第2話


「ち、違いますよ」

 大慌てで否定するけれど、彼女に信用した様子はない。じりじりと後ずさりしている。出会いを優先しすぎたか……。

「だって、さっきまで私ここにいて、理科準備室に行っただけなのに」

 高速で移動したとしか。とまん丸い目をさらに丸くして怯える女の子。ごめんなさい、瞬間移動したんです。

「普通に校門から来ましたよ」

「OBさん、ですか?」

 そうだと言えば楽ちんなのだろうけど。質問責めにあっては敵わない。

「いえ、転校したばかりなので、ふらふら歩いてたらこんなところに。あなたと多分同い年ですよ」

「じゅう、ごさい? そんな、見えないです。大学生くらいじゃないんですか」

 実際20いってるんだけどね。動物のころは楽だった……。と、しんみりしてる場合じゃない。あの頃は草食ってればよかったけれども、今は夢を食べなきゃ生きられないのだ。

「よく言われます。でもほんとに15なんです……いつもそういって敬遠されちゃって」

 肩を落とせばちょろいもので、なんだかわかります、それ。と垂れた目尻を細めて女の子は悲しげだ。

「ここでも友達出来るか不安なんですよ……」

「な、なら私でよければお話、しますよ。全然します」

「本当ですか!」

 本当にちょろいな。女の子は上目遣いに、名前は? と聴いてくる。いつもは自分から名簿を見て覚えるのだろう。そういうタイプだ。

「私はのぞみ。希望の希でのぞみです」

「私は……七海。七つの海でななみ、です」

 どっちも◯◯みだ。奇妙な偶然もあるものである。七海ちゃんは、じゃあもうここに転校したんですか? と私に問う。同い年だと言ったのに律儀なものだ。私も、いえ、まだですと返す。

「なら校舎入っちゃだめですよ」

 おまけに真面目。でも、七海ちゃんと話したいし。と言えば、彼女は真っ赤になって俯いた。可愛い。

「な……ら、秘密基地に、行きますか。多分知らないと思うんですけど」

 勿論知っている筈がない。この調子だと彼女の夢——親友がほしい——はかなり早く叶いそうだ。にしても彼女、こんなに警戒心が薄くて大丈夫なのか。夢もチョロすぎる。チョロすぎて妖力を使うまでもなかった。私が親友になればいいのだ。それにしてもチョロい。他の獏に目を付けられないか心配である。お手つきがあるとはいえ、所詮17番の物。無視する輩はきっといる、いや、いるに違いない。渡すか、私のだぞ。まだ食べてないけど。

 少し胸がちくんとした。でも、私は気付かなかったフリをして、こくりひとつ頷いた。


「海……」

「遠くから見えるだけですけどね。七海が海へ、なんて」

 七海ちゃんは肩をすくめて笑う。照れ臭げなその仕草は彼女の癖らしい。片えくぼなのだなとどうでもいいことを思った。

 獏だった頃には訪れたことのない場所——海——が、山あいの崖から広がっている。女の子らしからぬその場所にくるまでにはやはり、野性味溢れる山道を通ってくる必要があり、慣れない人の身にぐらつく私に七海ちゃんは丁寧に「そこ躓きます」「こっちの方が平らです」と教えてくれた。随分山歩きに熟れている。きっと何度も通ったのだろう。妖怪にしか見えない山に住まう者たちも、彼女に心を許しているように見えたので、自然を大事にする子なのだと自然に理解できた。

「潮の匂いがして、お気に入りなんです。ここ、いつも来るから。よかったらここで会って下さい」

 おどおどと問いかける七海ちゃん、やっぱり可愛い。動物だった頃や異界にいた頃も可愛いものはあった。うさぎとかすねこすりとか。けど、それとは違う可愛さな気がする。なんというか、真綿で包んで撫で回したいような……気持ち悪いな。何だそれ、私は妖怪だぞ。

「だ、だめですか」

 灰色の瞳が潤む。何だか物凄く悪いことをしている気分になって、私は平謝りした。

「勿論会いますよ。でも、それなら敬語はやめて欲しいな、なんて」

 ぱああ、という効果音が聞こえた気がした。それくらい喜色満面になった彼女はありがとうございます! とぺっこり頭を下げた……って待って、リュックのチャック空いて、あああああ!

 どさどさどさ!

「ひゃあああ! 何で⁉︎」

 チャックが空いてたからじゃないかな……。

 黙って手伝えば、今度は彼女が平謝り。というか、八割やめてください、だ。

「なんでですか」

「こんな綺麗な人に、土ついたもの拾わせられません!」

 ふむ。私は美人らしい。

「それ言ったら七海ちゃんも可愛いですよ」

「ほえ⁉︎」

「というか、敬語」

「の、希さんだって」

「私はいいんです。癖だから」

 伊達にカーストワーストやってない。ついでに下働きも堂に入っている。ひょいひょい、手際よく教科書を七海ちゃんに渡す。

「それに、友達が手伝うのは当たり前でしょう?」

 一呼吸置いて七海ちゃんが真っ赤になる。丁度いい、彼女があわあわしてる間に片付けてしまおう……と、これって。

「スケッチブック?」

 取り上げた黒と黄色のそれは素早く掻っ攫われてしまった。

「こ、これは美術の授業のなので」

「タメ口。いいじゃないですか、美術。なんでそんな反応するんですか」

「下手くそだから……」

 まあ、大して知らない人に絵を見られるのは辛いよな。見せてもらえるのを目標にしよう、と割り切ったつもりだったのだけど、どうやら私は分かりやすく凹んでいたらしい。

「い、いつか見せます! 希さんのせいじゃないです」

「そうしてくれると嬉しいです。それから、タメ口。友達なんでしょ」

 あうう、と言った彼女はやっぱり真っ赤だ。友達いないとか嘘でしょ、希さん。とぶつぶつぼやいている。ハイ嘘ですとは言えず、まさか、嘘じゃないですよ。だから七海ちゃんが友達になってくれて嬉しいです、と答えた。実際人間の友達はいない。

「だから希って呼んでくださいよ。さん付けなんて他人行儀です」

「うう……希ちゃん」

 よろしい。

「希ちゃんってイケイケですよね、結構」

「七海ちゃんと仲良くなりたいので」

 とうとう黙り込んでしまった。人間って難しい。いやね、妖怪みたいな縦社会だと意見は言えるところで言っておかないと、酷い役割を振られるものなんだよ。

「も、もう私たち友達なんですか……?」

「秘密基地も教えてもらえましたし」

 夢への第一歩が叶ったというのに、七海ちゃんは暗い顔だ。どうしたのだろうと顔を覗き込んだところで、困り眉の彼女は笑った。

「なんだか怖い。昨日、夢で友達が出来るって言われたんです。その通りになったけど、そう言ってくれたひとはしゅわって消えちゃったから。希ちゃんもそうなっちゃったらどうしよう」

 あ、それ私です。後本当にいずれしゅわっと消えます。……そうか、消えるのか。

「明日も来ます」

「約束ですよ……あ、今日塾なんです。もう行かなきゃ。じゃあ、また明日」

 制服のスカートを揺らして七海ちゃんが去るのを見送りながら私は思う。これ多分手強いぞと。

 何はともあれ夢渡りか、と私は嘆息した。

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