第31話

 ミリアは昨今、妙な視線を感じていた。それは登下校中に感じるのである。道端で、公園で、そしてある時は駅前で。誰であろうと注意して見ると、そこにいるのは決まって妙齢の女性である。たいていスカートかワンピースを着ていて、髪はセミロングで巻き髪、小奇麗な身なりをしている。それに幾分疲れてはいたが、大きな瞳の印象的な、整った、美しい顔立ちをしていた。

 ミリアは自分のファンなのかしら、と思った。しかしその割にはライブに来て陽気に喋り掛ける例の女子大生たちとは明らかに、様子を異にしていた。

 女はミリアをいつも真剣な、というよりも一種思いつめた眼差しで、見ている。笑顔に遭遇したことは一度も、無い。ミリアはそれを何だか気味悪く感じる。最初は遠くから見ているだけだったから、まだ、よい。しかし先週からは、よろめくように近寄っては「ミリアちゃん」と呼びかけてくるようになったのである。そのたびミリアは校内五位の走力を以て全速力で帰宅すること、実に六度目を数えることとなり、遂に美桜に相談した。


 「ストーカーかもしれないわ。」美桜は弁当を食べる手を止め、深刻そうに言った。

 「ストーカーって、女の人も、あるの?」ミリアは不安げに尋ねる。

 美桜は暫く考え込み、「……なくは、ないのかな。女のひとを好きな女のひととか。もしかしたら、女の恰好をしている男かもしれないし。」

 ミリアは想像だにしたことのない世界を感じて目を見開いた。

 「性別はともかく、そんな、しょっちゅうミリアちゃんのことばかり監視して。危ない人よ、きっと。」

 ミリアは肯いた。

 「何歳ぐらいなの? その女の人。」

 「……大学生よりも上ぐらい。でも、おばさんじゃない。」

 「ふうん。三十前後ぐらいなのかなあ。……お兄ちゃんに言った?」

 ミリアは首を横に振る。「きっと、とっても心配するから……。」

 美桜は深々と肯く。「たしかに。……でも、もしその人が名前呼ぶ以外にもなんかしてきたら危ないから、早めにお兄ちゃんに相談しようよ、私、言ってあげるから。」

 ミリアは暫く黙って弁当を眺めていたが、うん、と小さく肯いた。「お願い。」

 美桜は微笑み、お弁当の中の卵焼きをミリアの弁王の上にそっと置いた。「元気出して。そんなことで、苦心してちゃ、勉強に身が入らないよ。来年は一緒に高校生になるんだから。」

 ミリアは泣きそうな顔してうん、と再び頷いた。


 リョウが夕方、ライブハウスとの打ち合わせから帰宅すると、そこにはミリアと美桜がテーブルを挟んで向かい合っていた。

 「お邪魔してます。」

 リョウは「おお、美桜ちゃん、珍しいねえ。久しぶり。……最近どう?」と言って笑いかける。

 「毎日塾で、勉強ばっかりです。」

 はっはー、とリョウは大仰に笑うと、どっかとパソコンの椅子に座り込み、「偉い偉い。ミリアも最近勉強頑張ってるし、みんな、偉い。立派。」と満足げに言った。

 「あの、お兄さん、実はミリアちゃんの大事なお話が合って、今日は来たんです。」

 「え? 大事な話?」リョウは眉根を寄せて、しずしずとソファに移動する。ミリアの顔を見ても、ミリアは目を背け俯くばかり。

 リョウは震撼し出した。

 中学生が自らの口からは言えないこと――。親の目を見て話せないこと――。

 結論は一つに決まっている。妊娠したのか、一体誰の子を? 思わずリョウは立ち上がり、ミリアの肩を激しく揺さぶる。「お前、一体、何したんだよ。誰の子だ? 言えねえじゃ済まされねえぞ! 何なら、俺が探し出して……!」

 「あの、お兄さん。」美桜が慌ててその手を制す。「実はミリアちゃん、知らない人に、つけられているようなんです。」

 「なあんだ。」リョウは照れ笑いを浮かべ、ソファに座り込む。しかし、すぐさまカッと目を見開くと、「ああ? つけられてるだあ?」と怒鳴った。

 美桜は背筋を正し、後を続ける。「ミリアちゃん、お兄ちゃんがとても心配してしまうと思って、なかなか言い出せなくて……。その人はミリアちゃんの名前も知ってて。だから、雑誌見てファンになった人だとは思うんですけど。……女の人だっていうし。」

 「レズか。」リョウが無表情に呟く。「ああ、何つうことだ。とりあえず明日からは俺が学校送るから。あ、ちょっと待てよ……?」

 リョウは慌ててカレンダーに歩み寄り、凝視する。

 「明日はレッスンだ、……帰りは無理だ。どうすっか。しゃあねえ、タクシーで帰ってこい。」

 リョウは財布から千円札を二枚取り出すと、ミリアに握らせる。

 「当分はこうしよう。俺が送迎できる時は、する。そうじゃねえ時は、タクシー。いいな? 絶対に街を歩いちゃ、いかん。」

 美桜は笑顔で頷く。その隣でミリアは困惑しきった表情でリョウを見上げた。

 「……お金。」

 「金なんざ、お前を守るためだ。幾らかかったって、何の問題もねえ。そうだ、駅前の警察にも言っといた方がいいな。それから、念のため社長にも言っとくか。ったくよお、気違いに雑誌売るなっつっとかねえとな!」リョウは立ち上がり、部屋をぐるぐると歩き始める。「あとは、学校だな。もしかすっと、学校にも来やがるかもしれねえから。一応先生の耳に入れさしてもらって……。」

 美桜は満足げに微笑む。

 「お兄ちゃん、そこまでやってくれれば、ミリアちゃん、大丈夫です。」

 リョウは安堵の溜息をついた。

 「悪かったね。ミリアが自分で言わねえばっかりに、わざわざ忙しいのに、来てもらっちゃって。」

 「大丈夫です、これで私も安心しました。私、それでは、これから塾があるので。」

 「そっか。じゃ、美桜ちゃんも、気を付けてな。世の中中学生に何かしようっつう変人野郎は、大勢いるから。」

 「はい、ありがとうございます。」ミリアはお辞儀をすると、帰って行った。

 ミリアは暫く自分の掌に握られた千円札二枚を眺めていたが、リョウの背中をとんとんと叩き、それを手渡す。

 「こんだけあれば、いっぱいご飯食べられる。」

 「バカか。」リョウは腰を屈めてミリアの顔を正視する。「そんな心配しねえで、今はお前の身が一番大事だろが。変人女に付けられてよお、っつうか、早く言えよ。何で言わなかった?」

 「……ミリアが、モデルやるなんて、言ったから。」

 ミリアはぐっと目を瞑る。やがて肩が震え出した。

 「んなこと、今更言ったってしゃあねえだろ。俺だって許したんだ。お前の責任じゃあねえ。とにかく、今は安全第一。身を守ることだけを考えろ。」

 ミリアは俯いて唇を引き結ぶ。

 リョウは深々と溜め息を吐くと、「俺はな、お前のことが一番大事なんだよ。お前に何かあったら、なんて、考えたくもねえ。だから、今回は大人しく俺の言うことを聞いてくれ。明日からは一人で絶対に、街をうろつくなよ。もし用事があんなら、俺と行くんだ。わかったな?」

 ミリアは小さく二度、三度と肯いた。

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