夢喰いは夢産みに恋をする
一匹羊。
第1話
「天使さまですか……?」
いや、獏です。
肩より長いセミロングは艶々として艶やかだ。レースをたっぷりあしらった白いワンピースは膝上の丈で、不慣れな私には少し風通しが良すぎて居心地が悪い。ついもじりとひざを擦り合わせてしまう。いや、普通の服でさえ私にとっては初めてなのだけど。
「ガンバれよ、17番。これでもダメならお前もう後がないからな」
私を変化させた先輩が気安く私の肩を押すので、人の姿に慣れない私は容易くぐらついた。そんな私に記録符を貼ると変化を解く。これで、変化の力がない私でも好きな時に人間になれるというわけだ。
17番。残念ながらこれが私の今の名前である。力のない者はあえなく消えていく。獲物を分け合う弱者は番付され、私は最下位。手柄は悉く同期やベテランに取られて、生まれた当初から面倒を見てくれていたこの先輩がいなければ、獏としての私は終わっていただろう。そう、私は獏……悪夢を食べる、例の妖怪だ。
喰べなければ消える。だけども、捕食にも条件がある訳で、それは捕食される人間が獏を信じていること。獏を信じているような人は大概精霊の加護が付いているため悪夢なんて見ない。そのため多くの力のない獏が取っているのが、徒党を組むこと。人間の情報を共有し、夢見るか弱い者を探す。そうして、人間の元に人の姿で現れて願いを叶えるのだ。これでも妖怪の端くれ、妖術のひとつふたつは使える。夢が叶った頃に真実を明かす。そうすれば現実が『悪夢』になる訳だ。
「本来は社畜とかを狙うのがいいんだがな。あの辺はネームドが総ざらいだ」
「だからあの人たち地獄の中でも毎朝毎朝会社に向かってくんですね……」
「ま、でも日本は自殺大国。10代の死因一位は自殺だ。若いの総当たりすれば空いてる子供の1人2人いるだろ」
先輩は長生きしているだけあって容赦がない。人間からすれば、悪夢を食べる獏は良い妖怪扱いされていることも多いが、実態はない悪夢を作って喰らう、れっきとした悪魔である。
「……また不満げだなぁ、17番よぉ」
「夢を見させて突き落とすなんて、納得いきません……」
「人に触れりゃわかるよ。人間はすぐ絶望するがね、その分前を向き直すつよーいエネルギーを持ってるんだ」
私が人の世界に降りたのは何年振りだろう。悲喜交々は人の物だと思ってしまうのは、いけないことなのだろうか。私のせいで人間が死んでしまったりしたら、死んでも死に切れない。
「……お前は人間より人間らしいなあ。いや、獏らしくもあるか。いいかい、人間と獏は似てるんだ」
「こんな外道とどこが似てるんですか……」
「絶望を糧にするってところ。さ、名前を決めろ」
まさか自分がネームドになるとはなあ。まあ、名乗る時のためと、名前がある方が妖力が高くなるというだけの理由だが。
私は首を捻る。ひねってひねって、捻り出した。
「……希」
「お前らしいな。よし、希。必ず成功しろよ……じゃないと消えるからな」
「はい」
喰べなければ消える。だから喰べる。人の、絶望を。私だって悪夢を喰べて、喜ばれる妖になりたかった……。
夢渡りは、獏特有の技術だ。実は、人の夢というのは所々他の人間と紙一重で繋がっている。そこをすり抜けられるのが獏だ。先輩の憑いた人間の夢に入った私は、そのまま夢中遊泳を続けた。鮮やかすぎる。これはだめ。飛んでる。これもだめ。ここは他の縄張り。だめ。
もうこれぐらいにしようかなあ。だってこんなの、やっぱり憂鬱だ。プライバシーの侵害って感じ。……でも、お腹空いたなあ。生まれてこの方人のおこぼれしか喰べてないもんな。
「どうすればいいんだろう、私……」
「困ってるんですか」
驚いたのは声をかけられたからじゃない。その声が、濡れていたからだ。気付けば随分遠くまで来ていたらしい。その夢は暗い色をしていて、本棚にもクローゼットにも何もない部屋の中になっていた。ベッドに腰掛けて泣いていた女の子が、潤んだ瞳で私を見かける。獏のお手つきは、特に見当たらない。
………………うわー。大当たり引いちゃったよ……。
だけど、この夢は食べ物にはならない。悪夢ではない。悲しみや虚しさを昇華させるための、そういう夢だ。でも、彼女に願いがあるのなら。私はそれを叶えられる——。
「あの、」
「はいっ!?」
まさか二回も話しかけられるとは思っていなくて、私は飛び上がった。何せ今の私は獏の姿なのだ。優しめにいっても喋る動物である。夢だから大胆になれるんだろう。
「お話しませんか」
「え、ああ、はい。大丈夫です」
「さっき、どうすればいいんだろうって……。悩んでるん、ですか」
辿々しい言葉が拙くて可愛い。栗色の髪も、灰色の優しい垂れ目も、小柄な身体も、神隠しに遭わないか心配なほどだ。後多分処女。女の子は早めに捨てとかないと神様に連れて行かれるので要注意である。ちなみに妖怪にとっても処女はご馳走だ。
「うーん……な、中々、パートナーが見つからないなあと」
嘘は言ってない! 後あなたになるかも知れないです! パートナー!
「パートナー……私も、1人で寂しいです。ふふ、おんなじですね」
可愛らしい微笑み。でも、無理してるって分かる。夢の中身がその証拠だ。この子は、自分に何も無いのだと思っている。心象風景がこれなら、望みはきっと。
「どうして1人なんですか? 可愛いのに」
「かわ、……可愛くないです……。可愛かったらもっと、友達がいます。私、ハーフなんです。それで、5歳までは母方の故郷で暮らしてたから、英語の成績が飛び抜けて良くて。嫌味だと思われてるんですよね。そのせいだけじゃなくて、お話も下手だから、みんな……話してくれないんです」
気後れやでそれ。思わず関西弁になって私は突っ込む。
「だから、今……どうぶつさんがお話してくれて嬉しい」
「出来ますよ友達」
「え」
私は長い鼻先を、女の子の手の甲に押し付けた。これが獏のお手つき。これで現実世界でも彼女を追えるわけだ。彼女の手の甲からふんわり、香にも似た柔らかい匂いが立つ。
「どうぶつさんが約束します。あなたには友達が出来る」
私なんですけどね。
友達がいないという、それだけで、こんなに空っぽになっているこの子が哀れで仕方なかった。
アスファルトを踏みしめる。いつもより視線が高い。黒革のリボンのついた靴に、レースをたっぷりあしらった白い膝丈のワンピース。艶やかな髪の毛はセミロングだ。
「絶対これ、先輩の趣味だよね——」
思わず遠い目になりかける。これで顔立ちがぶっさいくだったら容赦しない。いや、先輩はネームドだから17番の私が敵うはずないんだけど。
先輩より、今はあの女の子だ。突如現れた変質者と友達になってもらわなくてはならない。ヒトの中学校が終わるのはこの時間で、誰もいない教室、ここに理科係のあの子は入って来るはず、とはお手つきのおかげで知ったこと。
それにしても空腹が酷い。一ヶ月保つか怪しい。その間にあの子と友達になることで夢を叶えて、それを悪夢にしなければならない……ため息が出た。あの子を喰べるのか。
からから、軽い音で扉が開く。
木漏れ日、木造校舎、薬品の匂い、ふわり一風、柔い頰、靡く栗色。
「……天使さま、ですか?」
いや、獏です。
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