第52話

 「全部、こんな、感じ、なんすか……?」リョウは途切れ途切れに言った。「全員が、全員、俺とミリアを一緒に暮らさせてやれって、言ってんすか?」


 「そうです。」調査官はきっぱりと言った。


 扉を叩く音がする。顔を見上げると、そこに弁護士が入って来た。弁護士も調査官同様、リョウを見るなり、思わず後ずさった。「あ、あんた、黒崎さん?」


 「ですよ。」リョウは面倒臭そうに言う。


 「ふ、ふふふ。」弁護士は上半身を折り畳みながら笑った。「あはははは。」そして「……楽勝。」とぼそりと呟いた。




 リョウは逸る鼓動を抑えながら、バイクを飛ばし、S高校の門の前に駆け付けた。黒い学生服やらコートに身を包んだ受験生たちが、ぞろぞろと出て来る。まだ、ミリアは帰っていないだろうか、リョウは目を皿のようにして一人一人の顔を遠慮なしに凝視し、ミリアを探した。フルフェイスのヘルメットは、視界を暗化させる。リョウは面倒くさそうに脱いで小脇に抱えた。


 なにも、帰れば家ですぐに会えるのだ。元々受験終了時刻に迎えに来るなどと、言わなかったのだから。でも、一刻も早くミリアの顔が見たかった。ミリアに会いたかった。リョウは、初めて感じるその突き上げるような思いを抑えることができなかった。


 そこに、ミリアがとぼとぼと歩いてくる。疲れたような、ほっとしたようなその姿を見つけ、リョウは思わず大手を振って「ミリアー!」と叫んだ。ミリアは視線を上げた。そして人ごみの中、ぴたりと歩みを止めた。それから肩で呼吸をし、ばっと掌で顔を覆った。そしてその場に倒れるようにしてしゃがみ込んだ。


 リョウはバイクを止めると、受験生の中を逆走してミリアに歩み寄り、そして抱き締め、顔を覗き込んだ。


 ミリアはリョウの顔を凝視しながら、何か言おうとして、言葉が出ない。わなわなと唇を引き攣らせたまま。リョウの顔を見詰め、そしてようやく、「……かみのけ。」と呟くように言った。


 「何?」雑踏は騒がしくよく聞き取れない。リョウはミリアの口許に耳を傾けた。


 「かみのけ、……どしたの?」ミリアの双眸はゆらゆらと輝きながら揺らめいている。


 「ああ……。」リョウは一瞬考え込み、微笑みながら「暑くって。」と言った。


 「……二月だよ?」ミリアの声は震えている。


 「ああ、そうか。じゃあ……、」リョウは再び考える。そして観念したように、苦笑を浮かべると、「ミリアと、一緒に暮らしたくって。」と言った。


 ミリアの双眸から大粒の涙が零れ落ちた。「どして、ミリアと暮らすのに、髪の毛短くするの? お首見えているよ? 耳も。」


 ミリアの指先が、リョウの露わになった首周りをおそるおそる辿っていく。


 「でもな。」リョウは生唾を呑み込み、そして唇を震わせながら微笑んだ。「これで、ミリアと一緒に暮らせることになったんだ。ちゃんと、認めてくれたんだ。」


 「誰が?」ミリアは腑に落ちない。「神様? ……それとも、サンタさん?」


 「偉い人!」リョウはそう叫ぶようにして言い、ミリアを抱き上げる。「もう、母親の影に怯えることもない。あのな、」リョウは生唾を呑み込み、言った。「あいつは、接近禁止になった。もう、うちとか学校とか、この近辺にも、足を踏み入れたら警察にとっ掴まる羽目になる。もう、お前が膝小僧怪我させられることもねえ。万が一そんなことが起きたら今度こそ、警察も無視できねえ。」


 ミリアは信じられないとばかりに目を丸くする。


 「どうやって? どうやって、そうなったの? かみのけ、切って?」


 「そうだよ。」


 リョウは脱力したミリアを立たせると、鞄を持ってやり、手を引いてバイクの所まで戻った。そして薄曇りの帰途をミリアと歩く。首筋が驚く程寒い。リョウは二度ばかり、大きなくしゃみをした。


 「かみのけ、黒いね。」ミリアは物珍し気にリョウを見上げ、見上げ、歩く。


 「ああ。」リョウは口許に微笑みを湛えたまま、答える。「それよりよお、お前、今日どうだった?」


 「できたよ。ユウヤと勉強した所、出たよ。オムライスも美味しかったよ。」ミリアはそう口早に答えると、再びリョウを恥ずかし気にちらと見上げ、言った。「……かみのけ、短いね。」


 「ああ。」


 「ミリア、かみのけ短いリョウ、初めて見るね。」


 「そうだな。」


 「寒い?」


 「ちょっとだけ。」


 「でも、どんなリョウでも、一番好きだよ。」


 「ああ。」


 二人の影がアスファルトの上を長く長く伸びていく。ミリアはリョウの腕に自分の腕を絡ませ、そっと頭を寄せた。

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