第16話

 そうしてライブの日がやって来た。ミリアのpeavyのヘッドアンプのステージ搬入を手伝いながら、スタッフのヨウヘイが「ミリアちゃん、今日モデルにスカウトした人が来るんだって?」と尋ねる。

 ミリアは、手を止め、「あ。」と答えた。「忘れてた。」

 「わ、忘れてたの?」

 「オシャレしてこなかった。」

 「オシャレ……。メタラー的に言えばすっごくオシャレだよ!」ヨウヘイはミリアを必死に激励した。「それに、モデルもいいけどさ、やっぱりミリアちゃんにはリョウさんと一緒にLast Rebellionでギターを弾き続けて欲しいな。二人の完璧に一致した音は、今後も絶対このバンドに欠かせないし。」

 「ギターがいい。」言下に発する。

 「そうそう!」ヨウヘイもはしゃいで答える。「写真なら、いつでも俺が撮るからさ。ミリアちゃんのライブの写真、HPに載せると毎回凄い評判いいんだよ。こんな美人がマジでデスメタル弾いてんですかって、メールでの問い合わせがたくさん来たり。」

 ヨウヘイは薄給にもかかわらず、ライブ当日の機材の搬入から物品販売、ライブ中の写真撮影など、バンドにかかわる多岐に亘る仕事全般を行ってくれていた。それはLast Rebellionを心底愛しているからに他ならない。

 「モデル会社の社長じゃなくっても、ミリアちゃんが美人だってことはみんなわかってるよ。」ミリアの頬がうっすらと紅潮する。そんなことを面と向かって言ってくれる人はいない。もしリョウがそんなことを言ってくれたら……。ミリアは顔を真っ赤にしてライブハウスの階段を降りた。薄暗いステージ上では既にリョウがセッティングを行っていた。ミリアを見つけると、ヨウヘイと一緒にアンプを上げてやる。

 「もう直に、リハだからな。」

 ミリアは恐々とリョウを見上げる。

 「何、どうした?」

 「あのね、忘れてた。モデルのおじさん来るの。」

 確かに昨今はミリアの口からモデルという単語が出ることはなかった。そればかりかユウヤとの勉強に熱中しており、ギターと勉強こそが、今やミリアにとって欠かせない習慣となりつつあったのである。

 「別に構やしねえだろ。何だ、ひらひら、ぴらぴらした格好でもしてステージ立つつもりだったのかよ。」

 ミリアは自分の服を見下ろした。今日は、異形の人間だか、天使だか、悪魔だかよくわからない人物が、血まみれになりながら寂しげな眼差しで前を見据えている、Last Rebellionの新しいCDジャケットをそのまま引き写したTシャツだった。それに下はリョウとお揃いの迷彩柄のパンツに軍靴。到底ファッションモデルのそれではない。戦場にでも赴く、と言った方がより納得されるだろう。

 「人に媚売ってちゃあ、ダメだぞ。てめえの内面を、絶望を、死を、悪夢を、表現するんだからよ。」

 ミリアは解っている、とばかりに何度も肯く。しかしどこか、自分の見た目を讃嘆してくれた人に対する、愛着のようなものが、ある。自分のファンが差し入れだ何だを携え、自分を取り巻くのをこそばゆくも嬉しく感ずるように。それに、ミリアは恐らくは人生で最も自惚れの強くなりやすく、また一方で、それが満たされないと奈落の底に落ちていく、嵐のような齢にいた。

 ミリアはリハのステージに立つ。リョウを右手に追う、絶対にこの場所は渡すまい、と思う。ここにいる自分を何よりも誇らしく思う。この座を死守するためなら、どんな労苦でも喜んでしようと思う。日々の鍛錬は無論、絶望しかなかったあの日々を眼前にあるものであるかのように想起するために、あの場所に足を踏み入れることだって、厭わない。ミリアが今日、人々を瞠目させる程のテクニックを習得し得たのは、ひとえにこの思いからだった。

 One Controlで揃えた色とりどりのエフェクターボードを足元に置き、片っ端から踏んでいく。ライトが次々と点灯する。そしてその脇に、ソロ用に用意したCRAYBABYに脚を置く。

 PAに促され、ドラム、ベースに次いでミリアがリフを刻む。このハコが割れよ砕けよ燃え尽きよ、とばかりに激しく。三人は昨今の練習で慣れた音ではあるとはいえ、やはり瞠目する。昨今ミリアの気迫は異様でさえある。スタジオでの練習であろうがリハであろうが、場所も条件もお構いなしに、弾きまくる。PAがOKを出してからも勢いやまず、尚数小節を弾き続け、どうにか、納まった。次いでリョウがギターのチェックを受ける。ミリアの気迫に圧されたか、リフとソロのフレーズ少々で、呆気なく終わる。それからデスボイスも、数パターンをがなり立てただけで、終わった。


 「どうしたの。」

 開場の時間が迫り、楽屋の隅で目を閉じじっと座っているミリアに、シュンが語り掛ける。

 ミリアは大きな眼をぱっと見開き、「集中。」と答えた。

 「うん、そうだな。たしかに。」

 再び目を閉じたミリアに慌てて、シュンは「お前最近、やたら凄ぇ気合十分に弾いてない?」と付け加えた。

 ミリアはうん、と肯く。

 「何か、あった? あ、もちろんいいことなんだけどさあ。ほら、俺も倣おうかなって、あははははは。」

 その明らかな作り笑いをミリアは不審げに見詰める。

 「リョウと、一緒に、」そして、ステージの方を指差した。「……ずっと、あそこに、いたいの。」

 「え? 何、今更。もう何年もお前ずっとうちのギタリストじゃん。」

 「……リョウ、ミリアのこと、嫌いだから。」

 目に無理な輝きが宿り始め、唇に力が籠もる。シュンは少なからず焦った。

 「な、泣くな泣くな。お前、何か勝手に変な風に思い込んでねえ? 嫌いなわけねえじゃん。」

 「……0点。」

 シュンははあ? と顔を顰める。

 「ミリアいっぱい0点取ったの。」

 ああ、そのことかとシュンはミリアの頭を撫でてやる。

 「たかが学校のテスト0点なんてリョウは何とも思ってねえよ。メタラーなんざバカばっかしだぞ。ユウヤみてえな特例は、まあ、たまに、いるが……。」

 ミリアは力なく首を横に振る。

 「でもリョウね、毎晩、走りに行っちゃうの。メロスなの。」

 シュンは再度首を傾げる。

 「……そりゃあ、ライブ前はボーカリストは走るぐれえ普通するよ。体力が大事だからな。」

 「……三時間も、走るの。」

 ミリアが涙目でシュンを見上げる。

 「凄ぇ、マジで? フルマラソンでもやる気なのかな。前、ハーフは走ったっつってたぞ。」

 ミリアは再度首を横に振る。「ミリアと、いたくないの。……彼女、いるかも。」

 シュンは噴き出しそうになるのを、堪えた。「……何でそんなこと、考えたの? ええと、最近よく電話してるとか?」

 ミリアは暫く考え込み、「……ユウヤと、家庭教師の時間決めてる。」と言った。

 「じゃあ、大丈夫だろ。だいたいな、女ができた時っていうのは浮かれて、やたら電話が多くなって、そんで、デスメタルの曲が書けなくなる。」

 ミリアははっとなった。「最近、リョウ、曲作ってない!」

 シュンはやばい、と言った風情で「あ、これはあくまで一例だ、一例。んなことライブの前に考えるもんじゃねえぞ。リョウは誰がどう考えたってお前のことだけを愛してるじゃねえか。お前、見てわかんねえの? それのが人として末期だぞ。」と囁く。

 しかしみるみるミリアの唇がぶるぶると震え出す。今にも泣き出しそうである。開場時にこんな話を提示するのではなかったと、シュンは痛烈なまでの後悔を覚える。

 「……ミリア、バカだから。」

 遂に頬に伝い落ちた涙を慌ててシュンが拭う。

 「んな、頭の良し悪しなんて、メタラーには関係ねえだろが。大事なのはギターだろ、ギター。テクニックと表現力。ほら、それに、モデルにスカウトされるなんて、そっちのが遥かに凄ぇじゃん。ミリアが美人ってことだよ、美人!」

 ミリアの濡れた睫が瞬きを繰り返す。

 「リョウ、美人好き?」

 そりゃあ、男なら誰でも好きだろうよ、と喉まで出かかって、そんな勝手な発言がリョウにばれたら何をされるかわからないと思い、言葉を飲み込む。

 「……ミリアのことは好きだよ。」

 ミリアのふっと口元が弛んだのを見て、心から安堵しつつも、即座にしかしこのままステージに上がって気の抜けたプレイをあれたらそれはそれで一大事だということに気付き、「あ、でも多分ギター頑張って弾いてるミリアが一番好きだろうな。」と、よそよそしく付け加えた。

 そこにリョウとアキとがステージドリンクを片手に戻って来る。

 「ほら、お前の分。」リョウがミリアにペットボトルのミネラルウォーターを手渡す。ミリアはこくり、と頷いた。その様を見てリョウは大仰に笑い、

 「何だお前その顔、さては緊張してんのか。」と言ってミリアの肩を小突く。

 外からは客の声がし始めた。どうやら開場になったらしい。「大丈夫だ、安心しろ。俺が守ってやるからな。見てやがれ、クソ野郎が……。人の陣地まで殴り込んで来るたあ、その度胸だけは認めてやらんでもないがな。」リョウがステージ側を睨むようにして眺める。

 「……ミリア、美人?」水を持ったまま、ミリアは請うようにリョウに言った。

 シュンは目を見開いた。心臓が痛烈に痛んだ。

 「はあ?」

 シュンは祈る。嘘でも何でもいい。イエスと言ってくれ、それで全てが丸く、納まる。

 「あっはっはは。何言ってんのお前、俺と似たよな面構えしてて、美人とか!」

 ……終わった。シュンは膝から崩れ落ちそうなのを、満身の力でもって耐え忍んだ。ちらとミリアの後姿を見ると、肩で激しく呼吸を繰り返している。

 耐えているな、大丈夫かな、とシュンが見詰めたその一瞬間の後に、わあああ、と喚いてミリアは楽屋を飛び出した。

 「おい、待て!」シュンが後を追う。「客入ってんぞ!」

 リョウが呆気に取られて二人の後姿を眺めた。

 「……何あいつら。」

 「おい、もうちょっと考えてやれよ。」アキがリョウを睨む。

 「何をだよ。皆でこぞって美人だなんだとあいつをちやほやして、正真正銘取り返しのつかねえバカ女になったらどうすんだよ。そっちの方が罪悪じゃねえか。」

 「ミリアはそんな雑音はちっとも嬉しがってねえよ。そんなことよか、お前に好かれたくて必死なんじゃねえか。」アキが呆れたように言う。

 「はあ? そりゃあ妹だ、最初っから一日も欠かさず大切にしてるに決まってんじゃねえか。だから、今日だってクソ野郎がミリアのこと騙くらかそうとしているのを、黙ってみているつもりは一切ねえしな。」

 「そういうんじゃねえよ。」アキが睨む。「ミリアはお前に、恋してんじゃねえか、恋。」

 リョウはさすがに絶句した。「……何それ。ミリアが言ったのか。」あの朝の悪夢が蘇る。

 「言わねえとわかんねえのかよ、クズ。」

 そこにミリアがシュンに手を引かれ、楽屋に戻ってくる。泣きはらした顔は、誰が見ても一目でそうとわかるレベルで、赤い。

 「お前なんだ、その顔!」リョウは思わず叫び、時計を見た。スタートまであと15分しかない。舌打ちしながらミリアを楽屋の端にある洗面台に連れていき、勢いよく蛇口をひねった。

 「冷やせ、とにかく。……ああ、もう、何でこのタイミングで泣くんだよ。あ、生理か?」

 ミリアがさらに喚き、シュンとアキが頭を抱える。

 「お前、もうあっち行ってろ。」アキがリョウの背中を押し出し、しぶしぶリョウは楽屋を出た。

 「ミリア? あのな、落ち着いて聞いてくれ。」アキがバンドのタオルでミリアの顔を拭ってやる。 「そもそもLast Rebellionはお前が入る前は、ギタリストが全然定着しなかったんだ。これは、知ってるよな?」

 ミリアは泣き顔を上げて、うん、と頷く。

 「ライブ2、3回で辞めたっつうか、辞めさせた奴もいたし、とにかく全然定着しなかった。俺ら一時期はずっと毎回違う奴とスタジオ入ってたんだよ、訳わかんねえよな。でも、それはそんだけリョウが、自分の音楽を表現できる奴ってことに拘り続けてたってことなんだ。音楽のこととなると、一切妥協っつうもんを知らねえしな。とにかくどんな手練れが来ようが、経歴の凄ぇ奴が来ようが、あいつは頑として認めなかった。」

 「あと、あいつが我がままで、自己中で、人の気を知らねえってのも要因だったな。」シュンが補足する。

 「そんな中、お前が初めてなんだよ。ギタリストとして八年間もここにいてくれてるのは。お前のギターは、世界で一番リョウに合ってる。リョウと同じ音、同じ泣き方、同じ曲の解釈。ずば抜けてる。随一だ。その点お前にはリョウも俺らも凄ぇ感謝している。実際、お前が入って、バンドはどんどん進化していってる。曲はよりエモーショナルになったし、客も増えた。」

 ミリアはタオルの中に顔を埋め、頷く。

 「ただ、あいつは人の気を知らないし、そもそも人の愛ってモンを知らない。メンバーにしろ対バンにしろ、すぐ切ったり厭だと言ったり、普通にする。しかもそれを何とも思わねえ。」アキは一呼吸を置くと、「だから、お前が愛情を時間をかけて教えてやってくれ。そうしたらリョウもいつか学ぶはずだから。」

 ミリアは驚いてアキを見上げた。涙はいつの間にか止まっていた。

 「わかったな? あいつに愛を教えてやるんだ。お前はもう単なる庇護されているガキじゃねえ。わかったな? ……ほら、開演だ。」

 シュンは楽屋の扉を開けると「リョウー!」と怒鳴った。「早くしろ、出るぞ!」

 「お前らが追い出したんじゃねえかよ!」遠くから声が響く。ミリアはくすり、と微笑んだ。

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