№234

――仙町さんは話す前から酷く疲れているようだった。

 私は父に育てられました。母のことは一切知りません。

 小さい頃は何も疑問に思わず、毎日幸せでした。父からは充分に愛情をもらいました。休みの日はよく虫取りや魚釣りに行ったものです。

 小学生になり段々母親のことが気になりだし、小学6年生の時に思い切って聞いてみました。父は覚悟はしていたようでしたが、一言

「遠くへ行ってしまった」

 と答えただけでした。

 当初私は「母が出て行ってしまった。父や息子を捨てた」という意味だと考えショックを受けました。さらに成長し「もしかして他界したと言う意味では?」とも考えましたが、我が家には仏壇もなく、母の写真一つ飾っていません。さすがに死別なら母の痕跡が全くないというのは、無い話だと思います。

 ただ父がたまに一人でアルバムのような物を一人で眺めているのだけが気に掛かっていました。私が声を掛けるとさっと隠してしまいます。そんな時父は泣きそうな顔をしているので、強く聞くことはできませんでした。

 私が成人した頃、父は体調を崩し始め、仕事を辞めることになりました。今度は私が支える番だと意気込んでいたのですが、父は病院で余命1年を宣告され、即入院となってしまいました。

 私は毎日お見舞いに行きました。何か一つでももらった物を返せれば、そう考えて必死でした。それを父も感じていたんでしょう。ある日、ベッドの上から私を見上げ「十分幸せだ」と言ってくれました。私は泣きながら

「もしやり残したことがあれば、言ってくれ。何をしてでも叶えるから」

 と訴えても、

「もう叶ってるから」

 と笑っていました。ですがふと真顔になり

「おまえの母親のことで言っていないことがある」

 突然のことで、涙が引っ込みました。まさかそこで母親が出てくるとは思いませんでした。父は静かに私に告げました。

「お母さんは死んだ。おまえが生まれる前に」

 その後、父の様態は急変し、申告より1ヶ月早く他界しました。

 私は最後の告白は、父の言い間違いか何かだと思っていました。しかし父の遺品を整理しているときに、見つけたんです。父が眺めていたアルバム。それには蝶の羽が標本されていました。A3サイズのアルバムいっぱいに、見開きの綺麗な蝶の羽が。ラベルには日付と父の出身地である地名と父の名前が書かれ、蝶の名前の記載はされていません。私は小さい頃から父と虫の標本なんかは作っていたので、それが本物か偽物かはわかります。が、それが作り物では無いとしか・・・・・・。でも、あり得ないです。あんな大きな蝶・・・・・・。

 父が死んでから、私の体が、おかしいんです。なんか、眠いというか、だるいというか。鬱じゃないかって。でも、こう、体が・・・・・・。

――しばらく仙町さんはぶつぶつとひとりつぶやき、そして動かなくなった。

――この録音から半年。彼はまだ羽化する様子はない。

 

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