の隣で懸命に見上げながらリタは言う。山を降りながら、私たちはそれとなく言葉を交わしていた。二人がこの山に来た理由、そして神殿に来たわけも。
「では、リタはあの村のものではないんだね。住んでいるところは近くなのかい?」
私の問いに、リタは頷く。
リタは北方大陸の小さな村の一つに住んでいて、どうもあの村とは交流があるらしい。おそらくその村で例の噂を聞き、やってきたのだろう。
「でも、クーフさん。どうして……急にあんな魔物が出るようになったんでしょう……」
リタはうつむいて私に問う。その様子からは心底、村を、そしてあの神殿を心配していることが伺えた。おそらくあの神殿から魔物が現れるということはショックなのだろう。無理はない。あの村にとって、あの古びた神殿は平和の象徴だったのだろうから。
「……もしかしたら……何かの予兆かもしれないね……。古くからある神殿は、その分力も強い。古びて壊れてしまっても、その地に恩恵をもたらす。急に魔物が現れたということは、何かを村の人たちに伝えたかったのかもしれないよ」
私はそういって空を見上げた。あの石の柱に触れたとき、なにかメッセージめいたものを感じた。悪意があって生まれた魔物ではない。あの古い神殿の奥のほうにある、不安めいたものが、形になったような……。そんな印象をうけたのだ。北方大陸のはずれに位置するこの土地で、こんな災いがあったのも、なにかを意味しているのだろう。尚のこと、私も急いで北方大陸に向かわねばならない。
唐突に少女は立ち止まった。分かれ道だ。リタは自分の村に帰るため、私とは反対方向に行くのだろう。
「さて、では私は一度あの村に戻るよ。リタのおかげで魔物が消えたことを、村のみんなに伝えねばならないからね」
私がそういって微笑むと、リタはううん、と首を振った。
「私があそこで魔法を使えたのも、クーフさんのおかげです。私だけの力じゃないです」
そういってうつむく少女に私は思わず微笑んだ。しかし、少々様子がおかしい。立ち止まったまま動かない。
「リタは、自分の村に戻るんだろう? 早く帰らないと暗くなるよ。気をつけてね」
そこまで言って、急に少女の音が変わったのを感じた。
「また会えますか?」
突然の言葉に、私は目を丸くした。そうか、少々さびしげな音がしたのはそのためか……。
そこまで考えて、私も急に名残惜しくなった。正直、リタの能力は目を見張るものがある。この少女のことをもっと知りたい気持ちもあったし、何より同じ術者として、今後の彼女の成長は楽しみでもある。
私は一歩彼女に近づくと、しゃがみこんで少女の顔を覗き込んだ。
「きっと会えるよ。お互い、会おうと思えば」
そういって私が微笑むと、少女はちょっと頬を赤らめた。照れているのだろうか。
「北方大陸にきたら、サロフェの村に寄ってください。私の住んでいる村だから」
少女の言葉に私が、わかったと返事をすると、たちまち微笑んで、急に後ろを向いて駆け出した。数歩進んですぐ振り返ると、満面の笑みで私に手を振る。
「絶対きてくださいね! また会えるの楽しみにしてます!」
そのまま少女はかけて山道を降りていった。時折振り返って私に手を振りながら。
それを見送りながら、私はくすぐったい気持ちになった。こんなにも無邪気になつかれると、嬉しいものなんだな、などと思いながら。
村の少年に神殿でのことを伝えると、予想通りとても喜んでくれた。夜も更けてしまったから、結局その宿に再び厄介になることになった。リタの働きのおかげで、少々宿代もまけてもらったのは、ありがたいやら心苦しいやら……だったが。
夜になり、月明かりの下、私は宿の部屋で帽子を目の前に床に座っていた。いつも身につけている古びた帽子だが、これは私にとって非常に特別なものだ。帽子を前に意識を集中すると、その帽子から気配を感じる。偉大な力をかすかに漂わせ、帽子は私に訴えかける。
『……時は来た……。まもなく歴史が大きく動く……。民の幸せを考えるのならば……』
「……己の力の導くままに、己のなすべきことを成せ……とおっしゃるのですね……」
私は地図を開いた。これから向かおうとする北方大陸の地図だ。意識を集中し、地図の真上に手をかざす。
私は……
何に導かれ……
何を成すべきなのか……
私の自問自答に答えるように、地図は数箇所光った。これが何を意味するのかはわからない。しかし、私の持つ力はこの光に答えねばならないのだと、それだけは感じる。
「一体……私に何をさせたいのかは分からないが……それが私の使命だというのなら、それを全うするまでだ……」
暗闇の中、私はひとり呟いた。
翌朝、宿の少年に見送られながら、私は村を出た。例の山を越え、ひとまず地図を頼りに道を進む。目的地は、この世界で最も北に位置する大陸、北方大陸だ。
――北方大陸――それは、この世界にある大大陸の一つであり、この世界で最も北に位置する極寒の土地である。優秀な魔術学校がある中央大陸ほどではなかったが、魔法文明は比較的発達し、人々への技術や環境提供といった福祉面も発達していた。魔力を持たない「マテリアル種」も魔力を持つ「精霊種」も、共存している平和な土地だ。また古くからの光の神の信仰が今も残り、古くからの風習も数多く残る歴史ある地域と聞く。その一方で闇族と言われる邪悪な民の大陸に非常に近く、時折争いや虐殺事件なども起こっており、それらから人々を守るためもあって、主要な各都市が強大な軍事力を持つことでも知られていた。
「たしか……リタの言っていたのは『サロフェの村』だったな」
地図を見れば、確かにすぐだった。大陸のつなぎ目となる細い地形、そこを妨げる小さな山を下れば、あっという間に目的の村のようだった。
「いくら小さな村とはいえ……リタをすぐ見つけられるかな……」
昨日別れた少女を思いながら私は呟いた。しかしそんな心配は全く必要なかったことを、あの時の私が知る由もない……。
サロフェの村は非常に小さな村だった。なるほど、あの村に買い物に行く理由が分かる。数十件に満たない家々が集まった集落で店もなく、あとは畑が広がるのどかな村だった。ひとまず町のとおりに出て、リタでも探そうか……そう思っていた矢先だった。
「クーフさぁーん!」
聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。ああ、リタか、と思って振り向いたその直後、何かが思い切り体当たりしてきた。確認するまでもない、リタだ。
予想外の出来事に、私は思わずよろめく。まさかここまで歓迎されるとは、全く思っていなかったのだ。面食らっている私など当の本人はお構いなしだ。私の懐に少女は顔をうずめ、細い腕を私の胴体に巻きつけて抱きついている。
「よかった!また会えて!」
リタの音がひどく興奮している様子だったが徐々に安心感に変わっていくのを感じ、私もなんだか嬉しくなった。リタの頭に手を乗せ、軽くなでて私は笑った。
「村に行くって、約束したからね」
私の言葉に彼女は満面の笑みで答えた。
リタは私を家に招待してくれた。小さな家だったが、きれいに整理されている様子は、さすがは女性らしい。きけば姉がいて、祖母がいるらしいのだが……。
「おばあちゃんはいっつも畑にいるから、昼間は居ないの。お姉ちゃんは術師だから、基本は他所の国で勉強してるの」
リタはそういって私にお茶を出す。どうやら基本的にこの家を守っているのはリタらしい。彼女の家族の話を聞いて、私は聞きたかった疑問を口にした。
「そういえば、リタは魔法を使うね。あの魔法は……誰から教わったの?」
「おばあちゃんから。あ、でも、召喚魔法は特別なの……」
そこまで言って、リタは声のトーンを落とす。
「お姉ちゃんは、出来ないんだけど……私は……石の守護役だからって、おばあちゃんが特別に教えてくれた魔法なの……」
その言葉は、私の心を波立たせた。
「石の……守護役……?」
冷静を装い、私は問いを続ける。リタは一瞬私を見て、また視線を外す。言いにくいことなのだろう。音が迷っている。
「うん……クーフさん、古代から伝わる不思議な石の話って聞いたことあります?」
唐突な問いに、私は一瞬ぽかんとする。
「不思議な石?」
「うん……私もよく分からないんだけど……。この村にも、古い神殿が昔あって……。その神殿を代々守ってきたのが、私たちの家系らしいんです。でね、この神殿に納められていたって言うのが、不思議な石で……それを守る「守護役」って言うのを代々やっていたんだって。だから、石を守ることが出来る人には、ああいった特別な召喚魔法が与えられるんだっ、て言われているんです……」
少女の話に、私は思わず考え込んでしまった。
「不思議な石……か……」
「……クーフさん、知ってるの?」
リタが私の顔を覗き込むように見つめてきた。上目使いで見上げるその表情に、一瞬はっとする。
「……いや、知っている、というほどでもないんだけど……」
私はなんとか言葉を濁すと、そのままリタに聞いてみる。
「リタ、その石、見れるのかい?」
すると、リタの音が一気に沈む。――この様子はただことじゃない。
「……それが……昨日……盗まれたって、おばあちゃんが……」
「なんだって!?」
数分後、私とリタは古びた石造りの小さな祠の前に居た。畑の奥にある小さな祭壇だったが、形を見ればわかる。昨日見た古びた神殿と同じで、きっと昔は大きな祭壇だったのだろう。その祠の中に、何かを祭っていた跡がある。円柱の白い柱だけは形も崩れずきれいに残っていて、その柱の天辺は、いかにも何かが置けそうな受け皿型になっている。ここに例の石が置かれていたのだろう。
「いつもはここに……浮かんでいたの。村の人たちだって、恐れて近づかない神聖なものだったんです。他所の人に話したことだってないの。クーフさんがはじめてだもん」
リタは私の後ろでそう呟いた。その時、遠くで彼女を呼ぶ声がした。おそらく彼女の祖母だろう。リタは声の呼ばれるまま、私の元を離れた。
私は一人、その場にたたずんでいた。見ただけで、その祠が放つ音が尋常でないことは感じていた。期待と不安半々に、私はその祭壇に触れてみた。
……思ったとおりだ。強い音が響いている……。
私はしばらく祭壇の音を聞いていた。
しばらくして、リタは私の元に戻ってきた。身動きしない私を見上げ、若干不安そうに声をかける。
「クーフさん……?」
「……リタ」
私はそこで少女の方に向き直る。しかし、何といえばいいのだろう。私は自分が言おうとしている言葉をそのまま伝えていいか躊躇していた。その時だ。
「あんれ、リタ。もしかしてその人かい?」
唐突に年老いた女性の声がして、私もその声の方向を見る。真っ白な髪を頭の天辺に丸く結い上げ、穏やかな顔つきをした優しそうな人だった。腰を曲げゆっくり近づいてくるその老婆は、リタの祖母なのだろう。一目見て、腕の立つ術者であることを感じ取った。
しかしそれは向こうも同じだったようだ。私を見るなり、老婆はその目を細め嬉しそうに微笑んだ。
「なるほどねぇ……リタが随分朝からはしゃいでおったけど……。能力もさることながら……器量よし……そりゃ心惹かれるわけだわねぇ」
「おばあちゃんっ!」
祖母の言葉にリタが真っ赤になってその肩を叩く。私はその様子に一瞬微笑むが、すぐに帽子を取り、軽く会釈をする。
「はじめまして。お邪魔しています」
「いんえ~。構いもしませんで、すいませんです~。リタの祖母です」
「クーフです」
軽く自己紹介をすると、リタの祖母はその祠に近づいて言葉を続けた。
「クーフさん……。きっとおまえさんなら分かるでしょうて……。そこに納められていた石が、偉大な力を持つということを……」
老婆の言葉に私は頷く。老婆の優しい顔に関わらず、その瞳の奥が鋭く光る。その目と音で分かる。この石が盗まれるということは、かなりの非常事態なのだ。
「この祠は、幾重にもかけて術を施しておりました。そうカンタンに術を破れるはずがないんですよ……。それが、こんなにもあっさりと……。これはただの盗みではないんですわ……」
「……そのようですね」
祠に触れて、なんとなく察してはいたことだったが、直接ここの守護を務めた者が言う言葉には重みがある。気持ちに思わず緊張が走る。
「今、リタにも伝えたところですが……リタには、この石を探しに行かそうと思うんです」
「彼女に……ですか?」
老婆の言葉に私は思わず聞き返す。確かに石は取り戻さねばならないだろう。しかし……
「大丈夫ですか? 彼女は……まだ幼いでしょう?」
私の言葉に老婆は予想外にもカッカと笑った。
「こうみえてリタは出来のいい孫ですわい。魔法の腕はたつ。追跡の魔法さえ使えれば、きっと追うことが出来るでしょうて」
その言葉に、リタは若干不安そうではあるが、その心音はしっかりしている。強い使命感に燃えているのだ。
「任せて、おばあちゃん。私、ちゃんと犯人捜してくる!で、ちゃんと取り戻してくるね!」
リタがそう答えると、老婆はまた私のほうを見て話を続ける。
「と、言うわけでして……リタにはさっそく旅支度をさせねばならんのです。せっかく遊びにきてくれたのに、すいませんですな……」
老婆が申し訳なさそうに言うと、リタも私の傍により、そっと私のマントをつかむ。
「クーフさん……せっかく来てくれたのに、ばたばたしちゃってすいません……。もうちょっとお話したかったんだけど……」
その心音は、心底残念そうで、さびしく響いているのを感じた。
「いえ……私には気を遣わないでください」
私の言葉に老婆はまた謝り頭を下げる。リタもその言葉に思わずうつむく。しかし、私の次の発言は、二人の予想を超えるものだった。
「あの、よろしければ……その石探し、私にも手伝わせてくれませんか?」
あまりの予想外な私の発言に、二人の思考がぱたと止まるのを感じた。全くもって予想していなかったのだろう。何を言われたのか分からない、という雰囲気だ。
「え、ええ?ク、クーフさんも……手伝うって……」
リタの感情が混乱しているのか、ひどく心音が動揺して聞こえた。なんとか言葉をつむぐ彼女に私は微笑んで見せた。
「女の子一人で旅に出るなんて、心配だろう? 私なら旅も慣れているし、きっとリタの助けになるよ」
その言葉にリタの表情が明るくなった。が、変わらず心音は動揺しているようだ。
「え、それは嬉しいけど、でも、クーフさんに悪いし……で、でもやっぱり……うー……」
と、少女は頬を押さえながらブツブツと気持ちと現状を整理している。
そんなリタの傍らで、祖母の表情が明るくなった。
「おまえさん、いい人やねぇ……。リタを助けてくれるのかい?」
老婆の言葉に私は頷き、その瞳を見た。私の瞳を見て、老婆は私の真意を感じ取ってくれたのだろう。今度は申し訳なさそうに、頭を下げた。
「こんなご時世に、お前さんのような人に出会えて、わたしもリタも幸せですわ……。すまんけんど、よろしくおねがいしますです」
「いいえ……。私もお役に立てるよう務めます」
老婆に一礼すると、私は隣でまだ動揺している少女の頭をとんとんと軽く触れた。
「リタ、よろしくね」
「は、はいっ!」
私が微笑むと、リタは頬を赤らめて私に振り返った。まだ彼女の心音は動揺しているようだった。
私は祠を再び見つめた。私がここにきたのは、ただの偶然ではなかったのだ。既に私が果たすべき使命が動き出していることを、ひしひしと感じ、私自身もまた心音が乱れていることを感じていた。
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