第27話

 しかし確実にミリアのモデル活動のお蔭で、その後、ライブでの動員は伸び続けた。とりわけシュンが喜んだのは女性ファンの出現であり、挙げ句の果てにはミリアにもっとモデル活動を増やしたら、と調子に乗った進言をし、リョウに殴られることともなった。

 しかしミリアはその結果、焦燥を覚えずにはいられなかった。それは、Black Pearlの前座をやった際に来た、茶色いふわふわした髪をした大学生風の女による。彼女はどのタイミングで買ったのか、Last RebellionのTシャツを着、レースのチュチュを履いてあれから何度もライブに通って来た。五月には毎週末行われた都内のライブに、全て、やってきたのである。そればかりなら、良い。彼女は毎度ライブの後にメンバーがやって来るのを待ち、他ならぬリョウと写真を撮ったり握手をしたりするのを常とした。ミリアはそれが気がかりでならない。否、気がかり、どころの騒ぎではない。初めて芽生える、自らを振り回す忙しない激しい感情に、ミリアは息苦しくさえなり、夢にまでその女の姿を見た時には、さすがに朝からぐったりとし、何も考えることさえできなくなった。


 「お前さあ、最近、ライブ楽しい?」

 溜息を吐きながらセッティングをするミリアに、リョウが心配そうに話しかける。

 「昨日のリハも、何つうか、心ここにあらずって感じだったよな。勉強のことが心配なら、ライブ暫く休んだっていいんだぞ? 前から言ってるよな? 受験まで暫く休むか?」

 ミリアはぎょっとしたように首を激しく横に振った。

 「勉強、大丈夫。」

 「……そうか。」リョウは首を傾げながら答えた。「じゃあ、何かあるの?」生理か?と言い掛けて、シュンやアキにさんざデリカシーがないと糾弾されたのを思い出し、慌てて飲み込む。

 ミリアもミリアで、やはり出かかった言葉を飲み込む。あの女の人と喋らないで、そう言いたい。女の人と近寄って写真を撮らないで、そう言いたい。でもリョウはそんなことを了承するわけが、ない。金を払って来ている客をその対価以上に満足させるのが、俺らの仕事だ――、いつかリョウはそんなことを言っていた。だから、女と喋るなだの近づくななどと口にすればリョウに問答無用で軽蔑されてしまう。もしかしたら軽蔑が嵩じて、家を追い出されてしまうかもしれない。そう思えばミリアは泣きたくなる。でもだからといってこのまま、放っておいたら? リョウはあの女性を好きになってしまうかもしれない。彼女はミリアにとって、おそらく一生涯縁のない大学などという所に通い、それに、やはりミリアとは違って、言葉が次々に出る。話が巧みなのだ。

 

 ミリアはライブ終了後、礼に倣ってリョウの隣で女性の話を聞きながら、ほとんど泣きそうにさえなった。

 女は次から次へ、しゃべりまくる。リョウさんの曲は本当に素敵ですね、メロディアスで、どこか悲しくて。私は今までメタルなんて聞いたことはなかったんですけれど、本当に、最初に聴いた時にそのメロディーとギターに惚れ惚れしました。デスボイスも、最初はちょっと、正直、聞きにくかったのですが、今では慣れて、リョウさんの咆哮、とっても素敵です。もっともっとライブ行きたいな。

 ミリアは、泣きそうになりながらその言葉を聞く。その胸に渦巻くのは、不満と怒り。

 私なんて最初からリョウの曲もギターも、歌も、全部大好きだった。そう言ってやりたくなる。そんな、リョウのデスボイスを最初は聞きにくかっただなんて、とんでもないことだ。自分は、最初からリョウの全てを愛していた。声も、髪も、手の大きさも、優しい目も、全部。でもミリアはそれを伝え得る語彙を持っていない。口からは自分の気持ちの万分の一さえ伝え得る言葉が出てこないし。ミリアはそれが哀しくて寂しくて、たまらない。


 「リョウが、好きなの。」女性が帰ると、泣きそうになりながらミリアはリョウに訴える。しかしリョウは真意をわかっているのだか、わかっていないのだか、微笑むばかり。ミリアはそれもまた悔しくてならない。その悔しさと辛さと、それらを全て曲にぶつける。ギターを奏でる材とする。そうするとリョウは喜んだ。ミリアは何かが違う、と思う。

 どんなにリョウを喜ばせるプレイを行っても、ライブが終われば必ず、あの女性がやって来る。二人は親し気にしゃべる。だからミリアはせめてもの抵抗に、リョウの腕に必死に自分の腕を絡めて客席へ出る。

 「リョウさん。」案の定真っ先にそう呼び掛けたのは、例の女子大生だった。

 「ああ、いつも来てくれてありがとう。」リョウが笑顔で答える。

 いつも来てくれている人は、他にもいっぱいいるじゃないか、ミリアはそう思う。

 「今日もすっごいカッコよかったです。今日の音、すっごく攻撃的でしたね。私、ギターの音作りのこととか、よくわかんないんですけど。」

 自分はわかる、ミリアはそう言いたくなる。アンプとエフェクターと、その摘みをどう捻ればどんな音が出るか、自分は、わかる。そう言いたくなる。

 「ああ、エフェクター変えてみたんだよね。この間、エンドース契約受けたとこのに。」

 「ええ、凄い!」女は目を輝かせる。「それって、ただで借りれるんでしょう?」

 そうだ、リョウは凄いのだ。身をわきまえろ、とミリアは思う。

 「やっぱりリョウさんって、あちこちの人たちに認められているんですね。ファンの男の人たちも、基本リョウさん目当てみたいだし。私は最初はミリアちゃんに会いたくて来たんですが、それからバンドも凄い好きになって、リーダーのリョウさんにも凄い魅力を感じるようになって。」

 ミリアは地団太踏みたくなる。私だけを見ておいてくれれば、全て丸く収まったのに。リョウなんか隠しておくべきだった。リョウなんか、見せてやらなければよかった。

 「また、一緒に写真撮ってもらえませんか?」

 「ああ、いいよ。」

 よくないのだ。断じて、よくないのだ。ミリアは顔を顰める。つい先週だって写真を撮ってやったのに。それからリョウは何も変わってはいないではないか。老けてもいなければ、髪も伸びていない。太ってもいなければ、痩せてもいない。一週間ごとに写真を撮る意味が、あるのか。ミリアはもうどうにもならない思いを、リョウの腕に引っ掴んで離れないという行為でもって表現した。

 リョウは不審げにミリアを見下ろしたが、「何、お前も一緒に撮りたいの?」

 ミリアはうんとも違うとも示さず、絶対に離してなるものかとリョウの腕にしがみ付く。

 女は笑顔で「いいですよ。」と言う。

 いいですよ、とは何事か。私のリョウなのに、私のリョウなのに。悔しくて堪らない。

 ミリアは下唇を噛み締めながら写真に写った。女はにっこり微笑んで、「また、来月も来ますから。チケット、もう取ってるんです。」とミリアにとって残酷な宣告を述べて、帰って行く。

 ミリアは疲弊と安堵の入り混じった溜息を吐きながら、今度周囲を囲み始めた男性ファンたちを見回し、するりとリョウの腕を離した。リョウが不思議そうに、肩をがっくりと落としたミリアを見下ろした。


 女子大生が現れるようになってから、ライブから帰宅をすると、ミリアはもうほとんど何を食べる気力もなく、無論リョウにあれこあれ説明する気力も無論なく、簡単にシャワーを浴びてベッドに潜り込むことを常とした。

 「具合悪いのか?」

 心配そうにのぞき込むリョウの顔に、人の気も知らないで、と殴ってやりたくなる。でもそれは極めて自己中心的なものであり、リョウの軽蔑を受ける一大要素となり得る。ミリアにできるのは潤んだ瞳で見上げることだけだった。

 「ああ、そうそう、マジで、金のためだけにモデルやってんなら、こんな大事な時機なんだから、やめろよな。まあ、正直そんな飛んでもねえ高価なモンは買ってやれねえけど、お前に必要なものであれば、俺はあれら売ったって、何だって買ってやるからさ。」

 と言って壁に掛けられたギターをちらと見る。ミリアはその優しさに泣きたくなる。何でそこまで優しいのに、自分の心はわかってもらえないのだろう。 

 「違うの。……大丈夫。」

 そしてリョウの掌の温かさを額に感じながら、ミリアは眠りに就いた。リョウが遠くに行ってしまわないように、ずっと自分と一緒にいてくれるように、窓越しに星の見える晩には、そう、切々と祈った。

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