第26話

 楽屋に戻ったリョウは無言で、しかしどうしようもなく満足げな笑みを唇の端に浮かべながら、椅子に凭れ缶ビールを開けた。噴き出す泡に慌てて口を付ける。

 「お客さん、ミリアって、呼んだ。」ミリアがギターを手にしたまま興奮冷めやらぬと言った口調で、リョウに訴える。

 「ビビったよな! しかも女の子! あれだろ? モデルのミリアのファン。」シュンが震える声で答える。

 「とりあえずミリアのお蔭で完全アウェイにはならなかったよな。……多分、」アキはミリアに向き合って、「ロックな相手さんと一緒なら、客も厳ついメタラー一色じゃねえし、一目ミリアを見るのに都合がいいと思ったんじゃねえの?」

 「これ終わったら、顔見せに行ってこいよ。」リョウに促され、ミリアは笑顔で肯いた。

 

 Black Pearlのステージではメンバーが飛び跳ね、客席でも先程は頭を振っていた客席が踊り狂っている。ミリアはステージ袖から、その様をそうっと眺めた。

 ミリアはデスメタル以外のジャンルなぞ、一つも知らない。今自分がデスメタルを愛しているのは、リョウが愛するジャンルを愛したという、ただそれだけで、それ以上でも以下でもない。ビートルズもローリングストーンズも、レッドツェッペリンもニルヴァーナも知らないミリアは、初めて見る光景に思わず息を呑んだ。

 「お前随分興味津々だな。これからLast Rebellionもロックに転向しようか?」真剣な眼差しでステージを眺めるミリアに、後ろからリョウが悪戯っぽい笑みを浮かべて呟く。

 ミリアは首を横に振る。「これ、弾けない。」ステージを指さしてミリアは呟いた。

 「さすがに弾けなくは、ねえだろ? BPM250で16分刻む俺らの曲より、全然音少ねえぞ。」

 「違う。」ミリアはリョウに向き合って、「……ミリアの気持ちと、違う。」

 リョウは噴き出した。「そうか。」そして肩を抱き寄せ、同じステージを観る。「俺らは絶望を糧にして生きてるもんな。」

 陽気で弾けるような音がステージでは繰り広げられる。ミリアは眩しい物でも見るように、その様をいつまでもいつまでもじっと眺めていた。自分も、本当は、こんな音を出すギタリストになりたかったのかもしれないと、ちらと思う。しかし自分の人生はそういう過程を通らなかった。高校中退だの、家出だのが原因で喧嘩する親は、いなかった。

 

 そしてライブは、終わった。

 ミリアはリョウと客席に向かう。いつもとは違う顔ぶれではあるものの、あっという間に二人は囲まれた。

 「凄ぇカッコよかったです、メタル。」と興奮気味に言ったのは、短髪を四方八方に尖らせた痩せた黒髪の男で、ミリアは物珍し気にその男を見詰めた。明らかにロックファンの風体である。「ギターのハモリ、マジ完璧っすね。感動しました。」

 「ありがとう。」リョウが微笑む。自分の曲と演奏に普遍性が宿っていることを確信し、この上なく満ち足りた気分になる。

 「レイさんが一番好きなバンドって昔から言っていて、一度見たいと思ってたんです。」ほとんどつんのめるようにしてやって来た男がそう言った。「レイさん、自分がバンド始めたのは、Last Rebellionがあったからだって、何度もインタビューとかで言ってたから。」

 そうそう、と周囲も肯く。

 「レイさんが絶対一生好きだとかって、言ってたから、実は俺もLast RebellionのCD、全部持ってるんすよ。」そう言って一人が照れ笑いを浮かべた。「今日は生で聴けて、本当に良かった。」

 リョウは驚く。あの赤面メールの文面は、社交辞令が少なく見積もって半分以上は占めているものだと端から思っていたけれど、もしかしたらそうではないのかもしれないと思い至って。

 そこに「ミリアちゃーん」と甲高く呼ばわって走って来たのは、若い大学生風の女の四人組である。ミリアは思わず身を固くした。

 「ミリアちゃん、本当、可愛いかったー! じゃない、かっこよかったー!」茶髪のいかにも今時風な女が感極まって言う。

 「雑誌とは全然、雰囲気違って。」次いでショートカットの女が言う。

 「でもスタイル抜群、おめめぱっちり、めっちゃ可愛い!」そう言って歓声を上げたのは、黒髪ボブの女である。

 「え、すっぴん? お肌綺麗、真っ白!」

 とかく、息つく間もなく女たちはそう口々に言い合う。

 「私達、今月の『RASE』見て、ミリアちゃんに一目ぼれしちゃって、絶対に会いたいって思って、今日、勇気出してきたんです。」

 「ロックとかって、全然知らないけれど。」

 「え、ヘビメタでしょ?」

 「……ありがとう。」ミリアは笑顔で言った。

 「やばい、本物めちゃくちゃ可愛い!」さすがに面と向かって言われ、ミリアは頬を染め俯く。

 「あの、写真撮ってくれませんか?」

 ミリアはあっという間に女四人組に囲まれ、何枚も写真を撮られる。それが一通り終わると、ショートカットの女が、リョウを見上げ、

 「え、あ、もしかして、ミリアちゃんの好きなお兄ちゃんって……」と口ごもる。

 ミリアは肯いた。「うん。これがリョウ。私の、お兄ちゃん。」

 女たちは歓声を上げる。

 「ミリアちゃんって、……その、個性的な人が好きなんですね。ミリアちゃんも個性的だし、ギター超巧いし、凄いかっこいい。」

 女たちは再び肯き合う。

 「今度、ワンマンライブも行っていいですか?」

 ミリアは笑顔で肯いた。「待ってる。」

 「是非来てよ。」そこにぬっと顔を現したのはシュンだった。

 「あ、ベースの人。」女がシュンを指さす。

 「そうそう。ベース知ってんだ。」シュンがおどけて言った。

 「馬鹿にしないでよ。」茶髪の女が少々不満げに言う。

 「ああ、ごめんごめん。ちょっとうちのライブは、最初は女の子だとビビるかもしんねえけど、まあ、ステージにはミリアがいるし。女の子大歓迎。気軽に来てよ。」

 女の子たちは手を取り合い再び歓声を上げる。茶髪の女が、「ミリアちゃん、また来ますね。写真、ありがとう。」と言った。

 「本当に、今日は初めてメタル? 見て、凄いカッコいいのがわかった。Black Pearlもカッコよかったし、本当満足! また次も行くから、そしたらまた、一緒に写真撮ってね。」黒髪がミリアの手を取り、握手をする。

 ミリアは肯く。

 ばいばい、と女たちは手を振りミリアも返した。


  女たちの姿が見えなくなると、「お前、随分調子いいな。」とリョウが苦々しい顔でシュンに呟いた。

 「だってよお」シュンが微笑む。「デスメタルバンドやってて女の子が来てくれるなんて、思わなかったぜ。ミリア、でかしたな。」

 「でかした?」

 「ああ、でかした、でかした。」シュンが満足げに肯く。「モデルやって、ライブなんざ来たことねえようなファン開拓してんじゃん。俺らがどう転んだってできねえことだよ。まさか、そこ狙ってモデルの話、受けたのか?」

 ミリアは静かに首を横に振る。「違う。」

 「そうなんか。」

 「お金。」

 「え?」リョウが頓狂な声を出す。「お前まだんなこと言いやがるか! マジで俺が不憫になるからやめろよ!」

 ミリアは困惑し、「ごめんなさい」と呟く。

 「……でさ、何か、欲しいモンあるの?」リョウが腰を屈めて小声で尋ね、

 「……内緒。」ミリアは生真面目な顔して呟いた。

 唖然としたリョウの脇腹をシュンが小突く。

 「ミリアくらいの年齢っつうのは、何でもかんでも兄貴に把握されんのが、ウゼエの。」

 「うるせえよ。」リョウはシュンをどかすとミリアに向き合い、「……小遣いぐらい、いつでもやるぞ?」そう言って、ごくりと生唾を飲み込む。

 ミリアはやはり首を横に振る。「いらない。」

 「ほら、あんま口出しすんなよ、お兄様。あんまりしつけえと、そのうち臭ぇだのあっち行けだの言われるようになっからよ。」シュンに再度小突かれて、リョウは今度はシュンの頭を殴り返した。そしてミリアは何を欲しがっているのか、今後注意深くチェックしてみようと胸に決めた。

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