第20話

 「リョウさん。」

 黒髪を長く伸ばした若い男が、不審げに呼び掛ける。スタジオの一室で互いにJacksonのkingVを手にしながら向き合っていたが、リョウがソロのフレーズを模範演奏するから、と言ったきり、止まってしまったのである。

 「ああ、ごめんごめん。」慌ててリョウは弾き始める。素早いピッキングに唸るようなスウィープ、タッピング。男は息を呑む。

 「まずは核となる音を決めて、その合間にコードの音を入れる。たまに必然的にそこから音を外すと、」リョウは短音階を奏でつつ、微妙に別の音を入れていく。「印象的になる。」

 男はぼうっと息を吐くと、リョウの顔を見上げた。

 「わかった?」

 「はい……とても分かりやすいです。でも何か……」男は心配そうにリョウを見上げた。「考え事、してます?」

 リョウはがっくりと肩を落とす。ちらと壁の時計を見遣ると、既にレッスン時間は終わろうとしていた。

 「聞いてくれるか……。」

 男は慌てて背を伸ばす。

 「今日、ミリアが撮影に行ってるんだ。」

 「ああ、例のファッション誌っすね。」

 「何やってると思う?」リョウが身を乗り出す。

 「そりゃ撮影なんだから、パチパチ撮ってるっすよ。リョウさんだって、CDのジャケとかアー写とか、今まで散々撮ってきたでしょ? おんなじっすよ。」

 「それだけかな? ……裸になれとか、言われてねえ?」

 男は噴き出す。「え、だって、『RASE』でしょ? あれ、普通のOLとかの若い女が読むファッション誌っすよ。うちの姉も読んでるし。」

 「……男と絡んだり、しねえ?」リョウは恐る恐る尋ねる。

 男は再び噴き出した。「リョウさん、どんだけ親ばかなんすか。」

 リョウはそっぽを向く。「……だって、あいつ底抜けのバカなんだぜ? ファッショナブルな野郎どもに騙されちまわねえか、心配なんだよ。」

 「ミリアちゃんバカじゃねえっすよ。」男は断言する。「あんだけリョウさんの曲を弾きこなせる人、他にいないですよ、それにあのソロだって俺らには到底思いつきもしねえ。そりゃリョウさんだって、解ってるじゃないですか。今までどんだけの男共クビにしてきたことか……。」

 「まあ、ギターに関してはな。あいつのギターは、凄ぇ。天才的だ。俺があんぐれえの年の時は、METALLICAコピーして、全部ダウンで弾けたぜ、イエーイみてえにいい気になってたぐれえだからな。」しかしリョウははあ、と深い溜め息を吐く。「でも、教師に呼び出されて高校に行けねえって言われるし、喋り方はああだし、兄妹なのに俺と結婚できると思ってるし、色々ヤベェんだよ。」

 男は更に噴き出した。「面白ぇ……。」

 「面白くねえだろ! 俺はあいつがちゃんと社会で生きていけるようにしてやりてえんだよ。……俺は、クソ親父じゃねえんだ。」

 男は黙した。そして、「やっぱり、あの噂、マジだったんすね。リョウさんとミリアちゃんが、その、……親御さんに捨てられたってのは。」俯きながら言った。

 リョウはあっけらかんと言う。「俺はとっとと脱出した口だがな。けど、ミリアは……」さすがに意気消沈して「……さんざ虐待されて、あのザマだ。ユウヤが言ってたんだけどよお、人間小せえ内にちゃあんと喋りかけて愛情かけねえと、一生まともに喋れなくなってバカになるらしいんだわ。」

 男は眉根を寄せ、そして目を瞑った。

 「でもな、俺はミリアをまっとうな道に導いてやりてえんだ。でも俺が教えられることっつったら、ギターだのデスメタルぐらいだろ? でもそんなんじゃあいつの人生大博打になっちまう。そう考えたらモデルでも何でも、怪しいモンじゃねえ限りは、とりあえずやらせてみた方がいいのかなっつう気もすんだよ。」

 男は聞きながら何度も肯く。そして、「俺らがリョウさんに憧れるように、ミリアちゃんにも同等に憧れてるのは、ミリアちゃんに魅力があるってことですよ。だからモデルでもアイドルでも、ミリアちゃんがやりてえならやらしてあげた方が、いいのかもしれませんね。リョウさんがいちゃあ、騙くらかしてやろうなんて野郎は寄ってこないっすよ。」

 リョウは神妙に肯いてみせる。

 「……じゃあ、早く帰って、ミリアちゃん出迎えてあげた方がいいっすよ。」

 リョウははっとなって、壁の時計を見上げる。「悪ぃ、マジでそろそろミリア帰って来る時間だ。じゃあ、また来週な。よろしくな。」と言ってそそくさとギターを仕舞い込むと、スタジオの厚い扉を勢いよく開け、飛び出して行った。

 男は唖然としてその後姿を見守った。ミリアのこととなるともう完全にデスメタルバンドのフロントマンではない。どこにでもいる、娘を溺愛する父親そのものである。男は噴き出した。

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