第17話

 幕の下ろされたステージでリョウがjacksonのkingVで、試しにワンフレーズのリフを弾く。それだけで幕の向こうの客席は割れんばかりに叫び狂う。一時も待ってはおられない、そんな興奮が直に伝わってくる。

 その隣ではミリアがシェンカーモデルのFlyng Vを提げ、MARSHALL2000のアンプの目盛りと足元のエフェクターをしっかと確認し、一つ頷く。そしてアンプの上に置いたシルバニアファミリーのペルシャ猫の一家を一匹一匹丁寧に撫でると、厳しい眼差しで前に向き直った。

 シュンとアキは既に準備を終え、それぞれ肩を回したり、首を回したりなぞしている。

 「行くぞ。」リョウが後方を振り返り、言った。そして四人は頷き合う。

 アキが高々とスティックを挙げて、にやりと微笑んだ。それと同時に凄まじい爆雷の如き音がハコを襲った。幕が一気に落とされた瞬間、客が一斉に前方へと押し寄せる。それと同時に熱風のようなものが、演者を襲った。

 もう何年も演奏し続けている、『BLOOD STAIN CHILD』。絶望をそのまま具現化したようなリフが双方のギターによって放たれ、そしてやがて見事なハーモニーを聴かせる。終わりのない苦しみと、死への希求。しかしそれがソロで一気に昇華されていく……。ミリアが生まれて初めて創り上げたソロであり、ファンが毎回待ち望んでいる曲の一つだった。最初に披露した際には、ミリアがそのあまりの苦しい感情表現に、弾く手を止めてしまい、しかしそこでリョウが自らの音量を上げ、あの傲岸不遜なはずのリョウがフォローしたというのも長く語り継がれる所となっていた。

 ミリアはこのソロを弾く時必ず思い出す。ひたすら父の死を希求することで終わりを願った絶望の日々を。真っ暗な世界を、延々暑さ寒さに身を痛めつけられながら、終焉が訪れてくれるのかもわからないまま、ひたすら歩いた。しかしその最後にはリョウがいた。自分を地獄から救い上げ、生きる喜びを教えてくれた人――。

 ミリアはソロ最後の音を激しくかき鳴らすと、雄々しいリョウの後姿を見詰めた。誰よりも、大切な人。あそこに刻まれた、無数の傷跡を知るのは自分だけだ。これからは、私が、守るのだ。ミリアは上半身を振り下ろすように、次の曲のギターのリフを激しく刻んだ。客の熱気と共に音が無限の力を持ち始める。

 曲は次々に進んでいく。そして、リョウが突然その合間に言葉を発し始めた。

 「お前ら、楽しいか。楽しけりゃあ、次はこのハコぶちのめすぞ。お前らの気迫でな。準備は出来てるか?」

 客がざわめいた。

 「リョウさん、どうしたんだ?」

 「何でMCやってんの?」

 「何かあったのか。今日はいつに増して凄ぇ気迫だぞ。」

 昨今、リョウがステージでしゃべることはほとんど無かった。チューニングやらドラムの調整やらで、やむを得ず曲と曲の合間に時間を入れる時にしゃべるのは、決まってシュンだった。しかし、今、リョウは客の一人一人を睨むように見据え、明らかに殺気立っているように思われる。あたかも獣が獲物を求めるかのように。

 「……野郎、どこに、いやがる。」

 低く呟くように言った時、シュンは慌ててリョウからマイクを奪い取った。「お前らまだまだイケんな? 後先なんざ考えず全てをここで燃やし尽くせよ! 次の曲は、『Endless Despair』!」

 そして次の曲が始まる。

 ミリアははっとなった。モデルのスカウトマンをリョウは探しているのだ。しかも明らかな怒りをもって。ミリアは焦燥した。リョウが自分の身を案じ、怒りに任せてギターを弾き、咆哮を響かせている。ミリアはリョウを救うのだ、という気持ちに駆り立てられながら、躍り上がるように前方へと飛び出すと、客を煽り、自分も激しくヘッドバッキングをしながらリフを刻んだ。

 リョウはいつも以上の気迫でもってギターを奏で、咆える。目の前にいる客が見えているのだか、見えていないのだか、とかく何物をも寄せ付けない、天をも穿とうとする怒りによって終始一貫されたこのライブはバンドの歴史に新たな歴史を築くこととなった。

 二時間半に及ぶステージは、予想外の二度のアンコールを経て終わった。誰もが満足しきった笑みを浮かべながら、そして心地よい疲弊に身を包みながらステージ上の四人を見送る。リョウもミリアも、シュンもアキも楽屋に戻ると暫く口が利けない程に疲弊していた。


 「……お前、どうしたんだよ。」漸くして、シュンが口を開く。「いきなりしゃべりだして。」

 「……野郎にナメられたくなかったからな。」リョウがそう言って、汗だくの額を拭い、テーブルに置かれた水のペットボトルを一気飲みする。

 「ミリアをだまくらかして、裸にして男と絡ませるのは、俺が断じて許さねえ。」

 ミリアは目を丸くする。「ファッション誌、って言ってた。」

 「騙されるな。世の中金になりそうな奴をぼろくそになるまで酷使して何とも思わねえ大人は多い。……でも大丈夫だ、俺が撃退してやっから。」

 「お前、落ち着けよ?」アキがそう言って苦笑いを浮かべる。「ライブにまで足を運ぶって、そこそこの誠意はあると思うぞ?」

 「バカめ。悪役は最初は誰も甘い顔して登場すんだよ。」リョウはふっと皮肉めいた笑いを浮かべる。

 「……さすが人間不信。」シュンが呆れたように呟く。

 扉が叩かれた。そして受付をしていた若い女が恐る恐る入って来る。「あの、モデルエージェンシーの榊田さんという方が、ミリアさんとお話をさせて頂きたいと……」

 「来やがったな!」リョウは歓喜の声を上げ立ち上がった。


 その後楽屋に入ってきたのは、四十代半ばにも見えるスーツ姿の男と、二十代半ばの、やはりスーツ姿の女性だった。

 「お疲れの所、お時間を頂きまして誠にありがとうございます。」

 男は名刺をリョウに差し出す。

 「私は、asia modelsの代表取締役社長を務めております、榊田と申します。この度はミリアさんに是非ご協力を頂きたいと、保護者の方より先んじて未成年であられるご本人様にお声掛けしてしまい、大変失礼を致しました。」

 「お前な」まだライブの余韻が残っているのであろう、リョウはステージ上と同じ口調で言った。シュンとアキはこぞってリョウの肩を小突いたが、気付きはしない。慌てて二人は苦笑いを浮かべた。「ミリアを騙そうったって、そうはいかねえからな。確かにミリアには両親はいねえが、俺がその代わりをやっている。俺の庇護下にありながら、ミリアを素っ裸にして男と絡ませるなんざ、天地がひっくり返ってもねえからな。わかってんな。」

 社長は目を丸くする。「ミリアさんにご協力頂きたいと考えております撮影では、確かに夏服を着て頂く予定ではありますが、水着等露出の多い服装はございませんし、ましてや男性と取るカットの予定もありません。」

 「そりゃおっさん、予定だろ、予定。予定は未定。カメラ回しながら、やっぱ男がいなきゃねって、絡ませるつもりなんだろう?」リョウは一切引くことなくそう言って、二人をねめ上げた。「クソったれ!」

 「こちらをご覧ください。」秘書とも思しき女性が、こういう対応には慣れたものとばかり、一切表情を崩すことなく黒い鞄から一冊のファッション誌を取り出した。「ミリアさんにご協力願いたいと思っております媒体は、20代の読者層を持つコンサバ系のファッション誌です。」そう言って中身を開く。

 “月曜日は会議・火曜日はアフターに彼氏と食事・水曜日は女子会……”OLがその曜日ごとの服を紹介しながら笑顔を浮かべている。

 「何だこりゃあ。」リョウは顔を顰める。

 「メイン層である大学生から社会人数年目の読者にとって、何かに打ち込む、フレッシュなモデルが今、必要とされています。そしてそのコンセプトにミリアさんは、ぴったりなのです。」

 そういって女は、リョウの後方で恐々とやり取りを見詰めているミリアに向き合った。

 「ミリアさんのことは、既に広く噂になっておりました。とりわけ、ライブハウス界隈で、ということになりますが。美少女がヘビメタ? ですか? とにかくそんな過激なギターを弾き、夜な夜なヘビメタファンを熱狂させていると。」

 「ヘビメタ、じゃねえよ。ヘヴィメタル、もしくはメタルって言えや。」リョウは不機嫌に答える。

 「も、申し訳ございません。門外漢なもので。」女はすぐさま頭を下げる。

 「いえ、気にしないでください。偏屈なメタラーのただの拘りですから。」とシュンはそう言うと、慌ててリョウの足元を蹴飛ばした。

 「当初我々とは全く縁も無い話であると考えておりましたが、HPで写真を拝見すると、モデルとして十分に通用するルックスの良さに驚嘆いたしました。まだ中学生でありなら完成された目鼻立ち、全身のバランスの良さとスタイルの良さ、身長も……、ステージモデルとしては小さすぎますが、逆に、雑誌モデルとしては既存服を美しく着こなせる、雑誌媒体としては最も必要とする大きさです。特に印象的なのが彼女の瞳で、何といいますか、老成していると言いましょうか、深みのある、全てを観通すような、極めて印象的な目をしておられます。先ほどのステージでも感じましたが、非常に表情豊かで、この年齢の少女が背負うはずのない、負の感情表現も見事です。そして噂通りの優れたギターのテクニック。何かに打ち込んでいる同世代、というのは読者からの共感や支援を受けやすい。お兄様の心配なされるような撮影にはなりません。私が、責任をもって付いております。」

 「あんたが付いてたって。」リョウは不貞腐れたように言う。

 「一度撮影をされてみて、もし、ミリアさんが合わない、厭というのでしたら、残念ですが、引き下がります。絶対に、万事無理強いは致しません。」今度は社長がリョウの前に進み出た。

 「……。」リョウは二人の真剣な眼差しに押され、ほとんど助けを求めるように後方のミリアを見遣った。ミリアは不安げにリョウを見上げている。

 リョウは再度前を向くと、「あのね、ミリアは俺の世界でたった一人の肉親なんです。こいつがね、あんまり無関係のあんたらには言いたくねえが、諸事情でクソ弱ってた頃から、俺は何とか生き延びさせてえって思いで、そんで出来るなら世の中捨てたもんじゃねえって思わせたくて、それだけで俺は必死になってこいつを幸せにするためにできることはねえかって考え、考え、生きてきたんだよ。そんで俺自身も、ミリアに助けられて今日まで生きて来た。こいつがいなくなったら、俺もこのバンドも終わる。そんなのはマジで考えたくもねえ。でも、そんぐらい俺はこいつを世界一大切に思ってんだよ。ギターが弾けなくなるより、歌が歌えなくなるより、こいつがいないのが、一番俺には堪えるの。そんな大切なミリアを、他人のあんたらにこれ以上一ミリも傷つけて貰っちゃ、困るんだよ。」

 リョウの後ろでシュンがミリアの肩を叩く。二人は微笑み合った。

 「当然です。」社長はきっぱりと言った。「どんなお子様も、親御さんやご兄弟の深い愛情と期待を背負って生きていらっしゃいます。我々はしかし、それを邪魔立てするものではありません。むしろ、そのお子様をより輝かせ生き甲斐を、与えていく、そういう役割を担っていきたいのです。無論顔が広く知られるというのには、多くのデメリットが伴うことも事実ではあります。しかしミリアさんには他にはない輝きがあります。最初、写真で拝見した時には愛らしい少女でしたが、今日拝見したミリアさんは……」社長はううむ、と言葉をひねり出すように呻き、「全ての民衆を惹きつける、ドラクロワの女神のようでした。」

 「へえ。」とリョウは知らぬとも言い出せず肯く。そして渋々ミリアを振り返った。「だって。……ミリア、どうするよ。」

 ミリアはリョウに抱き付いた。「ミリア、モデルやる。」

 即座に社長と女は目を見開いた。そして満面の笑みで顔を見合わせた。

 「……マジか。」リョウはふうと溜息を吐いた。しかしそこには、そうなるであろうと思っていた、とでもいうような諦観と安堵があった。「じゃあさ、社長さんとあんた、ミリアをよろしくお願いします。ただし、傷つけたらただじゃおかねえから。そん時、は俺はマジでどうなってもいい覚悟であんたらをぶっ飛ばしに行く。底辺デスメタラーをなめんな。」

 ミリアがリョウを後ろから抱きすくめた。

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