№193
祖母の葬式の時、僕ははじめて祖父母の家に行きました。両親が結婚した際に祖母が死ぬまで実家の敷居はまたがせない、と言っていたそうです。ちなみに父の親です。祖父母の家は田舎にあり、とても広い平屋です。
通夜と葬式で一晩泊まらせてもらうことになりました。僕は当時中学生で、重苦しい家の空気が嫌で祖父と話をすることなく、すぐにあてがわれた部屋に引っ込みました。両親は代わる代わる祖母に付いていたようです。
慣れない和室で眠れず、スマホをいじりながら時間を潰していました。それも飽きてきたときに、部屋に掛け軸がかかっているのに気づきました。水墨画です。こんな大きな家にあるんだからきっと値の張る物なんだろうなと眺めていたら、ぽっと黒い染みが落ちたんです。ぎょっとしましたが、埃かなんかだろうと電気を消して眠りました。でもなんか寝付けなくて、暗闇でスマホを付けたときぼそぼそっと誰かのつぶやく声が耳元で聞こえて、布団から飛び出しました。
母のところに行くと、母は祖父と何やら話していましたが、僕が何があったのか話すと一応部屋まで付いてきてくれました。初めて会った祖父に「情けない弱虫」と思われたと恥ずかしかったんですが、祖父は何も言わずに付いてきました。部屋に入って電気を付けると、乱れた布団が敷いてあるだけでやっぱり誰も居ません。「広い部屋だから落ち着かないんでしょ」と母は言いました。
祖父はやはり何も言わずに部屋を見渡し、ふと掛け軸に目をとめました。「汚れているな」掛け軸を見ると、さっき見た汚れが広がっているように見えました。でも僕は触ってないし、勝手に汚れたんだと一生懸命訴えました。祖父は聞こえているのか居ないのか掛け軸を見たまま「まあ、値が付くものでもないし」と僕を見ようともせず部屋を出て行きました。釈然としないまま、再び布団に入りました。今度は母も一緒だったので朝まで一度も起きることはありませんでした。
起床して母と布団を上げながら掛け軸に目をやると、汚れはさらに広がっていました。そしてそれは人の横顔に見えました。人、というか、母ですね。母そっくりだったんです。母もそれに気づいて真っ青になっていました。戻ってきた父も掛け軸を見て「これはおばあちゃんが描いたんだよ」と教えてくれました。「きっと死んでようやくお母さんを受け入れてくれたんだね」と。
でも僕は母の様子を見て気づいちゃったんですよね。晩に祖父と話している様子もなんかあやしかったし。大人になってから「僕っておじいちゃんとお母さんの子供?」ってはっきり母に聞いてみたら、泣かれてしまいました。どうも婚約中の母に祖父が手を出したようです。そりゃ縁も切られますよね。父は僕のことを息子だと信じているようですが、あの掛け軸、祖母から誰に当てたメッセージだったんでしょうね? 僕にかな、と思っていたんですけど、父宛だったらまた祖母から何かあるかもしれませんね。
――須崎さんは今度また、家族で祖父の家に行くそうだ。
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