第9話 水の加護

「……気が乱れたな……。侵入者か?」

 暗がりの奥から、低い男の声が響いた。その場の空気と同じように暗く、神秘的な響きのその声に静かに問われ、水色の女性が声の方に振り向いた。

「は、はい。まさかこんな水の中にまで、入ってくるものがいるとは……。おそらくこのあたりに潜む魔物でしょう。ご心配には及びません。私の結界で全ての侵入者は、この城の地下の罠に落ちますので」

 声に自信を感じさせる静かな物言いに、暗がりの男は「そうか」と静かに答え、それ以上は追求しなかった。その様子に女はふっと表情を和らげた。形のいい唇、通った鼻筋、少しきつめの印象を与える瞳にたれ気味の細いまゆ、その顔立ちは誰が見ても美しいと判断するだろう。その瞳に熱をこめ、首を軽くかしげ、声の主がいるであろう奥へ視線を送る。その動作にあわせ、結い上げられたきれいな水色の髪が、さらりと肩からこぼれる。その服装は肩だけがあらわで、ひじの辺りから手の甲までを、水色の袖が覆っていた。手の甲を覆うほどの大きなはひし形の宝石がそこには埋め込まれている。その手は彼女の胸の前で祈るようなかたちで組まれ、そのままの姿勢で彼女は立っていた。くびれたウエストを強調する腰のあたりは長いリボンで飾られ、短めのスカートに、細い足を強調する膝丈のロングブーツ。その姿はなかなか美しい。

 エプシロンはそんな自分の身体をちらと見て、また奥へと視線を送る。容姿ようしには自信のある彼女だが、残念ながら声の主はそれを望んで自分をそばに置いているわけではない。彼が求めているのは彼女のその能力なのだ。そのことを、彼女は重々理解していた。

「ペルソナ様、今のところ異常はありませんわ。他に何かお役に立てることはございませんか?」

 エプシロンが期待を込めて声をかけるが、その期待に沿わず、相変わらず冷静な低い声が返ってきた。

「いや、今はそれで十分だ。変わらず警戒を続けてくれ」

 その返事に若干の落胆らくたんを覚えたものの、エプシロンは深々と頭を下げ満足げに答えた。

「かしこまりました、ペルソナ様。仰せのままに」

 どんな状況にせよ、今ペルソナと二人きりであり、それがしばらく続くことに変わりはないのだから。




 すさまじい水の音が響いていた。ゴゴゴと轟音ごうおんを後ろに感じながら、シンが猛スピードで暗く細い通路を飛び抜けていく。

「これどこまで行けばいいだ~!?」

 シンは両手に例の本を広げたまま、背後に向けて大声で叫ぶ。

「オレが知るかー! とにかくその地図にあるとおり、行き止まりまで行けー!!」

 答えたのはキショウだ。キショウは今度はシンジの頭に乗っかり、思った以上に冷静に返してきた。シンジは、シンより数十メートル後ろにいる。シンがなぜそんなにあわてて走っているのかといえば、そのシンジの真後ろで、巨大な波が彼らを追いかけているからなのだ。

 そう、彼らは細い通路を探索中、トラップを踏んだか何かしたらしく、水攻めに遭うという、お約束パターンにはまってしまっていたのである。

「行き止まりって、地図みると間もなくだべよ~! まだ終わらないだべか~!?」

 地図をのぞき込み、またもシンがあわてて叫ぶ。その声に多少苛立いらだちを覚えたのか、キショウが声荒く返す。

「急かされてどうにかなるならどうにかするっての! 行き止まりに当たったらとにかく上に上がれ! 天井までだ!」

 そうシンに叫ぶと、今度は下を向き、彼を乗せているシンジに向かって声を荒げる。

「間もなく行き止まりだぞ! 準備は出来たのか!?」

「…………」

 キショウの問いには答えずに、シンジは長い呪文の暗誦あんしょうを続けているようだった。術に集中するその彼の足元は氷の板があり、それで波乗りをしながら進んでいるのだ。どおりで波が真後ろにいるわけである。シンジの左手はその波に触れたまま、右手には氷刃の呪文で作られた氷の剣を握り、目の前にかざして呪文の暗誦が続けられているのだった。

「だぁああ!! 行き止まりだべよ~!!」

 先でシンの叫ぶ声が聞こえ、その声が徐々に近づいてくる。シンジとキショウも、行き止まりに近づいているのだ。つまりは、波も迫っているのである。

 その直後、シンジの右手の氷の剣が青白く光った。

「……大丈夫! 準備できたよ!」

「遅いだべよ~!! ぎゃー! シンジも着たけど波も来ただぁーーーっ…!!」

 シンジの姿を確認すると同時に波の迫る様子も目に入り、シンがあわてふためく。その様子を見たキショウがニヤリと笑い、シンジの頭から飛び出してシンの頭に飛び乗った。

「とかいいながら、しっかり天井に避難できてんじゃねーか。シン! 特大の防御を張れ!」

「水はどこまで防げるかわかんないだべからなー!!」

と、叫びながら、シンは右手に風の剣を握り締め、防御壁を張る。たちまちシンの周りを風がビュウビュウと取り囲み、シンの周辺を風の壁が覆う。

「シンジ頼むだべよ!!」

 風の壁の向こうにいる弟に向けシンが大声で叫ぶと、シンジが「任せて!」と同じく大声で返してきた。その直後、シン達を覆う壁に激しい水流が激突してきた。風の壁はその水流の激突にその体積を急激に縮めていく。水に圧迫され、風の壁の内側に空圧を感じ、キショウが唇をかむ。

「大丈夫か!?」

「くっ……! 思った以上に激しいだなっ!」

 シンはそう答え、両手で握った短剣に力を込める。風の防御壁を保つために魔力を込めたのだ。

 その時だ。

 不意に風の壁の向こうで小刻みに水が振動していることに二人は気がついた。

皓皓コウコウ!』

 水を振るわせ、シンジの声がその空間を通り過ぎた。と、同時に急激に風の壁の向こうの振動が止まりだした。ピキピキと水の凍る音が足元から響き、その音はたちまち遠くへと走り抜けていく。その直後、シンの足元からひんやりとした冷気が伝わってきた。シンは防御壁の風魔法を解いた。シンが浮き上がった身体を着地させると、そこは一瞬にして凍った氷の地面になっていた。シンの作った風の防御壁の形を球型に残し、その場以外は全て水浸し――いや、氷で埋め尽くされてしまった。

「すごいな……あれだけの水を一瞬でここまで凍らせちまうとはな……」

 シンの頭の上で、キショウが感心するようにつぶやいた。

「ひとまず、難は逃れた……って言いたいところだが、シンジのヤツは大丈夫なのか? 水全部凍らせるって作戦はよかったけどよ、あいつまで凍っていたりしないだろうな」

 続けてキショウが問うと、シンは氷になった足元をのぞき込みながら答える。

「そんなまぬけ、もうしないだべよ~。多分無事だと思うだが……あ」

 シンが答えるよりも早く、その足元の氷が割れ、シンジが顔をだした。

「ふー! 出来た~!!」

 と、言いながら氷の上にその身体を乗せ、彼らの足元に寝転んだ。息は荒いが、そこまで体力を消耗したようにも見えない。表情は活き活きと笑顔すら浮かべている。どうやら、彼の周りの水は凍らせず、うまくそれ以外の水を全て凍らせることに成功したらしい。

「すげーだべ! シンジ!! よくこんだけの水凍らせただな!」

 寝転ぶ弟の肩をたたき、何とか起き上がらせると、シンが満面の笑みで声をかける。

「山にいた時だって、ここまでの術は見たことなかっただべ! よく成功できただな!」

「うん! この水、やっぱり力があるんだよ。湖の水、水の魔力が高いんだ。そうでなかったら僕、こんな大きな技できなかったよ」

 シンの言葉にシンジも同様に笑顔で答える。

「さすがに湖の水までは凍らせられてないと思うけど、少なくとも、この通路に入ってきた水は全部凍らせたと思う。もう水攻めに遭うことはないよ」

「そうと分かれば安心だべな! いやーびっくりしただ! 水に追っかけられるとは思わなかっただべ!」

 シンジの無事も確認し安心したのか、シンはその場に座り込んでヘラヘラと笑う。その隣でシンジも笑うが、ふと思い出したようにキショウを見て首をかしげる。

「なんとか難は逃れたけど……。キショウ、どうしてこの通路の先まで行かなきゃ行けなかったの? 別に通路の入り口で水凍らせたって、多分無事だったんじゃないかな?」

「ええ!? い、入り口の所でもよかっただべか!?」

 その言葉に飛びついたのはシンの方が早かった。

「だって、水が入ってきた! って分かった時点でさ、あの通路に入っていたわけでしょ。ちょっと術の練成時間はいるけど、ここまで走りこまなくても、水凍らせて壁つくっちゃえばさ、通路のはじめの所で十分止まったと思うんだけどな」

 シンジの冷静な答えに、シンがへなへなとうなだれる。

「お、オラ、結構疲れただべよ……。何のためにオラ、通路の奥まで走ったんだべ!?」

 シンジの言葉にシンが落ち込んでいるその横で、キショウは天井を眺めて言う。 

「水攻めにあった時、真っ先にオレたち、地図見ただろ。で、今オレたちがいるこの通路の行き止まり、ここがどうも上の階につながる秘密がありそうだったんでな。それで奥まで走ってもらったんだよ。こういう罠がある場合な、通路が水浸しにならないと動き出さない仕掛けってのもあるんだよ」

「通路が水浸しにならないと動かない仕掛け……? 一体どういうことだべ?」

 キショウの説明にシンが首をかしげる。

「ま、早い話が、侵入者が死んでから、道が開くってやつさ。侵入者が生きてる間に先に進む道が開いちまったら、いかんだろ。そういうわけさ」

 そう言ってキショウは天井に近づき、その石の天井を触りながら調べる。

「……やっぱりな、なんかヒントが書いてあるぜ。『忌まわしき邪教徒よ。水の中で神の使いの貢となれ。さすれば道は開かれん』だとさ。いかれた文章だぜ」

 読まれた文章の意味はよく分からないが、その文字を読む仕草を見て、シンジが問う。

「ふぅん……。それもやっぱり超古代文字?」

「……の、ようだな。この神殿を作ったやつらの文だろ」

 キショウは力なくそう答えると、そのままシンの頭に座り込んだ。どうやらシンジよりもシンの頭の方が座り心地がいいらしい。

「おそらくは水にすむ魔物か何かが現れる仕組みだったんだろう。水ん中にそいつらは放たれて、侵入者が消えちまえば、後でこの道が開くんだろ。しばらく待ってみて、それでも道がひらかねぇようなら強制突破しようじゃねぇか」

 キショウの提案に双子も顔を見合わせて同意する。

「それもそうだね」

「それに、時間も時間だべさ」

 と、そのままかばんをごそごそあさりだすと、中から食料を取り出した。お弁当らしい。それにはキショウも飛びついて、たちまち表情を明るくする。

「なんだよ、お前ら! 準備がいいな!」

「あたりまえだべさ!」

「遠出するときは、いっつも食べ物持ち歩いてるもんね」

「あ、キショウもちょっとなら食べていいだべよ」

「ちょっとかよ!」

 シンの言葉にキショウがすかさずつっこむ。

 暗い地下通路、冷たい氷の上で、その場にそぐわない明るい声が響いていた。双子と一匹はそんな今の環境を全く気にすることなく、わいわいと食べ始めた。

 食事を取りながら、ふとシンが顔をあげつぶやいた。

「そーいや、思ったより遅くなりそうだベが……ガイ達心配してねぇだべか……」

 時計を見れば、すでに昼過ぎを回っているのだった……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る