バイ・チャンス

@zawa-zawa

知り合い!?

 なぜだろうか。僕は電車に乗ってからどうにもあの女性から目が離せない。色白でスラっと線の細い、まるでモデルのような体型のきれいな女性だ。


正直な話をすると僕はこの手の女性が好みという訳ではない。

では、どうして気になってしまうのだろうか。今まで気にならなかった騒音が一度何かのきっかけで気になってしまったが最後、他のことに集中できなくなってしまうという経験がある。その感覚に近いのかもしれない。

あるいは、彼女に何か他人を引き付ける魅力があるのかもしれない。

しかし、このような分析はもはや意味をなさない。気になってしまったものは気になってしまったのだから。


 わざと自分から同じ駅で降りたのではない。ただ、偶然にもあの女性も僕の最寄り駅で降りてしまったのだった。違う駅で降りていればこのような状況になることもなかったはずだ。


 電車から降りたときに彼女が後ろをチラッと振り返った。その瞬間目が合ってしまったのだ。いや、遠目からであってもしばらくの間彼女のことを見ていたのであるからこんな状況になるのも必然だったのかもしれない。僕はなぜか目を逸らすことがことができなかった。


 そして、僕に気付いた彼女がニコッと笑顔で近づいてくるではないか。彼女の予想外の行動に僕は驚きのあまり一歩、二歩と後ずさってしまう。


そんなことはよそに彼女が「久しぶりだねっ、元気だった?」と僕に声をかけてきた。透き通ったきれいな声だった。


―どちら様でしょうか?―それが僕の本心だった。しかし、こんなに親しげに声をかけてくれたのだ、僕の記憶力が悪いだけでこんな質問を投げかけるのが失礼に当たってしまう関係なのではないか。

思考を巡らせているうちに彼女は首を傾げ、きょとんと不思議そうな表情を浮かべ始めた。彼女の頭上に現れた「?」がどんどん大きくなっていた。


「おー、久しぶりじゃーん!元気元気」


耐えられなくなった僕が修羅の道を選んでしまった。経験上、会話の中で相手が誰なのか特定することができると思っていた。そうして会話をしながら僕は脳内の検索エンジンをフル稼働させ始めた。


「サトウ君って、今この辺に住んでるの?」


「そう、大学出てからこっちで一人暮らししてるんだ。」


「そうなんだー。私は最近引っ越してきたばっかりなんだ。ちょっと時間ある?」


なるほど最近越してきたばかりなのか。それでは、この一人暮らしの5年の間に出会った人は候補から削除しておいたほうがよさそうだ。それと、彼女が僕の名前を呼んだことからやはり人違いではないようだ。


 運がいいのか悪いのか、今日はこれから予定がなかったので断る理由などなかった。あと、このまま彼女の正体にたどり着くことができなかったのなら、気になって夜も眠れなくなってしまうだろうと思ったのだ。


 こんな流れで僕たちは近くのカフェに入ることになった。この店は、テレビでも取り上げられたことのある有名店のようで、多くの会社員が帰宅の時間を迎えているということも相まって、店内はそれなりににぎやかだった。


「ご注文はお決まりでしょうか。」


慣れた動きでお冷とおしぼりを並べると店員さんが注文を取りに来た。背は低く、髪が短い幼い顔つきの店員さんだった。


「ブレンドコーヒーを2つお願いします。」


「かしこまりました。少々お待ちくださいませ。」


僕が注文をすると、板についたスマイルを見せ厨房に戻っていった。ネームプレートを見ると、下の名前が『自由』と書いてあった。珍しい名前だなぁ、なんて読むのだろうか。


「突然ぼーっと考え事するところも変わんないねぇ」


失礼ながら、僕は二人で来ていた事を忘れてしまっていた。今の言葉で僕の癖を知っている素振りからそれなりに親しい可能性が高いことが分かった。

【学生時代(たぶん)  癖を知っている  綺麗】で検索してみよう。


「そうかなぁ、自分ではあまり気にしたことなかったな。部活何やってたっけ?」


高校1年のとき隣の席だった‘愛ちゃん‘ではないかと考えた。2年以降はクラスが違っていたため疎遠になってしまったが、1年の頃は確かによく話していたことを思い出したのだ。そう思えば、なんとなく面影があるような気がする。そう思い、切り込んでみる。たしか、‘愛ちゃん‘はバレー部だったはず。


「何言ってるのよ、あたしずっと帰宅部だったじゃん。」


―違ったかー!―完全に失態を犯してしまった。なんとか不審がられないようにしなければ…


「あー、そうだったよね!さっきから思ってたんだけど、すごくスタイルいいし、きれいになったよね。」


我ながら雑すぎる気がするが、ここは話題を変えるしかない。瞬時に機転を利かせた会話をするなどという技術は残念ながら持ち合わせてはいない。

学生時代の知り合いである事は間違いなさそうだが、僕にはこの女性が中学時代の知り合いなのか、高校時代の知り合いなのかもまだ検討もつけられていない。

それにしてもこんなきれいな人なら流石に憶えている気もするが、やはり女性は学生時代から変わるからわからないものなのか。


「え〜、サトウ君にそんな事言われると照れるねっ」


思惑通りいったのか、見事不審感は払拭できたようだ。


「そう言えば、こうやって会って話すなんて何年振りなんだろうね」


何とか次のヒントを得なければならないので、僕は攻勢に出た。


「うーん、そうだねぇ。あっ、成人式の時の同窓会じゃないかな!?」


「あー、成人式の時ね。実は入院してて行けなかったんだよね。」


「そうだっけ?ごめんね、あたしも記憶曖昧でさ」


えへへっと彼女はバツの悪い表情を浮かべる。

そう僕は運悪く成人式のタイミングで盲腸になってしまい手術のため入院を余儀なくされていたのだ。


「3年前にも同窓会的なやつやったじゃん!」


あっと思い出した彼女が得意げに僕に指差して言った。表情の豊かな人だなぁ。


「あったね!そんなの。」


―なんだと!3年前?同窓会的なやつ?聞いてないぞ!―誘われてない事を知った僕は虚しくなった。

が、しかし、そんな本音を言ったらますます微妙な空気になりかねないので、行ったフリをするしかなかった。動揺を見せる訳にはいかないんだ。


「楽しかったね!またやりたいねー」


「サトウ君が企画してみたらいいんじゃない?」


「僕が企画したところで人集まんないでしょ。人望もないしさ」


「そんなことないよー。友達多いイメージだもん」




「お待たせしました。」


先程の小さな店員さんが注文していたブレンドコーヒーを持ってきた。


「ありがとうございますっ」


彼女がにっこり笑って店員さんにお礼を言った。こうやって誰にでもはっきりと感謝の気持ちを言える人は素敵だなと思う。普段から”言葉に出す”ということを意識していた僕は勝手だが、彼女と距離が近くなったような気がした。


そんなことを考えていたら店員さんがいなくなってしまいそうだったので、慌てて感謝の言葉を述べた。そんな僕の姿を見て彼女がクスッと小さく笑った。

【学生時代  癖を知っている  綺麗  クスッと小さく笑う】


その笑い方を見て僕は、中学校の時生徒会で一緒だった‘里美ちゃん‘だと感じた。静かであまり笑わない印象の‘里美ちゃんだったが、時々僕がふざけて見せるとクスッと小さく笑ってくれた。昔よりも性格は明るくなったみたいだが、笑い方は変わらない。僕の初恋の人だ。僕はすでに試合に勝利したような気分になり、テーブルの下でこっそりとガッツポーズを決めて見せた。


「中学の時、生徒会のみんなで夜遅くまで学祭の準備したの楽しかったなー」


僕は思い出に浸るように言葉に出した。


「そっか、サトウ君って生徒会だったっけ」


―え?なんだって?―バタン。僕の描いていたビジョンが崩れ去る音が聞こえた。


「あたしあの頃はめんどくさいし興味なかったんだよね。でも、すごく楽しそうだったし、そういう経験もしてみればよかったって今なら思うんだ」


彼女が顔の前で掌を合わせ寂しそうな表情で続けて言った。


―なぜだ!―こんなにも確信を持ってストライクゾーンに投げこんだつもりだったのに、ところがどっこい完全にボールだった。クスッと笑うところが変わらないとか何とか言っておきながら…

恥ずかしいにもほどがあるぞ、自分。そして、ますますわからない。―誰なんだ君は―


 彼女がトイレに行くため席を離れた。無防備にも鞄が椅子の上に置かれたままだった。


『あの鞄の中を調べれば、彼女の正体がわかるかもしれない』

僕の心の中の悪魔が囁いた。


『いや、そんなことをするのは人間としてどう思う?僕の心の中にも罪悪感というものがあるだろう。』

僕の心の中の天使が対抗する。


『これは絶好のチャンスだ。このチャンスを逃すと後悔することになるぞ!』


やはり罪悪感はあったが、このチャンスを逃したくなくてつい悪魔の誘いに乗ってしまった。


周りの状況に気を配りながら、鞄に手を掛ける。まるで泥棒になったような気分だ。自分でも心拍数が上がっているのがよくわかった。一度決めた事だ、途中で逃げるわけにはいかない。僕は無駄に決心を固めた。


鞄の中を見ると、すぐに財布を見つける事ができた。中身を確認する。現金はそれなりに入っていた、否、そんな事はどうでも良いのだ、そんな事をしていたら本当に泥棒になってしまうだろうが。

僕は彼女の正体を突き止めなければならないのだ。

自分を叱咤し、身分証明になるものを探した。

しかし、それらしいものが全然見当たらない。すると、トイレの方から扉の開く音がしたので、僕は慌てて鞄を元に戻す。

全くこんな心臓に悪い事するものではなかった。結局何も得られず、残ったのは罪悪感だけだった。




「サトウ君は、今何の仕事してるの?」


「建築のデザイナーやっているんだ。家の内装とか考えたりね。」


「そっか。すごくお洒落な家作りそうだねっ」


「ありがとね。そういえば、最近引っ越したって言ってたけど、何の仕事してるの?」


「あたしはね〜」


彼女が僕の質問に答えようとした時、彼女の携帯が着信した。


「ちょっとごめんね、時間が早まってこれから仕事に行かなきゃ。」


「忙しいんだね。」


言いながら僕は彼女の正体を明かす事ができなかった敗北感でいっぱいだった。


「そうだ、連絡先交換しよ。LINEやってる?」


「もちろん!」


―もう僕の負けだ、正解発表して貰おうではないか―


LINEの名前の欄には'三鷹 絢'と書いてあった。

―誰なんだ?―名前を見ても思い出せない。


「サトウ君って下の名前…涼太…ダッタ、ヨ、ネ」


何やらカタコトのような言葉遣いで彼女が尋ねてきた。


「いいや、僕の名前は将太だよ」


「名前カワッタノカナ?」


引き攣った笑顔で彼女が尋ねる。


「ほえっ!?」


彼女の突飛な問いに思わず変な声が出てしまったが、当然そんな訳がない、僕は生まれこの方将太でしかない。


「でも、サトウ君、緑山中学校だよね?」


―いいえ違います。-


「いいや、僕は緑ヶ丘中学校だけど。」


「そっか、そうだよね。あ、あたし仕事あるからっ」


彼女は足早に去って行ってしまった。これは完全に人違いだったらしい。でも、思い返すと何だか面白い経験をさせて貰った気がする。何故か悪い気はしなかった。楽しい人だなぁ。




翌日は土曜日で仕事も休みだったので、気まぐれで両親と妹に顔でも見せに行こうかと思い立った。


居間でくつろいでいると、だらしが無い妹のものだろうか、テーブルの上に無造作に置かれた一冊の女性ファッション雑誌が目に入った。その表紙を見て僕は絶句した。


"三鷹 絢が魅せる『上品に際立つ』春の最新ファッションコーデ"


というキャッチコピーで売り出されたこの雑誌の表紙は、僕が昨日会った『あの女性』だった。表紙一面に映しだされた彼女は非常に美しくキラキラ輝いていて、僕は思わず見惚れてしまっていた。







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