№218

 新婚1年目で妊娠しました。名前も決めて、ベビーグッズをそろえて……。そして予定日も近づいてきた頃、あの子が私たちを訪ねてきたんです。

 その子は黒いボサボサの髪と、青白い顔、目の下にくっきりと隈ができていていましたが、どう見ても未成年でした。

「話をしたいんです」

 と、インターホン越しに言われ何の話かと聞くと、夫の名前を言いました。そして家に入れなければここで大声で夫が何をしたか言うと脅してきました。口調は弱く丁寧でしたが、カメラ越しにもその意志の強さが感じ取れ、私は彼女を家に入れました。もちろん怖かったです。だから一応まな板を体の前に盾のように持って対応しました。

 私は彼女を居間の椅子に座らせ、私は警戒しながら正面に座りました。

 しばらくモジモジとしていましたが、彼女はそっとテーブルに母子手帳を置きました。

「彼には子供がいます」

 彼女の口調は落ち着いていました。でもなんとなくその病的な表情から「追い詰められている状態」と推測しました。下手なことを言えば私もお腹の子も、まな板一枚じゃ守れない。そう思って私はこっそりスマホで緊急連絡を夫にしました。便利ですよね。音も出さずに、ノールックでSOSできるって。

 夫は自転車で30分程度の場所で働いていたので、すぐにタクシーを捕まえて帰ってきました。ドアが開き大慌てで靴を脱いでいる音が聞こえました。彼女は表情を変えず、立ち上がって居間を出ました。夫を迎えに出たのかと思いました。私はとりあえず来たる修羅場に備え、まな板を持ち直しました。

 が、彼女の姿が廊下に消えると同時に夫がひょっこり居間に顔を出したんです。

 私は「あの子帰っちゃったの?」って聞いても首をかしげるばかりでした。何があったのか話すといぶかしげな顔で

「いたずらじゃない? 知らない人家に入れるのは良くない」

 嘘をついている様子はありませんでした。そういえば、と彼女がテーブルに置いて母子手帳を見ました。いたずらでも母子手帳まで偽造は出来ないでしょう。

 母子手帳を見せると、一瞬夫は固まり、私からひったくると震える手でそれを見つめ、「おおおおおおおおお」と突然叫び出しました。そして鼻水を垂らしながら号泣したんです。

 びっくりしましたが、とりあえず膝から崩れ落ちた夫の背中をさすり続けました。30分くらいして、夫に話を聞くことが出来ました。

 夫は中学校高校で付き合っていた彼女がいたそうなんです。ただ彼女の親が男女交際に厳しく、誰にも内緒の交際だったそうです。その彼女はある日突然、高校のトイレで自殺したそうです。その彼女の名前が母子手帳に書いてある名前だったんです。

「まさか妊娠して追い詰められていたなんて……」

 夫は彼女が彼に訴えかけに来たんだと思ったようです。

 でも彼女が死んだ年齢で出てきたのなら、もうちょっと大きいと思うんですよね。私が見たのは小学校高学年くらいでした。ちょうど母子手帳に書いてある赤ちゃんが生まれていたらそれくらいです。

――自分以外の子供がいるのが許せなかったんですかね、と悲しそうに横篠さんは呟いた。

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