№316

 高校生まで暮らしていた田舎町での話です。

 結構おおらかな時代と場所でした。俺も就学前から一人で外に遊びに行って、適当な近所の家に上がって遊んでいました。友達の家とかではないです。そもそも年が近い子はいませんでした。

 例えば、お菓子をくれる婆ちゃんがいる家、とか、川釣りに詳しいおじちゃんがいる家、とか。俺の両親が共働きで都市の方に働きに出いていたので、祖父母もいたけど、平日はほぼ俺は一人だったんですよね。地域全体で育ててもらった感じかな。

 その町に変な爺ちゃんがいました。爺ちゃんはいつもボンヤリと歩いていて、俺を毎回違う名前で呼んできました。俺はその爺ちゃんを見つけたら必ず手をつないで家まで連れて帰ってあげていました。その家の叔母ちゃんは毎回「今日もありがとう」とお菓子やジュースをくれました。今思うと徘徊老人だったんですけど、俺みたいな子供と同様に容認されていたんだと思います。

 小学校に上がると、平日は普通に学校に行くのでその爺ちゃんと会うことは少なくなりました。

 ある日、学校の帰りに畑の中に爺ちゃんが突っ立っているのが見えました。畑といっても休耕地で、草が爺ちゃんの腰あたりまで生えていました。ぼーっと曇り空を見上げている爺ちゃんに声を掛けようとしたとき、爺ちゃんは立ったままぶるぶると震えだしました。顎がガクガク震えているほどで、びっくりしてみていると、突然爺ちゃんの足下からぶわっと数百の虫が飛び立って四方八方に消えていきました。俺の顔にもぶつかってきて、慌てて手で払って、気がついたときには爺ちゃんはいなくなっていました。虫を払っている間にどこかに行ってしまったのかもしれませんが、その時は不思議に思って、帰宅した両親に聞いてみました。母親は嫌な顔をし、父親は困り顔で「変な爺さんだからなぁ」と言葉を濁していました。

 爺ちゃんは俺が中学校に上がる前に寝たきりになりました。両親には黙って見舞いに行ったことがあります。その家の叔母ちゃんは喜んでくれましたが、爺ちゃんは分かっているのか、いないのか、目だけ動かして唸るだけでした。叔母ちゃんが俺のお茶菓子を用意しているときに、話しかけてみました。

「爺ちゃんさ、俺の名前間違えてばかりだったけど、今でも俺の名前覚えてない?」

 って。別に覚えていてもいなくてもかまわないんですけどね。俺だって爺ちゃんのこと「誰々さんちの爺ちゃん」って呼んで名前知らなかったし。その時爺ちゃんは明らかに何かしゃべろうとして、腹から空気を出そうと口を開いた。そうしたら口の中からでかいカブトムシがにゅっと出てきた。「え?」って思って思わず捕まえちゃったんだけど、それをたまたま戻ってきた叔母ちゃんが見て、何故か爆笑してました。

 その後、高校に上がってすぐに爺ちゃんは他界しました。葬式には祖父母と両親と一緒に行きました。叔母ちゃんが「最後に顔を見てあげて」と棺桶を開けたので、のぞき込むと手のひらくらいの蝶が中から飛び出して俺の顔に当たりました。

「あらあら」と叔母ちゃんが笑い、俺の祖父母も同じように笑い、他の参列者も声を上げて笑いました。俺も何となくおかしくなって笑っていたら、両親がすごい顔で俺を見ているのに気付きました。

 その後すぐに両親は俺を連れて引っ越ししました。母親なんかは「二度とあの地には行かない」と息巻いていたけど、俺はいつかまた行きたいと思ってる。確かに異常なことはあったけど、他の地域と比べたら頭おかしいなって思うこともあったけど、やっぱりあの葬式は、笑えたかな。

――田野辺さんは口の端を上げてシニカルに笑っていた。

 

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