第66話
オープン前の真新しい結婚式場のあちこちを、ミリアと、それから同じモデル会社の若い男を中心にして、カメラマンとヘアメイクアーティスト、秘書が付き従う。プールの傍でブーケを投げ、花々の咲き乱れるガーデンでブライドメイドに囲まれにこやかに微笑み、チャペルの前でうっとりとハーフの容姿端麗な男性モデルを眺めている目には、しかし相手の顔は見えていない。あと数時間で駆け付けてくるであろうリョウの姿しか、見えてはいないのである。
いい表情になってきた、とアサミは感心する。かつては何をさせてもぎこちなく、それ以前に話さえできず、ひたすらカメラの前で固まっていたことを思えば、まるで、別人である。それもこれも、ここ数カ月の経験による、というよりは今日の午後からの催しを頭に思い描いているのであろうことは容易に推測が付いたが、それにしてもいい絵が撮れたと、さすが社長の計画と人選とは間違っていなかったと、心底感心するのである。
まるで発光しているかの如き艶やかな肌に、きらきらと輝く大きな瞳。先日ライブで見たあの輝きが、形は違えど再現されているかのようである。元々細い体躯ではあるが絞り上げたウエストは更に細く、ガーベラのブーケさえも重たげに見える華奢な腕。多くのモデルを見慣れているアサミでさえ、今のミリアは全てが、完璧に、見えた。
撮影は順調に進んでいく。チャペルでの撮影でははにかみながら指輪を交換し、十字架の前で跪く。その姿はあまりにも清純そのもので、アサミは涙が出そうになった。
撮影には式場の責任者やその関係者たちも揃い、いつしか本当の結婚式のような様相となってきた。相手方の社長もミリアの仕事ぶりに満足し、笑みを浮かべながらカメラを覗き込んだりしている。そうして、想定されていた時間よりも一時間も早く、撮影は終わった。
「これから、うちで本当の結婚式を、行うんですよね。」ダブルのスーツを着込んだ、でっぷりとした体躯の式場の責任者が面白そうにそうアサミに話し掛けた。「あのお嬢さんの恋人はいつ来るのですか?」
「三時に到着予定です。」大塚は強張った顔で答える。
「本当に、ご存知ないんですね。」責任者は不安げに尋ねる。
「少々、事情がありまして……。」そう言ってアサミは口を濁したが、式場責任者は即座に「おたくの社長から聞いていますよ。腹違いの御兄妹、なんでしょ?」
アサミは口許にぎこちない笑みを浮かべながら頷く。そう言われてしまえば身も蓋もない。
「ええ……。でも、親から虐待を受けていて、暫くお互いの存在を知らぬまま、別々に暮らしていたようなんです。それで親御さんが亡くなって、一緒に暮らすようになったと……。」
「虐待……。よくニュースで聞くようになりましたよね。あんな可愛い子でも、そういうことが起こり得るのか。」式場責任者は溜め息交じりに言う。
「色々後遺症的なものもあり、社長がどうにかして夢を叶えてやりたいと言いまして。……当初はスウェーデンに行かせようと思っていたようなのですが。」
「へえ! なんでまた?」
「スウェーデンだと、異母、異父兄妹なら結婚ができるそうなんです。でも外国籍の兄妹が行って結婚をしたという事例が無いそうで……。」
ミリアは今度は式場の雛壇で、リボンの付いたケーキナイフを新郎役と共に手にし、にっこりと微笑んでいる。
「外での撮影はもう終わったようだし、ケータリング、そろそろ入れましょうか。」式場責任者がそう微笑みながら言う。「いやあ、楽しみだ。0組目の結婚式。」
「……お願いします。そろそろ招待客も来るかと思いますので。」
「おい、凄ぇな。」
現実離れした白亜の城を目の前に、着慣れぬ弟のスーツに身を包み現れたのはシュンである。
「こんなん、前からあったか? 俺あんまF駅来ねえから、わかんねえけど……。」
「いや、できたばっからしいぞ。つうか、オープン前だって。」と答えたのは、洒落っ気を出して胸元にハンカチーフなんぞを挟んできたアキである。「つうかリョウには言うなってよお、こんな所に来た瞬間モロバレだろ。相変わらずミリアは頭悪ぃな。」
「でもあいつだけじゃねえぞ。モデル会社の社長が、ミリアの撮影ついでに結婚式を挙げちまおうって決めたらしい。」
「無茶苦茶だよな。」アキはそう言いながら、重厚そうな赤煉瓦の門を潜る。「でもそれ以上に滅茶苦茶なリョウにはぴったりだ。」
門を潜ると真っ白なプールに、白と金色のチャペルが建っている。その前ではアサミが他の招待客と談笑をしていた。ミリアの友達に囲まれて、彼女らをけらけらと笑わせているのは長髪を一つに縛り上げた、ユウヤである。
「あれ、ユウヤじゃねえか。」
「おお。」薄いグレイのスーツを身に纏ったユウヤがシュンとアキに気づき、手を挙げる。
「お前も来てたんか。」
「俺はミリアの家庭教師っすよ。可愛い教え子の晴れ姿を看過出来る訳が無い。」そう言ってチャペルを見上げる。「もう、こん中にミリアいますよ。なんつうか、……物凄ぇ綺麗だ。」
女の子たちは式場のあちこちを指差し、写真を撮り、歓声を上げながら、チャペルの中へと入って行く。
シュンはおそるおそるチャペルの扉の奥を覗き見る。
「どうぞどうぞ、お入り下さい。お三方はこちら……。」アサミは笑顔で三人に微笑みかけた。
「おお、遅くなったな! 悪い悪い!」そう言いながら駆け込んできたのは、牧師……、ではない。牧師姿の社長である。
「ええ? あんた、牧師業もやってたのかよ! 手広すぎんだろ!」シュンが慌てて叫んだ。
「まさか。そんな器用な人間じゃあないよ。牧師は今日だけ。……ほら、君らも早く入って入って。リョウが来てしまう!」
と言って、そのままチャペルの中へ走り込む。
「おお、ミリア! なんて綺麗なんだ! こりゃあ、リョウも感激すること間違いなしだ!」声が奥で響き渡る。
「……で、リョウは、まだなの?」シュンが不安気に尋ねる。
「もうすぐ来られます。」
「ふうん。電話、……はしちゃダメか。」アキがポケットから携帯を取り出そうとして再び仕舞い込む。
「どうぞ、中へ。」
シュンとアキはそれぞれ目配せをすると、チャペルの中へと入った。
それからすぐのことだった。地図を頼りにリョウがバイクで門の前に到着したのは。
たしかにここで合ってるはずなのだが、と思いつつも想定外の現実離れした佇まいに、なかなかそこに踏み入る勇気が出ない。ミリアが出てきてくれないかな、と訝りつつ中を覗いた。
「リョウさん!」アサミが向こうから手を振っている。「こちらですよ! 入ってきてください!」
「あ、……ああ。」リョウは周囲を見回すものの駐輪場が見当たらず、渋々バイクを押しながら門を潜る。アサミがそこに駆け寄ってくる。
「あの、ミリアの撮影、終わりましたかねえ。」
「ええ。もうとってもきれいに撮れましたよ。こちらの式場責任者の方も感激し切りで……。」
「で、まだ、着替え終わってないんすか? とっとと連れて帰りてえんだけど。これから携帯屋行こうかなって思ってて……。」居心地悪そうにリョウは尋ねる。
「ちょっとその前に、こちらへ。」
リョウは渋々アサミの後ろを付いていく。色とりどりのパンジーが地面を覆い、真っ白なプールには水が満たされ、そこに陽光が差し込んでキラキラと輝いている。これを見てミリアは大層喜んだろうなと思えば、自然とリョウの頬は緩んだ。
「こちらです。バイクはその辺で結構ですので。」
アサミは焦燥しながらリョウの手を引くと、白石の小道を急かした。
ふと、美味しそうな匂いがする。外でのパーティーの様子でも撮ったのか、ケーキやら酒やら、肉やら魚やら、たくさんの食事がプール脇のテーブルに用意されていた。撮影というのは念入りであるなあ、とリョウは感心する。
リョウは手を引かれながら、ようやくチャペルの前に辿り着いた。金色のリボンがあちこちに飾られ、天使のリリーフなんぞもここかしこに刻まれている。ますますリョウは身を固くする。早くミリアが出てこないかなあ、そればかりを考えていると、チャペルの重厚そうな扉が開き、そこから純白のウェディングドレスを着た花嫁が駆け出してきた。
「リョウ!」花嫁は叫ぶ。
リョウはたじろいだ。なぜ自分を知っているのかと。しかし、それ以前に、何と美しい女だろうと、心臓の奥が握り潰されるような痛みを覚える。そうして、その顔が懐かしい、愛しい顔に変換されると、「……ミリア、なのか?」リョウは腰を屈めて、改めてミリアの顔を凝視した。化粧のせいか、それともこの、豪華なドレスのせいなのか、なんなのか、随分大人びて見える。「……十八に、なった、のか?」そう口を突いたのは決して冗談ではなかった。
「そうよ。」
リョウはごくりと息を呑んだ。
「十八だから、結婚するの。」
リョウの頭は混乱する。いつの間にやら三年が経過して――、ということは高校も終えてしまったのか? 高校生となったミリアと全国あちこちへとツアーに出かけ共にギターを弾き、スーパーで半額で買い込んだ食材で飯を作り、食べ、おいしいねと言い合い、時折は喧嘩もして、それから携帯電話で他愛のないおしゃべりをしてと、そんなことをやりたかったのに……。でも、仕方がない。いつの間にやらミリアはこんなにも大人びて、そしてこんなにも美しくなってしまったのだ。
「そういう、約束でしょ?」
「……あ、ああ。……そうだな。」リョウはぎこちなく肯いた。
ミリアはリョウに抱き付く。
「では、先にリョウさん、中に入って下さい。」
アサミはリョウをチャペルの中に押し込んだ。リョウはそこで目に飛び込んできた光景に、腰が抜けそうになった。
ライブハウスの店員たち、いつぞや対バンをしたことのあるバンド仲間たち、それから美桜ちゃん、その周辺はミリアの友達だろうか、若い女の子がこぞって微笑みを浮かべながら自分を見ている。
脚ががたがたと震え出した。
リョウはこれは夢だ、夢に違いない。三年後の夢を見ているのだ。かつて夢だと知りながら見続けた夢もあったではないか、と自分に言い聞かせた。
「リョウさん、こちらへ。」そう呼ばれた先を見て、リョウは驚愕する。
「社長!」リョウはバージンロードをつんのめるようにして歩いた。「あんた、何やってんだ。会社はどうした。夢とは言え、無茶苦茶にも程があるぞ。」
「無茶苦茶具合は、君には負けるよ。」社長はそう言って悪戯っぽく片目を瞑った。「にしても、ミリアは綺麗だろう。うちの看板モデルだ。」
「違ぇよ。俺の自慢の、……。」その後に何と言っていいものか訝る。ギタリスト? 妹? ……それとも、妻?!
そこに突如フルートの音が響き渡る。リョウはなんだなんだと、周囲を見回すと後方の扉が開いた。リョウは振り返って、更に驚愕した。ウェディングドレスのミリアをシュン、アキ、ユウヤが取り巻くようにして立っている。四人はリョウを見て微笑むと、静々と進んでくる。
そしてやがて、自分の前で止まった。男たちは一番前の席に腰を下ろしていく。
「黒崎亮司さん。」
呼ばれてリョウは、再び慌てて牧師姿の社長に向き直る。
「あなたはこの女性を、健康な時も病の時も、富める時も貧しい時も、良い時も悪い時も、愛し合い敬いなぐさめ助けて、変わることなく愛することを誓いますか。」
「はあ?」リョウの手をミリアが握る。リョウはミリアを見下ろす。ベールに包まれた顔には、満面の笑みが湛えられている。
「誓いますか。」社長は繰り返す。
「……はあ。」
「はあ、じゃないよ。」社長は小声で訂正する。「……誓います、って言うんだよ。」
「……はあ……、誓います。」
社長は笑顔で肯く。
「黒崎ミリアさん。あなたはこの男性を、健康な時も病の時も、富める時も貧しい時も、良い時も悪い時も、愛し合い敬いなぐさめ助けて、変わることなく愛することを誓いますか」
「はい。誓います。」ミリアはリョウの手をつないだまま、はっきりと述べた。
「ではベールを上げてください。」
ミリアは踵を返しリョウに向き合う。リョウは震える手でどうにか長いベールをまくり上げた。
「誓いのキスを。」
「嘘だろ。」リョウは目を丸くして社長を見た。
「嘘じゃないよ。」再び社長は小声で訂正する。
茫然とするリョウに社長が顔を顰め、顎でミリアを指す。リョウは目の前のミリアを見た。ミリアは悲し気な瞳で、つまりはリョウが最も苦手とする表情を浮かべ、じっと見上げている。ごくり、とリョウは生唾を飲み込んだ。
「たった一秒だけじゃねえか。」最前列のシュンが身を乗り出しながら囁く。「しかも人生八十年の内の、一秒だぞ。」
「お前、人生のたった一秒をミリアのために使えねえのか。最悪だな。」アキまでが応戦する。
「クソ兄貴。」ユウヤが真顔でぼそりと呟く。
リョウは勢いよくミリアの両肩を握りしめるや否や、被さるようにしてその唇に口づけた。ミリアは一秒、二秒、三秒、と、体を仰け反らせたまま、目を見開き身を固くした。
顔を離すと、リョウは荒々しい呼吸を繰り返す。ミリアは瞬き一つせずにリョウを見上げている。
「この結婚に反対の方はいますか。」社長が意気揚々と声を張る。「では、賛成の方は温かい拍手をお願いします。」拍手、ばかりではない。どこからか口笛の音も上がるのを、リョウは茫然として聞いた。 いつ、この夢は、覚めるのだろうか。
「本日ここに、黒崎亮司さん、黒崎ミリアさんの結婚が滞りなく成立いたしました。」
後方の扉が再び開け放たれ、眩い陽光が差し込む。そこに、『blood stain child』が大音量で鳴り響き始めた。リョウがミリアの絶望を昇華させるために作った曲。ミリアがリョウのために思い出したくない過去をまざまざと思い出し、完成させた曲。初めての二人の合作。
「……夢じゃねえのか。」顔を顰めながらぼそりとリョウは呟く。ミリアはリョウの腕に自分の腕を絡めると、バージンロードを一緒に歩み始めた。歓声と降り注ぐ花びらに包まれながら、リョウとミリアは顔を見合わせ微笑み、そしてもう一度、キスをした。
BLOOD STAIN CHILDⅡ maria @celica2108
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