第22話 契約と帰還

 新生してから、この方感じたことの無い力が体内で脈動する。

 矮小な小鬼霊子結晶を幾ら食もうとも、得られぬ万能感。

 精霊の中でも最も大きな端末を取り込んだ恩恵は、我が求める基準に達した。

『これならば問題あるまい』

 小僧がどれほどの窮地であろうとも、我は力を使えなかった。

 否、使おうとしなかった。

 それは小僧に言い当てられた通り、小僧の所有権を奪い返すため。

 神性存在から小僧の所有権を奪い返すのは、力を引き継いでいない矮小な我では不可能だった。

 完全なる力の継承を行えば、小僧の所有権は奪い返せるだろう。

 だが精神を守る肉体が無い状態で遺物の継承を行えば、我は我と言う存在を消失させてしまう。

 だから魂の領域を覚醒させる。

 だが足りない。

 だから霊子結晶を取り込み、魂の最大容量は拡張する。

 だが足りない。

 だから世界から供給される魔力を圧縮する。

 だが足りない。

 一日で足りないならならば、一週間、一ヶ月、一年。

 だが足りない。

 一度でも力を使ってしまえば、我が蓄積していた力は風船に穴を開けるように抜けていく。

 魔力を圧縮する際に出る漏れ出る火花を、霊子結晶を燃やす種火として使うのが精々。

 小僧が死に瀕するたび、臍を噛む思いだった。

 小僧が死に没するたび、腸が煮え返り狂った。

 何度内で自身の不甲斐なさを呪った事か。

 何度こえに出し、我の物に手を出すなと叫ぶ衝動に駆られたことか。


 だが、ここに条件は整った。


 あと悲願の達成条件に後必要なのは――

『小僧。先程の死神の前で“対価を払えないから呪詛は解かない”と言ったな』 

「そこまで明言はしていないけどね」

『ちゃちゃを入れるな。対価を払うならば解いて欲しいと言うことで相違ないな?』

「そうだね」

『ならば貴様の魂魄と肉体の全てを対価として我に差し出せば、魂魄を蝕む死の呪詛を解いてやろう』

「はい!喜んで!」

『しかし、躊躇うのも仕方―――』

 逡巡も躊躇いもなく大変いい笑顔で返された。

 次に決めていた言葉が意味を無くす。

『分かっておるのか?魂魄と肉体の全てを我の物にすると言うことは、小僧の生殺与奪の権利だけではない!死後の魂も転生の輪に戻ることすら―――』

「いいよ。小竜にならいい。俺の全部やる」

 静かに、柔らかく、しかし、力強い聲に魂が奮える。

 いや、ずっと奮えているのだ。

 生まれてから今に至るまで。

 それが当たり前すぎて、とっくの昔にどうにかなってしまっただけだ。

「寧ろ魂魄と肉体だけで良いのか?心は?」

『わ、我は別に人形が欲しいわけではない。心は自由であるからこそ尊く価値があるのだ』

 目の前の存在が、我の言うことを全て是とするだけの人形になるなど、我が我としてある限り許さぬ。

「そうか。うん、確かにそうだ。自由であっても、俺は小竜とずっと居たいんだからいいか」

『では良いのだな?』

「『ティファニア・ストラトスは、心を除く己が全てを小竜に贈る』」

 同意の言葉を以って、全ての条件は揃った。

 体内に渦巻く力を、望むべき力に変える。

 変わりゆく力の奔流は、光輪として顕現した。

 しかし、顕現しただけでは足りぬ。

 取り込んだ全ての力を注ぎ込み、日輪の如き強さを宿す。

 巨大化した光輪の力を圧縮し、錬成し、収束し、練磨し、収斂する。

 気が付けば顕現した時と同じ大きさまで小さくなっていた。

 我の前に浮かぶ光輪。

 それを小僧の元へやろうとするが、移動するだけの余力が無い。

 小僧の手に誘導され、光輪ごと胸元に寄せられた。

 力の生成と維持に全ての力が使い果たしていた事を見透かされ、何故か羞恥心に襲われる。

 だが、それも全てが終わってからでいい。

 小僧の胸元を守る装具が、近づけた光輪に焼かれ中身を露にする。

 忌々しい痣。

 正体を直視できぬ苛立ちの原因。

 返してもらうぞ。

 これは元々我の物だ。

 呪詛を囲むように肌に触れる光輪が、小僧の胸に我の証を刻み込んだ。



 焼ける痛みは、初めだけだった。

 小竜の光輪が身体に刻まれると、光輪の炎が内と外に伝播し火の粉が舞う。

 炎が伝わった場所から、小竜の存在を強く感じる。

 胸から伝わった火は、五体の端々まで行き届くと火の粉は消えた。

 炎が長年見慣れた死の呪詛も燃やし尽くし、光輪が刻んだ痕だけが残されていた。

 新たなあかしは、炎で形成された光輪の形状。帯状の炎の部分は赫色に染まり、燐光を放っている。

『さて呪詛を解いて対価を貰ったはいいが、対価の過不足が発生してしまったようだ』

 どこか芝居じみた小竜の言葉に疑問を抱くが、口を挟むことを良しない気配に沈黙で答える。

『我が貰いすぎたようだな。対価には――そうだな我に名を付ける権利をやろう』

 言われて漸く気が付くあたまに、大鬼に殴られた以上の衝撃が走る。

 小竜と呼ぶことに慣れすぎていて、気が付かなかった。

 “小竜”は小竜の名前ではなく、母さんが仮の呼び名として付けた物だ。

 在って当たり前の物がないというのは、どれほど寂しい物だろうか?

 こんな状況でなければ名を強請ろうとしない小さな竜に、良き名を、愛しい名を。

「では小竜にティファニア・ストラトスから名を贈る。貴女の名はウル。『ウル―――』」

 最初の二音以降は、ウルにだけ聞こえるように囁く。別に誰かに聞かれるわけではない。

 でもウルと俺だけの名にしたかった。

『ウル』

 口の中で転がすように、名の味を試す。

 存外気に入ってくれたようで、尻尾が左右に揺れている。

『小僧のセンスにしては―』

「ティファな」

 いい加減付き合いは十年に届きそうなのだ。丁度良いので名前呼びに矯正しよう。

『む、テ、ティ――呼べるか!恥ずかしい!』

「名前で呼ばないと返事しないからな?」

 なあなあで済ませる気はないし、後一音で止めるなんて器用なことをする。

「逆に名前を呼ぶだけで恥ずかしいとかどうなんだ?」

『こ、小僧には計り知れぬ深淵の――って聞かぬか!』

 何か騒いでいるが、とりあえずウルが俺の名を呼ぶまでは無視する方向でいく。

 しかし、今更ながら酷い格好だ。

 左腕と胴体周りは、大鬼の打撃でズタズタになっているし、胸元はウルの光輪が焼き切って地肌が丸見えだ。

 他にも所々、地下水路を流されている間に削られたと思しき損傷がちらほら。

 まともに装具として機能しそうもない。

 魂も度重なる魔力の枯渇状態で、急激な眠気が襲ってくるが霊子結晶の予備も無い。

 強化外骨格半壊。

 道具も品切れ。

 唯一ある匣の中身も魔力か術式が無ければ、道具も作れない。

「それでも負ける気しないんだよな」

 全てが終わるのを待っていた――違うな。

 ウルの光に恐怖したのだろう。

 岩陰から、巨影が滲み出る。

 大鬼、否、そこに鬼の魂は無い。

 俺と同じように激流に流され、溺死した鬼の魂を怨霊が食ったのだ。

 怨霊の魂は以前とは比べようもないほど、力に満ち溢れている。

 当然だ。

 共鳴するほど最高の相性だった大鬼の魂を食べたのだ。

 Aランク相当の力に目覚めている。

 絶対的優位に立ち、決して詰めようとしなかった距離を嬲るように近づいてくる。

 その動作一つ一つが、怨霊の傲り高ぶる心を表す。

「お前馬鹿だろ?」

 思わず音として発してしまった。

 極度の精神的疲労と相手の馬鹿さ加減に、心の贅肉が付いたようだ。

 俺の言葉に、怒りを表す怨霊。

 なにか叫んでいるが、正直どうでもいい。

 怒っているのは俺の方だ。

 圧倒的力?

 浅薄が!長所である隠蔽技能で、存在を全く隠せてないだろうが!

 鬼の魂を食った?

 阿保が!自分以外の魂と共鳴したおかげで、精霊の眼ですら感知できないような隠形が使えたんだろうが!

 独りでしかないお前がどれほど力を付けようと、二人である俺たちが負ける要素が皆無だ馬鹿が!

 音にも聲にもならない思考という贅肉を燃やし、熱量に変える。

 怨霊が支配した大鬼の躯は、右額と右腕から霊子で構成された角と腕が生えている。


 霊子の腕が伸ばされ俺の身体を掴み――俺は紙でも破るように怨霊の腕を引き裂いた。


 叫ぶ怨霊の頭に飛び乗り右側の霊角を握りしめ、小枝でも折るようにへし折る。

 痛覚の無いはずの怨霊がのたうち、声にならない絶叫を上げる。

 滑稽だ。

 まさか、死者が屍霊術師に勝てるとでも思っていたのだろうか。

 愚鈍だ。

 四百を超える精神構造からみれば、高々数十の精神構造など砂山を崩す程度の労力でしかない。

 砕かれた右腕と角は再構築する事が出来ず、霊子が収束しては霧散している。

 間抜けは、まるで化け物を前にしたように震え上がり、少しでも距離を置こうと這うように後退する。

 が、もうこの怨霊に付き合うのも飽きた。

 大鬼の殻に籠る怨霊を引きずり出す。

 無理やり触媒から引き剥がされた反動で激痛に苛まれるが、悲鳴を上げる時間すらやらん。

 掴んだ霊体を引き裂き、霧散させる。後に残ったのは怪しく輝く藍色の魂だけだった。

『ティ、ティファ…』

「どうした?」

 弱弱しく恥ずかし気に呼ぶ名に、直前まであった些事は投げ捨てられた。

『う、うむ。こう慣れんな…』

 照れたウルが可愛すぎて辛い。そうだ。

「ウル丁度いいところに回復用の魂が手に入ったんだ。ちょっと燃やしてくれるか?」

『任せろ!ティ、ティファ』

 藍色の光を赤く優しい光に変える。最後くらい役に立ったな。

「魔力が回復したら家に帰ろうウル」

『うむ。そうだな』

 二人で魂の篝火に当たりながら、地底湖で一時の休息を取った。

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