№244

 中学生の時に母が他界しました。授業を受けていると教頭先生が教室に来て、先生と小声で話し、先生が私を呼びました。

 廊下で教頭先生から、母が交通事故に遭って病院に運ばれていると聞きました。これから教頭先生の車で病院まで送る、と。その時はまだ、そんなに深刻なことだと思っていませんでした。骨折したのかな。入院かなって。母は即死だったんです。死に目に会えないどころか、死に顔も見れませんでした。顔が潰れていたそうです。

 私はしばらく夢と現実が分からない日々を送りました。朝起きてきて、父に「お母さん起こしてくるね」って言って困らせたこともあります。料理を母と作っていると思い込んでいるときもありました。父と食べるときになって一人で作っていたと気付くんです。

 母の死を受け入れられないけど、受け入れるしかないことは分かっていました。父と一緒に、母の遺品はちょっとずつ整理していきました。その中に小さなノートが数冊ありました。父は「おまえが生まれてから育児日記を書いてたんだよ。最近は余り書いてなかったけど、たまに開いていたなぁ」と懐かしそうに教えてくれました。

 そのノートは私がもらいました。赤ちゃんの時から私の成長が詳細に書かれていました。成長するにつれ書かれる頻度は減っていましたが、事故の数日前の親子喧嘩についても書かれていて、涙が出てきました。私がただ苛立って反抗して、母を怒らせたんです。次の日には何もなかったような顔をして生活していましたが、謝っていないことに気づき、ノートに「お母さん、ごめんね」と呟きました。

 それから数日してまた母の部屋を整理していたら小さなノートが出てきました。それは私が自室に持ち込んだはずのノートでした。引き出しに大切にしまっていたので首をかしげてペラペラとページをめくると、最後に見たページの次に新しく書き足してあったんです。私がノートを読んだ日付で「娘が謝ってくれた」と。

 あり得ないことです。でも私はまた自分がおかしくなっているんだと思いました。これは夢だと、深く考えず、ノートはまた自室に持って帰りました。

 最近、実家を出て一人暮らしを始めました。引っ越し準備の時、ノートがなくなっていることに気付いたんです。ふと使われなくなった母の部屋に行きました。やっぱりノートはそこにありました。そして新しく、何度か日記が書き足されていました。

 すべて私についてでした。反抗期が酷いとか、料理を食べてくれないとか、進学の相談を父にしかしないとか・・・・・・。そして最後に、自分が死んだことに気付いたと、震える字で書いてありました。

 もし私に霊感があったら、死んだことに気付かなかった母を、もっとはやく成仏させてあげられたかもしれません。それが悔しいです。

 最後の日記ですか? 発見した1週間くらい前です。もう新しい日記はないんで、ちゃんと自分で成仏したんだと思いますよ。

――そう笑顔で話す福沢さんの横に、顔のない幽霊がたたずんでいた。

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