第61話
幾つかのバンドのリハが終わり、やがてLast Rebellionの順番となる。PAの指示でまず、アキが片っ端から要塞のように構えられたドラムを叩きまくり、シュンが数種のエフェクターを踏んでは、音質の異なるベースを弾き、そしてミリアの番になった。シュンは訝る。久々のライブだというのに、そしてそれをあんなにも楽しみにしていたというのに、数か月前の破竹の勢いは全くそこには無かったので。淡々と指示されるままエフェクターを踏み、音を出し、そして、終わる。シュンは最後にリョウががなり立て、ギターを弾く間、ずっとミリアを心配そうに見ていた。
「お前、何かミリアに言ったろ?」リハを終え楽屋に戻るなり、シュンにそう囁かれ、リョウはふと考える。
「昨日はあいつの合格祝いに買い物連れていってやって、夜はケーキも買ってやって、凄ぇ喜んでたぞ。なかなかできた保護者だぞ、俺は。」
シュンは睨んだ。「にしては、ミリア明らか元気ねえじゃん。お前、何か言ったんだよ。」根拠のない確信があった。
「そうか?」リョウは楽屋の隅で座り込みながらギターを弾くミリアをちらと眺めた。「生理じゃねえの?」
すぐさまシュンに足元を蹴とばされる。「お前何かっつうと、毎回毎回いっつもそれだな! いつか女にぶっ殺されるぞ。」
「ああ、思い出した思い出した!」リョウはシュンを楽屋から引っ張り出すと、ステージ脇の暗がりで、「あいつな、最近ヤりたそうなんだよ。」と囁いた。
「え? は?」シュンは驚愕する。
「俺と一緒に寝たがるわ、俺が着替えてパンツ一丁になってる所に来るわ、なあ、真っ盛りだろ? ……でもよお、」リョウはシュンの肩に手を置き、「あいつ十五だぞ? お前だってそのぐれえの時期は、飯、寝る、ヤるで頭いっぱいだっただろ? だから、俺も頭ごなしに怒るのはダメだと思って、わかるぞって理解を示してやって、でもほら、せっかく高校にも入れたんだし、バンドもこれから活動増やすんだから、妊娠なんざされたら困るし、性欲は自分で処理しろっつったんだ。」
シュンの顔がみるみる強張っていく。「……マジか。」
「ああ、理解あるいい保護者だろ?」
シュンはしゃがみ込んだ。「お前、なあ……。」
「頭ごなしに怒るより、遥かにマシだろが。」
「お前、それ、女子中学生に言っていい単語じゃねえだろ? 性欲ってよお。」
「だって、教科書に載ってたぞ。保健体育。」
「お前、そんなのまで読んでんのか。」
「ミリア一人に勉強させたら、可哀そうだろうが。」
「じゃあ、その可哀そうなミリアが、性欲だけでお前と一緒にくっつきたがってると、思ってんのか?」
「そりゃあそうだろ。十五だからな。」
「十五は獣か。」
「まあ、十五だしな。」
シュンは頭を抱えながら、ふらふらと楽屋に戻る。そして憐み深い目でミリアを眺めた。
ミリアは時折、ふう、と溜め息を吐きながらギターを弾いている。このままステージに上がったらまずいな、とシュンは思う。
シュンはミリアの横に座り込むと、「元気、ねえな。」と言った。
「そんなことない。」ミリアは気丈に微笑む。
「あいつと、何かあったんだろ?」シュンはステージの方に向かって顎をしゃくった。ミリアは眉根を寄せる。
「久しぶりのライブなのに、そんな顔してんなよ。何か、突っかかってることがあるなら、聞くからよお。」
ミリアは泣きそうな顔つきでシュンを見上げた。
「まあ、何となくわかる、けど……。マジで、あいつ人間的にヤバイからな。悪いなあ。まあ、俺が謝ってもしょうがねえんだけど……。」
ミリアは伏し目になりながら、シュンに囁いた。「ミリアはリョウが好きなのに。……セーヨクって言うの。違うのに……。」
シュンは女子中学生の口から出てきてはならぬ単語が出てきたことに、言葉を喪った。
「それから、朝から、ヤってないよなって、怒るの。」
意識が遠のく。
「一緒のおふとんで寝ただけなのに。悪いこと、してないのに。」
シュンにやがて思考が戻ってくると、
「……あのな、あのな、あいつ、人から愛されたことねえから、わっかんねえんだよ。世の中の夫婦やらカップルは全部性欲でくっついてると思ってやがる。よくそれで三十過ぎまで生きてきたよな。尋常じゃねえよ。でもある意味、デスメタルのシーンではそれでも賛美され尊敬され、生かしてもらえるってのが、凄ぇよな。真っ当な世界だったら、マジで軽蔑されてる。」
ミリアは唇を震わせながら聞いている。そして、「付き合ってるのに……。」と呟く。
シュンは噴き出した。
「あははは、何、お前ら、付き合ってたの?」
「本当だもん。」ミリアは抗議の眼差しで睨む。ミリアは昨日の店員とのやりとり、そこで自分が嘘を吐いてしまったこと、それを告白したらリョウが付き合う提案をしたことを、訥々と語った。
「……マジか。……でもあいつに、付き合うっつう概念があったのか。それのが驚きだ。」
「リョウは、ミリアの、彼氏なの。」それだけが頼りだとでもいうように、ミリアは一語一語区切って言った。「キスも、したもん。」
シュンは再び噴き出しそうになるのを、必死に堪える。
「でも、セーヨクじゃないの。だって、六歳の時からずっとリョウが好きだもん。六歳にセーヨク、ないもん。だからセーヨク自分で処理しろってリョウは言うけど、そんなんじゃ、ないんだもん。」
「ううむ。」
シュンは腕組みして唸ると、ふう、と溜め息を吐く。なぜ中学生がこんなにも性欲を連呼するのか、その特異な環境に同情の念を禁じ得なくなってくる。
しかし、リョウは何故ミリアの恋情を性欲にカテゴライズしているのか、それもまた不思議でならない。リョウは決定的な人間的欠陥を持つ男だが、ミリアのために十数年伸ばし続けた、メタラーの象徴ともいえる長髪を切り、ミリアの監護権を掛けた裁判に挑む程である。それ以外でも、あれやこれや相当ミリアを大切に思っていることは火を見るより明らかなのだが、その心根は一体何なのかよくわからない。まさか、それこそ性欲ではないはずだのに、なぜ他人事となると全て性欲で済ませようとするのか、なぜ女の不機嫌を全て生理で済ませようとするのか。馬鹿なのか、考えることを諦めているのか……。考えてみるものの、かつてリョウから恋愛観一つ聞いたことはないし、好きな女のタイプさえ知らないし、そもそもそんなものは持ち合わせていないようにも見えるので、幾ら考えたところで、答えは混迷の中である。
更に、そんな訳の分からぬ男に始終振り回されるミリアはあまりにも憐れである。ミリアもミリアで恋愛経験なんぞが当然あるべくもなく、泣いて喚いてどうにかリョウに聞き届けてもらう術しか知らないのである。なんて番いだ、シュンは溜め息を吐く。
「……でもさ、とにかく、しばらくぶりなんだからライブ楽しもうぜ。客もお前のプレイを凄ぇ、楽しみにしてんだからよお。がっかりさせらんねえだろ? ライブは一回きりだぜ。」
ミリアは下唇を咬みながら、肯いた。
「大丈夫だよ。リョウは人間としての欠陥は腐る程あるけど、お前が大切なのは絶対だよ。自身持てよ。多分あいつ、性欲処理以外で女と付き合うなんて、ねえよ。」
ミリアの瞳に軽蔑の色が浮かび上がっているのを見て、シュンは慌てた。
「……あ。いや、あのな、仕方ねえんだ。男はそういうもんだから。ほら、出さなきゃなんねえものが、毎日作られてくるからさあ。あははは。」
ミリアは目を剥く。
シュンは焦燥する。これでは性欲連呼のリョウと同じだ。「あの、……なんか、ごめんな。」
ごめんな、ではない。ミリアの胸中には怒りが渦巻いてくる。女性を性欲処理の道具と見るとは、一体全体どういうことなのだ。リョウは今まで、どんな風に女性と向かい合ってきたのか。ミリアは目の前が真っ暗になる。リョウはまさか、まさか、女性を抱いたことがあるのか? 今のシュンの話に鑑みるに、どうやらあるようだ。でも、一体どんな風に? 一体どんな人を? それを思うと、息が止まる。くるしくなる。ミリアはふらふらとその場にしゃがみ込んで。目を瞑った。浮気だ、裏切りだ、背反だ、冒涜だ。
「おい、大丈夫か?」
そこにタイミング悪くリョウがビール片手に楽屋に戻って来る。即座にミリアは睨み上げた。
「浮気者!」とミリアは立ち上がって怒鳴った。
「浮気?」
「性欲処理のために、女の人とヤったんでしょ?」口吻激しくそう罵る。
シュンは顔面蒼白にしながら、口をパクパクとさせる。
リョウは瞬時にシュンを睨んだ。「何、言いやがった……?」
「何も、言ってねえ。十年以上前の話だ。」パイプ椅子から転げ落ちるように、シュンは楽屋を飛び出す。
「いくら、いくら、毎日作られるからって、酷い! 酷い!」ミリアは怒鳴る。
リョウは何を言っているのか、思考を必死に巡らす。「あのな、あのな、お前、何か、勘違いしてるんじゃねえの? 俺は浮気とか、そもそも女とどうのこうのはここ数年ないからな。そりゃお前が一番よく知ってるだろ? いつ誰を家に連れ込んだよ。ああ? 言ってみろよ!」
「違う!」
そこに出番間近となった、最初のバンドのメンバーたちが入って来る。彼らは楽屋に一歩足を踏み入れるなり、即座に硬直した。デスメタラーの憧れである、日本のデスメタルバンドの中でナンバーワンとの呼び名の高い、かのLast Rebellionのリョウが、少女に叱咤されているのである。見てはいけないと思いつつも、出番も近い。戻るに戻れない。男たちはそのまま入り口付近に固まったまま、二人を見守る形となった。
「なんで他の女の人とはヤれるのに、付き合ってるミリアとは、ヤれないの?」
入口で固まっているバンドのメンバーの一人が咳き込み出す。
「性欲処理した人って、誰? どこの人? どんな人? ずるい!」ミリアは地団太踏んで、抗議する。
リョウはちら、と次のバンドのメンバーを見た。全員とがっちり、目が合う。
「……。」
ミリアは真っ赤な瞳で睨み上げる。「どうしてミリアじゃ駄目なの? どうしてミリアだけ自分で性欲処理しなきゃいけないの?」
ごくり、とリョウは生唾を飲む。聴衆の目線が痛い。「あの、あのな、落ち着いて、聞いてくれ、ミリアちゃん。お前は、まだ十五だから。そういうことは、できねえんだ。それに、あのさ、お前、忘れてるかもしんねえけど、俺ら、兄妹だから……。」
「でも付き合ってる!」
再び今度は違うメンバーが咄嗟に口を覆う。噴き出そうとしているのか、咳き込もうとしているのか。リョウは訝る。
「でも、十八になんねえと。」
「十八になったら、ヤってくれるの?」
バンドのメンバーは息を呑んで先行きを見守る。リョウは何と答えたらいいのかわからない。顔も見たことのない若者たちに目で助けを求めると、リーダーらしき金髪の男が、激しく二度、三度と頷いた。
「……はい。」リョウはアドバイス通りに答える。
「リョウ!」ミリアは感極まった声を上げると、即座にリョウに抱き付いた。
リョウは茫然とミリアに揺さぶられた。バンドのメンバーは互いに目配せをしながら、無言で楽器の準備を始める。
「セーヨクが毎日作られても、浮気しちゃ、嫌。そんなこと、絶対しないでね。」ミリアは盛んに捲し立てる。
リョウは茫然と、足元でチューニングに励む若者たちを見守った。そして、傍でギターのチューニングをしていた若い男に、「おい、……チューニングは、ペグ巻いて止めんだぞ。ペグ緩めて止めたら、音、狂うからな。マジで。」リョウはレッスン最中のような発言をしながら、どうにか精神的均衡を保とうと試みた。
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