石楠花

瀬海(せうみ)

石楠花


 はい、そうです。ここは中学校の敷地です。

 見ていただければ判る通り、裏手は墓地になっています。

 今は廃校になってはいますが、こんな近くにお墓があるだなんて、当時の生徒たちはさぞ怖かったことでしょうね。校舎のすぐ後ろ、手が届いてしまいそうなところに死体が埋まっているわけですから。怪談も絶えなかったことでしょう。

 それも、授業中にも簡単に見えてしまうような位置です。あなたにも経験、ありません? 野良犬が校庭に迷い込んできて、大騒ぎになってしまったこと。それと同じように、死体が入り込んできて騒ぎになることもあったのかな、なんて。

 いえ、他愛のない妄想です。

 聞き流していただいて構いませんよ。こんな風にわたしは、取り留めのないことを喋り続けるでしょうから。……もっとも、全部が全部聞いてもらえなかったら、拗ねてしまうかも知れませんけれど。

 ところでどうして、こんなところに?

 観光、ですか。

 漁業くらいしか取り柄のない、小さな離島ですよ。

 唯一の学校もご覧の有様です。過疎化? いえいえ、そういうわけではないのですが。

 そのくらいの年齢の子たちは皆、今は本土の学校に通っているそうです。ここでしか学べないことも確かにあったでしょうが、人数が少ないと学力水準は落ちてしまいますからね。時代の流れとはいえ、少し寂しい気もします。

 そういう事情もあるので、あなたのことは歓迎しているんですよ? 余所者は嫌われるだろう、なんてのは要らない心配です。心ゆくまでお楽しみいただければな、と。


 ……どこをご覧で?

 あぁ、お墓、ですか。

 珍しい形式ではないと思いますけれど。

 小さな島ですからね。平地が少ないんです。こうやって丘の斜面に沿っているのは、そういう事情もあってのことだと聞いています。

 棚田みたいだなって、こういう風景を目にする度に、そう考えます。段々状に区画が分けられていていますが、それでいて全体として見ると色は全く同じ。統率がとれているとすら思います。思いません?

 この形式の名前、ですか。それは判りません。恥ずかしながら、不勉強なもので。

 日本語って面白いですよね。一目見て由来が判るような言葉もあれば、背景まで知らないと納得できない言葉もある。でも、すぐ判る言葉の方よりも、なかなか意味の分からない言葉の方がよく使われていたりするものです。それこそ「名前」とか。

 ほら、名の前にあるって、苗字じゃないですか。それがどうして両方を引っくるめた意味になってしまったのか。でも、「下の名前」とは言いますけれど、「上の名前」とは言わないですね。不思議ですよねぇ。まぁ、単純に「苗字」って言えば済むからかも知れないですけれど。

 わたし? わたしは本土の出身ですよ。ここの人間じゃありません。

 どうしてここに来たのかって? ……あなたに話させておいてわたしが話さないなんてのは、確かに不平等ですね。

 実は、少し前まで生死の境を彷徨っていたんです。

 はい、事故でね。それで入院している最中に、この島の名前を呟いていたそうなんですよ。ここは母の故郷の島で、幼い頃はよく連れてこられたりしていたんですが、最近は全くの没交渉で、考えもしていなかったって言うのに。

 で、気になってちょっと調べてみたら、ここに住んでた大叔父が、事故の少し前に亡くなっていたそうで。幼い頃にしか会ったことはありませんけれど、もしかしたら、お前はまだこっちに来るな、って言ってくれたんじゃないかと。

 はい。これも妄想です。

 人によれば、馬鹿な話だって笑われそうですね。

 でも、わたしにとっては大事なことなので。丁度秋彼岸にも入りましたので、寄ってみようかと思って、ここに居るわけです。


 風が生温いですね。

 暑さ寒さも彼岸まで、とはよく言いますが、最近は肝心の彼岸が延びてきているようで。言葉が時代によって変容するのは、こういう背景があってのことなのでしょうか。

 ちょっとお墓の方まで行ってみましょうか。

 そこ、気をつけてくださいね。もう使われてはいませんけれど、側溝がありますから。割れた窓ガラスの破片とかも散乱しているので、意外と危ないですよ。

 斜面に作られたお墓。

 どうして、斜面なんでしょうか。

 この島に限れば平地が少ないって理由で納得できますが、別に本土にだってこういう形式はたまに見かけるでしょう。ほら、丘のてっぺんに仏教と関係がありそうな像があって、そこから降りていくように段々と墓石が連なっている形式。

 仏様に見守られているということでしょうか。もしくは、この統率がとれた全体を見ていると、上からの指示に従っているようにも思われます。

 ……え。あぁ、わたしは無神論者ですよ。こういう時だけ神様を持ち出して、都合の悪い時には顧みることさえしません。

 でも、大体の日本人がそうじゃないですか。もしも何かの教えに従って「死後の救済」なんて言葉を口にしたら、むしろ異端だって、危ないやつだって、そう思われてしまいかねません。皆救われたいとは思っているはずなのに、それを口にするのは許されないって風潮。うーん、難しいですねぇ。

 ほら、着きました。ここからならよく見えますよ。この丘の頂上にも、仏様が立っています。

 棚田みたいだ。

 やっぱり、そう思います。

 秋彼岸。お墓参りの時期とお米の収穫時期が、何故か重なっているからかも知れません。

 ならこの「棚田」では、何が収穫されるんでしょうね。斜面に沿って降りていく、この墓石からは、一体何が。

 話が飛躍している?

 すみません、わたしの悪い癖です。でも、面白そうじゃないですか? 少し考えてみましょうよ。

 まず、棚田だったら、お米ですよね。

 つまり、食べ物です。生きるために必要な食料を、斜面で育てて時期になったら収穫してしまう。奇しくも、今がその時期に当たっているのはさっき言った通りです。

 このことに、何か意味があるような気がしませんか? しない? ……そうですか、わたしは良い線いっていると思ったんですが。

 風が生温いですね。


 あ。

 石楠花だ。

 わぁ、高いところに咲くのは知ってましたが、こんな墓地にも咲くものなんですね。見てください、白いドレスを着ているみたい。とても優雅で、艶やかで、今から舞踏会にでも行こうとしているみたい。

 喪服のようにも見えます。黒い喪服は死者の冥福を祈るものですから――白い喪服は、生者の冥福を祈っているのでしょうか。そもそもそれは、もう「冥福」ではないかも知れませんが。

「冥福」もなかなかややこしい日本語です。聞いた話だと、もともとは皮肉めいた意味で使われる言葉だったそうですよ。まぁ、この際それは置いといて。

 生者のための喪服。そう考えると、面白いです。この時期、白いカッターシャツを着ていた生徒たちは、等しく喪に服していたことになります。……また話が逸れましたね、申し訳ない。

 何の話でしたっけ。

 そうそう、食べ物の話です。

 秋彼岸の時期、棚田ではお米が収穫されます。

 では、「棚田」では?

 同じように、人が集まります。

 先祖を供養するために、沢山の人がお墓参りにやって来る。どこからともなく、それぞれの来歴を他人に知られることもなく、遠路はるばるやって来てはお墓に「実る」。つまり彼らは、収穫されに来るんです。あはは、面白くないですか? わたしもここに寄って漸く、秋彼岸の意味を知った気がします。食べ物なんですよ、みんな。

 それこそ、今のあなたのような。

 ……どうしたんですか? 顔色が悪いですよ、ちょっと休憩しましょうか。

 でも、一体どこで休憩するんです?

 あなたは今、どこに居ると?

 お墓に「実る」人々は、どこからともなくやって来ます。それこそ、彼らが現実からやって来ようが、その向こうからやって来ようが、わたしたちにそれを知る術はないんです。たとえば彼らが、あなたが「向こう」からこっちにやって来たのだとしても、そんなことは同じく、知る術がありません。

 え?

 あぁ、気づきましたか。

 そうです、

 秋彼岸ですよ? もう九月です。石楠花が咲くのは四月頃ですから、本来はこんな時期に咲いているはずがありません。いくら彼岸の時期がずれてきているとは言え、あはは、流石にそんな馬鹿な。


 ――風が、生温い。

 獣の息のよう。もしくは死者の。

 集まった食料を喰らおうと、どこかで息を潜めている。

 どこへ行くんですか、そんなに急いで? 逃げる場所なんてありませんよ。ここまで来てしまったあなたには、すでに「止める」なんて選択肢はありません。このまま最後まで進むしかないんです。そう、読み進めるしかない。

 わたしは何者かって?

 もうお気づきだと思いましたが。

 先ほど申し上げた通り、事故に遭ってしまいましてね。母方の故郷ですし、死ぬ直前に名前を呟いていましたので、ここに埋葬されたらしいです。呼んでくれた大叔父も、仲間が増えた、って喜んでくれました。

 逃げるのなら、お好きにどうぞ。

 ここがどこだか判るのであれば。

 ほら、石楠花の花が咲いている。

 あなたのための喪服です。

 わたしもあなたのために祈りましょう。ええと、こういう時はなんて言うんでしたっけ? 折角の命をいただくのですから。

 あぁ、そうそう。そうでした。

 では――いただき ま

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