第5話

 ブックフェアデート翌日の夕方。

 勝也は由希乃の出勤時間を見計らって、弁当屋の店先の掃除を始めた。

 彼女と顔でも合わせたら謝ろう、と思ってのことだったのだが……。


(あ、由希乃ちゃん)


 目が合って、手を振ってみるが、由希乃は固い表情のまま会釈だけをして、書店にそそくさと入っていってしまった。


(……どうすりゃよかったんだろ、俺)


 とぼとぼと勝也が店に戻ると、店長こと叔父が声を掛けてきた。


「おう、昨日はデートだったんだろ。ダメだったのかい?」

「まあ、ちょっと……」

「結構脈あると思ってたんだけどな」

「あったよ。大あり。だけど……」

「なんだよ、何かあったのか?」


 勝也は掃除道具をロッカーに片付けると、大きなため息をつきながら、客用のベンチにどっかと腰を下ろした。


「これだけ年の差があるとさ……やっぱり無責任なこと出来ないし」

「なんだ腰が引けたのか。度胸がねえなあ」

「それに、弱みに付け込むのも悪い気がして……」

「なんの?」


「俺、亡くなったお兄さんの代わりなのかなって。当人は関係ないって言ってたけど、でもさ……」


「ふーむ、そこまで落ち込んでるとも思えないんだがなあ。だって、彼女のお兄さんが亡くなったのは、もう二年も前だぞ」


「え!? そんなに?」

「あー、言ってなかったけぇ?」

「言ってないよ。わりと最近かと思ってた」

「わりいわりい、じゃ、俺仕込みしてっから」

「んだよそれ……」


 バツが悪くなった店長は、厨房へと引っ込んでしまった。


「お兄さんの代わりじゃない、ってのは本当なのかな。だけど、二年前ってそこまで昔でもないだろうし……」


 店長が厨房に逃げていってしまったので、勝也は仕方なくレジカウンターの中に入った。手持ち無沙汰のためか、さっき拭いたばかりのカウンターを再び布巾で拭き始めた。


「俺、ホントにどうしたいんだろう。彼女欲しいよ、確かに。だけど、もうこんな年なのにフリーターで……。はあ……」


 未練たらたらな自分に嫌気が差す勝也だった。



     ◇



「なんなのあの人。自分で誘っといて付き合わないとか」


 客のいない本屋のレジで、由希乃が毒づいていた。

 昨日の今日でも怒りは収まらず――。


「かといって遊び半分でもないし……。だいたいお兄ちゃんのこととか全然関係ないじゃん」


 ひとしきり毒を吐いた由希乃がため息をついた。


「……やっぱ私、多島さんと付き合いたいのかな。っていうか、彼氏が欲しくない女子高生なんかいないと思うんだけど。しかも同年代じゃなくて年上だし。女子高生なめんなっつーの。――あ」


 気付くと勝也が店に入ってきた。何かを手に、まっすぐレジに向かってきた。


「この本、二巻が欲しいんだけど」

「い、いらっしゃいませ。……あ、お取り寄せになります」

「じゃあ、それで」


 由希乃はレジの下から伝票を取り出した。


「ここにご記入お願いします」

「あい」


 勝也は差し出されたボールペンで、伝票に記入を始めた。


「こないだは、気ぃ悪くさせちまったみたいで、ごめん」

「ええ、悪くしました」

「ストレートだな。怒ってる?」

「当たり前でしょ。女子高生なんだと思ってるんですか」

「尊い」

「は? なんですかソレ」

「はい、書けた。じゃ、よろしく」


 勝也は逃げるように本屋を後にした。


「あ……行っちゃった。ん? 家、けっこう近くじゃん……」


 注文伝票の住所を見ると、勝也の自宅は思いのほか近所だった。



     ◇



 翌日の放課後。


「あたし、なにやってんだろ」


 由希乃は勝也の住むアパートの前にいた。

 勝手に伝票の住所を見て、こうしてやって来たことに罪悪感を覚えないこともないが、そう知らない間柄でもなく。


「あれ? ここ……もしかして」


 思い当たることがあったのか、由希乃はアパートと隣の敷地を隔てる塀の向こう側を見ようと階段を登った。そのまま二階の廊下を進み、一番奥まで来た由希乃は、手すりから身を乗り出し、塀の向こう側を覗き込んだ。

 それは、どこかの会社の裏手のようだ。


「お兄ちゃん……こんなとこで働いてたんだ」


 由希乃の瞳から涙が溢れ出した。

 実際に見るのは初めてだったが、そこは、かつて由希乃の兄が勤めていた会社だったのだ。


「うう……お兄ちゃん」

「あれ、由希乃ちゃん……なんでいるの」

「――え?」


 背後から勝也の声がした。

 振り向いた由希乃の泣き顔を見て、勝也は。


「うわ! ど、どどど、どうしたの、なんで泣いてるんだ」

「きゃあ! いや、あの、あ、あそこ、お兄ちゃんのいた会社で、その……」

「そうか……。思い出して泣いてたのか。ジャマして悪かったな。じゃあな」


 勝也は踵を返して立ち去ろうとした。

 まるで、あのカフェから立ち去ったときのように。


「待って、多島さん!」

「ん?」

「多島さんのお店って、配達とかします?」

「ああ仕出しとか? やってるよ。そこもお客さんだけど」


 由希乃は彼の言葉を聞いて、納得した。

「そっか。だから、お兄ちゃんのこと、店長さんは知ってたんだ……」


「みたいだな」

「あの、」

「ん?」

「注文の本、多分今日届いてると思うんでお店、来てください」

「分かった。じゃ」


 勝也は、すぐにその場を立ち去った。

 由希乃は彼を止められず、階段を降りていく勝也を、ただ見送るしかなかった。


「なんでそんな……素っ気ないの」



     ◇



 アパートを後にした勝也は、一度も振り向かず、ひたすら歩いていた。


「うわあ……なんで、なんであんなとこで泣いてんだよ! 抱き締めたくなるじゃんか! なんとか必死に逃げてきたけど……。もしかして、注文書の住所を見て……いやいや、それはないな。彼女はお兄さんのいた会社を見に来たんだからな。でも、あんな調子じゃあ、お兄さん、成仏出来ねえよな。俺が兄貴だったら、死んでも死に切れねえよ……」


「待って!!」


 追って来た由希乃が、息を切らしながら勝也を呼び止めた。 


「うわ! どうして」


 由希乃はなぜか彼を睨みつけている。


「あの!」

「お、おう」

「あの、あの、……あのぉおお」


 由希乃の目からぽろぽろと涙が零れ落ちる。


「うん、落ち着け。大丈夫、俺、逃げないから、落ち着け」


 さすがにボロ泣きしている女子高生を捨て置くことは出来ない。

 勝也は必死に由希乃を落ち着かせようとした。


「あの、多島さん、なんで彼氏に、なって、くれ、ないん、ですか?」


 勝也は絶句した。

 目の前の女の子が、泣きながら自分に交際を求めてくれるなんて。

 そんな現実離れした光景を、勝也はにわかに信じることが出来なかった。


「どうして、ダメなんですか?」


 ダメではない、いやダメだけどダメじゃない。

 そんな堂々巡りをずっと続けていた勝也が出した結論が。


「罪悪感もあるし、それに、別れるのがつらいから……」

「どうして別れるの前提なんですか」


 どうして彼女は自分を諦めてくれないのだろうか。

 そんなにいい男でもないのに、と。


「俺、付き合って上手くいく絵が描けないんだよ。食い扶持も稼げない男が女子高生と付き合うなんて、無責任じゃないか」


 確かにそれは、この事件の一側面ではある。

 それも彼にとって結構重要な。


「別に私だって働くかもしれないし、それ、今考えることじゃないですよね?」


「いや、考えることなの。だから困ってんの。それに……、いくら君が関係ないって言っても、やっぱり考えちゃうんだよ、お兄さんのこと」


「ううう~~っ、だいたいなんで兄のこと考えるとこうなるんですか?」


 由希乃がさらに怖い目で勝也を睨み付けてくる。


「年、結構離れてるでしょ。だから、俺にお兄さんのこと重ねてるんじゃないかって……」


「はぁ?」


「…………えっと……違う、のかな?」


「兄は関係ないです! 超絶関係ないです! 別に重ねたりしてないし、ブラコンでもないし、普通に彼氏が欲しいただの女子高生です! これでもまだダメ?」


 ものすごい勢いで畳みかける由希乃に、勝也は自分の心の壁が少しづつ削り取られていくのを感じた。


「どうして俺のこと諦めてくれないの、由希乃ちゃん……」


「そんなのわかんない! でも、ホントは付き合いたいのに付き合わないのって、なんかおかしい! そうでしょう?」


 勝也は唖然とした。

 あまりにストレートな由希乃の言いように、もう勝てないな、と思った。

 勝也なのに、とセルフ突っ込みをしながら。


 ふと勝也の頭の中で、人の声が聞こえた気がした。

 ――妹を頼む、と。


 多分、自分には覚悟が足りなかったんだろう。そう勝也は思った。

 なのにこの子は、最初はあんなに内気だったのに、勇気を振り絞って自分とイベントに行ってくれて、気持ちを寄せてくれて。

 それなのに自分は卑怯者のくせに未練たらたらで。それでも真っ直ぐに気持ちを向けられたら、受け止めもせずに逃げようとした。


 ――こんな自分は、もう嫌だ。この子が変えてくれた。だから。


「負けた。……いろいろ言い訳したけど、俺、ホントは、いろんな意味で、キミを受け止められる自信がなかった。だから逃げた。多分、それが正解。そんで、お兄さんを想うピュアなキミを騙すみたいで気が咎めて逃げた。それもある。俺は、そういう卑怯者なんだ。――君は、それでもいいの?」


「正直者なら、それでいいです。だから、多島さんの彼女になっていいですか?」


 勝也は腹を決めた。


「付き合おう、由希乃ちゃん」

「ホントに?」


 勝也は、由希乃の目を見つめて、大きく頷いた。


「なんかこのままじゃ、お兄さんが成仏出来なさそうだから」

「成仏出来ないって、ヒドイ」

「いま、お兄さんの声が聞こえた気がしたんだ……」

「なんて?」

「妹を頼む、と」


 由希乃は息をのんだ。


「だから、俺がお兄さんの後を継いで、キミを見守る」


 勝也は由希乃に手を差し出した。

 由希乃はにっこり笑って、その手を握った。


「はい。よろしくお願いします!」


 二人は仲良く手を繋いで、一緒に商店街への道を歩いていった。

 そして、ここから勝也と由希乃の物語は始まる。

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