第4話 残された思い出
――3週間前。
獅乃咲家の敷地内である道場の中で……日向威流は、獅乃咲流空手の鍛錬に励んでいた。艶やかな黒髪を短く切り揃えた、精悍な顔立ちの青年が、白い道着に袖を通し拳を振るっている。
戦場を制する精強な魂は、精強な肉体に宿る――という獅乃咲の教えの下。彼はパイロットでありながら、こうして空手の稽古に精を出しているのだ。
「ハッ、トァッ!」
覇気の籠もった叫びと共に、拳が空を切る。その貌は戦場にいる時と変わらない、毅然とした色を湛えていた。
「……ハァアァアッ!」
やがて。彼は高く跳び上がると――目前の瓦を狙い。鋭い手刀を振り下ろした。
「
決着を告げるその叫びと共に――50段に積み上げられた瓦の塔が、一瞬にして両断された。激しい衝撃音と共に離散していく破片が、その威力を物語っている。
「……フゥッ」
獅乃咲流に伝わる奥義。その一つを放った彼は、額の汗を拭うと踵を返す。
――既に外は夕暮れ時を迎えている。今日の鍛錬は、ここまでだ。
「威流様!」
すると。道場を去ろうとしていた威流の前に、和服姿の少女が慌ただしく駆け込んできた。
妹のように可愛がっている許嫁の登場に、威流の表情が柔らかいものに変わっていく。
「んっ? ――あぁ、お帰り葵。今日はえらく早かったんだな。友達と一緒じゃなかったのか?」
「威流様、本当なのですか!? 来週、新たな怪獣が目撃されたと言う宙域の調査隊に加わるというのは……!」
「え……もうそれ聞いたのか? ……さては雅先生だな。お喋りな人なんだから、全く」
だが、公にされていないはずの任務について言及されたことで、再び仏頂面に戻ってしまう。そんな彼に、許嫁は縋り付くように駆け寄ると、汗で手が汚れることも厭わずに道着を握り締めた。
戦争が終わりかけた矢先に、愛する男が再び死地に赴こうというのだ。しかも、自分には内緒で。そんなことを知った以上、許嫁は――葵は、居ても立っても居られなかったのである。
「ど、どうかお辞めになってください! せっかくこの地球上から怪獣が殲滅され、平和が戻ったばかりだというのに! 守備軍は一体、何をお考えでっ……!」
「……戻ったばかり、だからかな。戦勝ムードで盛り上がってるって時に水を差されるわけにもいかないし……何より、勝利宣言した後にこの件が明らかになったら、軍部のメンツに関わる」
「しかし……! だからと言って、威流様が行かなくてはならない理由にはっ!」
「上は、この件がバレる前に早々に処理したいんだろうよ。だから見つけ次第、すぐ撃破するためにオレ達を選んだんだ」
威流はそんな彼女を宥めるように、優しく肩を撫でる。普段なら、彼に触れられたことで気を良くして、言うことを聞いてしまうところであるが……今回ばかりは、引き下がるわけにはいかなかった。
今回の任務には「未知の大怪獣」という、かつてない危険が伴うのだから。
「……地球に襲来してきた奴らより、遥かに巨大な宇宙大怪獣。もし本当にそんな奴がいるのなら、いずれにせよ人類の脅威になる。オレ達が行かないと、この星のみんなが危ないんだ」
「でもっ……でも!」
「心配ないさ。今までだって、危険な任務はいくらでもあった。……それを乗り越えてきたオレ達だからこそ、この任務に選ばれたんだ」
「……威流様」
「だから安心して、いつも通りにここで待っててくれよ。ちゃんと帰ってくるからさ」
「……」
――そんな彼女の思案をよそに。威流は葵を不安にさせまいと、「なんてことない」ように明るく振舞っていた。此の期に及んで、自分を子供扱いする威流の対応に――葵は苛立ちを募らせる。
(……威流様は、いつもそうやって、何でもないことのように振舞われて……! いつだって、過酷な戦いばかりだったのに! 私の前では、辛い顔一つお見せにならない……! そんなにも私は、子供だと言うのですか!)
それが暴発するまでに、そう時間は掛からなかった。かつてないほどに危険な任務であるはずなのに、決してあるはずの不安を口にしない彼に。絶対に自分に寄りかからない彼に。
――葵は「妻になる者」としての憤りを、噴き出した。
「……しは……では……せんっ……」
「葵……?」
「……私はっ! もう、子供ではありませんっ!」
道着の襟を掴み、自らの体を寄せる。衣服越しに密着し、豊かな胸が逞しい胸板に押し潰されていく。
自分の和服が威流の汗で汚れることなど、気にもとめず。彼女は決して逃がさないと言わんばかりに、彼に迫り出した。
「どうしても行かれると仰るのであれば……さ、先に! 世継ぎを残して頂かなくてはなりません!」
「ど、どうしたんだ急に。世継ぎって……んな大袈裟な」
その鬼気迫る貌と、歳不相応な色香に圧倒されつつ。威流は取り繕うように笑い、再び宥めようとする。
だが――彼の瞳を射抜く葵は、その誤魔化しを許さない。
「……大袈裟なものですか。私は、知っているのですよ。今まで、貴方が参加されてきた作戦全てが……決死隊にも等しい修羅場だったことくらい」
「……!」
「今度も大丈夫、いつものこと。――威流様はいつだって、私の前ではそんな悠長なことばかり仰る! 何もできず、ただ座して結果を待つしかない私のことなど、気にも留めずっ!」
――いつしか。彼女の頬には、雫が伝っていた。
愛する男を、幾度となく失いかける不安と恐怖。自分がその只中で苦しむ中、当の本人は胸中にあるはずの恐れなど微塵も見せず、気遣うように微笑み続ける。
そんな日々が、彼女に突きつけた無力感が……今こうして、彼女の涙を誘っているのだ。
「私は……私は、好きでこの家の娘に生まれたのではありません! 私だって、本当は……戦いたかった! 大切な人と、苦楽を分かち合って生きて行きたかった! こんな、こんな大変な時に、何もできない体なんてっ……!」
「葵……」
「……私も、もう16です。そうやっていつまでも、幼子のように可愛がられるような歳ではありません! どうしても、戦地に赴かれるのであれば……私も許婚として、伴侶として……その務めを、今果たしますっ!」
止めどなく溢れる、激情の濁流。その勢いにさらわれるように、彼女は威流の手を掴むと、その掌を自分の胸に押し付けた。
「んっ……!」
「お、おい葵!」
着物の中を通し、直に触れる葵の肌。その柔らかさと、雄の本能を刺激する彼女の色香にたじろぎつつも――威流は理性を以て、彼女を止めようとする。
だが、葵の強い眼差しが「止めないで」と訴えているようだった。
「な、何を慌てることがありましょう。私は、貴方の許婚。これくらい当然……んぅっ!」
「ちょっ……」
「あぁ、はぁっ……!」
そうこうしているうちに、胸元を肌蹴た葵は、円を描くように威流の掌を誘導する。
――柔肌の先に伝わる、力強い男の掌。それを直に感じて、未だに男を知らない葵は甘い息を漏らしていた。
(甘くて、温かくて、切なくて……これが、これが……)
気づけば彼女の肢体は、鍛錬を終えたばかりの威流より汗ばんでいる。このまま、感情の赴くままに流されてしまえば……自分はどうなってしまうのだろう。
そこから先への不安と期待が、彼女の胸中を席巻した――その時。
「――何をしているのですか?」
冷や水を掛けるような声とともに。道場の空気が、一瞬で凍りつく。
「――っ!?」
我に帰った2人が、声の方向へ振り返った先では――当主である獅乃咲雅が、冷ややかな眼差しでこちらを見据えていた。
「あ、あぁ……お、母様……」
「……全く。いくら不安だからといって、それは無謀にも程がありますよ。獅乃咲の娘として、慎みが足りません」
「し、失礼、しましたっ!」
花も恥じらう年頃の乙女が、実の母に最も見られたくない瞬間を見られた。その衝撃は、武家の娘として気丈に育てられてきた葵ですらも、一瞬で赤面させてしまう。
彼女は耳まで真っ赤に染め上げながら、慌てて乱れた和服を直すと、そそくさと道場から逃げ出してしまった。威流は咄嗟に呼び止めようと手を伸ばすが――雅の視線が持つ強制力に、阻まれてしまう。
「あっ、葵……!」
「――貴方も貴方ですよ、威流。16とはいえ、葵はまだまだ子供です。正式に貴方と結ばれる日までは、こういったことは謹んで頂かなくては」
「……あはは……」
16歳とは思えないほどの妖艶な身体に、思わず息を飲んでしまった。幼い頃から知っている、妹のような娘に。……そんな自分の節操のなさを恥じるように、威流は頭を掻く。
「……でも、雅先生も口が軽いですよ。葵には黙っとくつもりだったのに」
「そろそろあの子も、祝言の日を意識する年頃ですから。貴方の任務について、よく知っておく必要があります」
「……」
そんな彼を見つめる雅の眼は、次第に「厳しさ」から「優しさ」へと、その色を変えていく。彼女も、1週間後に控えた特別任務の件で気を揉んでいるのだ。
「……かつてない危険な任務、となりますね」
「でかい怪獣ってことは、それだけ的も大きいということ。……やりようならあります」
「えぇ……私も、そう願います」
そんな彼女に対し、威流は誤魔化しの笑みではなく、真剣な面持ちでそう答えてみせる。
――だが、雅の表情に滲む曇りは、晴れない。守備軍の高官であり、歴戦の武官でもある彼女は、威流以上に理解しているからだ。今回の任務は、これまでの戦いとは桁違いに危険なのだと。
「……必ず。無事に帰って来てくださると」
「はは、なんですか雅先生まで。……大丈夫ですよ。任務が終われば、その足ですぐにここに帰って来ます」
「えぇ……あの子と2人で、待っていますからね」
武家の者としての「第六感」が告げる、不穏な未来。それを勇ましく笑い飛ばす威流の横顔を、彼女は物憂つげに見つめていた。
「……」
――そして、それから1週間後。
威流は調査宙域に出没した「大怪獣」の火炎放射により、自機を撃破され行方不明となった。
彼女の懸念は、予想し得る最悪の形で――実現してしまったのである。
だが。彼女は、威流が消息を絶ってから2週間が過ぎた今も、彼の戦死を認めずにいた。
上層部が「民衆に事態を悟られないためにも、早々に葬儀を挙げるべき」と主張する中で――彼女はただ1人、高官の身でありながら威流の死亡認定に反対し続けている。
――それもまた。数多の死線を潜り抜けてきた武人だけが持つ、「第六感」に基づく姿勢であった。
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