第19話

 ライブを終えると、暫く次のライブまでは日があった。

 ミリアは日々のギターの練習に加え、ユウヤと共に勉強にも真摯に取り組み、次第に点数らしきものがテストに反映されるようになってきた。テストは集中して受けなければならないことを知ったミリアは、猫の落書きは一切排し、問われた通りに考え、答えを書く姿勢を培うことができるようになってきた。ほぼ毎夜ユウヤが、リョウの愛を繋ぎとめるためだとこっそり言い聞かせたのが大きい。ともかく、全て0点などという汚名は見事返上されたのである。このままいけば、モデルはやらなくても済む、とリョウはほくほくしつつも、約束の撮影の日が近づきつつあった。

 いよいよそれが明日と迫った晩、ミリアは朝食、夕食を妙なジュースで済ます、という暴挙に出た。用意した豚の生姜焼きを遠慮がちにつつきながら、リョウはミリアを不満げに見据えた。ミリアが手にしているグラスを満たすのは緑色した、やたらとろみの強い飲み物で、それをミリアは豆乳に緑色の粉末を振り、シェイクして作ったのである。

 「お前、んなもん飯代わりにしたら、……死ぬぞ。」リョウが目を細めて、深刻そうに呟く。「こっちのが遥かに旨いぞ。」リョウはそう言って生姜焼きを箸でつまみ上げ、目の前でぶらぶらさせた。

 ミリアはそれには一切構うことなく、ごくごくとその不思議な色した飲み物を呷った。

 「……お前飢え死にしてえのか。それ以上痩せてどうすんだよ。俺より早く死んだらぶっ殺すかんな。」リョウは渋々ぶらつかせた豚肉を口に放る。

 ミリアは飲み切ってぷっはーと息を吐くと、「死なない。」と答えた。

 「大体それ、何なんだよ。近未来的過ぎんだろ。」リョウはそう言ってミリアの持つ空になったグラスをかんかんと爪で弾く。

 「これ、スムージー。撮影の前、みんなご飯代わりに飲んでるって。」

 「そうなのか。」と言ってリョウは生唾を飲み込み、空になったコップを手にすると、神妙そうに匂いを嗅いでみる。

 「苦くないのか、これ。」

 「苦くない。」

 「でも、こんだけだと、腹減るだろ?」

 「ミリアは今日だけ。太っちゃった人は、毎日これだって。」

 「マジか。」リョウは唇を歪める。「未来人だな……。」

 「うん。」ミリアは笑顔で肯く。「ミリアは毎日学校行くのにウォーキングしてるから、太らないの。……半身浴、してくる。」

 そう言ってミリアは風呂場に赴き、湯船に浅く湯を張ってあることを確認する。何故だかその後ろにはリョウが心配そうに、その様を眺め下ろし、「これっぽちしか入れねえのか。肩まで浸かれねえじゃねえか。」とぶつぶつと文句を言う。

 ミリアはお構いなしに、リョウを追い出すと半身浴を開始する。リョウは流石に風呂に侵入こそしないものの、ドア越しに「お前、いきなりへんちくりんな真似して風邪引くなよ。たかがモデルだろ。アー写取るのとかライブで写真撮られんのとかとそう変わらねえだろが。お前、そういう時は何にもやらねえ癖に。」とどこか不満げに言う。

 「モデルやって、お金貰うの。」風呂場から声が響く。

 思わずリョウは「はあ?」と頓狂な声を出し、「金だあ? 確かに美桜ちゃんちと比べれば、俺の稼ぎははした金程度だけどよお。必要なものなら、何だって買ってやるぞ? 何か欲しいものあんのか? 遠慮すんな、言えよ。」

 「……欲しい物、ない。」

 「……何だそりゃあ。」リョウは溜息を吐く。

 ほの暗い焦燥感と不安の暗雲がリョウの胸中に渦巻く。これは一体何なのだと考えると、ミリアが自分の知らない世界へと赴こうとしていることが原因なのだと思い至った。自分が教えたギターやデスメタルでもなく、全く今まで自分が関わってこなかった世界へミリアがたった一人で行こうとしている。そういった事態はこれからも当然の如く噴出するのに相違ない。その度毎に、自分はこういう妙な焦りを感じ続けるのか、とリョウは暗澹たる思いに肩を落とした。

 本来ならば、明日だって撮影現場まで付いて監視したい。しかしこんな職質常連の、赤い長髪に普段着はメタルTシャツしか持っていない三十路男が赴いたら、ファッション最先端の現場は驚愕、畏怖、混乱するであろう。ああ、もう少し自分の見たくれがファッショナブルであったならば……。

 リョウは洗面所の鏡に映った自分の姿を、今更ながら身を乗り出し凝視する。どこをどう見ても、時代だの流行だのを意識したそれではない。

 リョウは苛立ちながら言った。「あのな、もし、明日嫌な目に遭ったら、すぐ帰ってこいよ。一ミリも我慢するこたねえからな。それはあの社長だって言ってんだ。もし、ちっとでも嫌だな、嫌かもな、って思ったら、後で俺が怒鳴りこんでやるから、安心して、帰って来い。」

 ミリアは黙っている。

 「リョウに、いいもの買ってあげる。」

 リョウはカッとなって思わず扉を開けた。「いらねえよ。」

 ミリアが慌てて胸に手を当て、驚愕してリョウを見上げる。

 「あ、ああ、あ、ごめん。」慌てて再び扉を閉める。「……あの、ミリア、よく聞けよ? こう見えても俺は自分で欲しいものは何でも買ってんだ。お前のお給料も、絶対に俺が手を付けることはねえし、そのままそっくり、お前が大人になるまで、この間社長に提出した口座にちゃんと入れておくから。いいか? お前が学校終えて、ちゃあんと稼ぐようになるまでは、俺が全部面倒見るんだからな。それが親としての務めなんだよ。」

 「リョウ、親じゃない。」

 「でも親代わりなんだよ。」

 その、請うような言い方に、ミリアは黙った。

 「俺がお前を幸せにするの。そう、決めたの。」

 ミリアは俯き、自分で自分を抱き締めながら、肯いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る