第15話 o:
「わたしも猫、好きなんですよ」
どこで聴いたのか、才谷さんがそんなことを僕に言ってきた。その声の調子にはどこか警戒心を解いたような、くだけた雰囲気があった。
あの日以来、才谷さんとの距離感に変化があったような気がしていたのだが、それは僕の思い過ごしというわけでもなさそうだった。
「わたしも、という意味で言うと、残念ながら僕は猫好きではなかったりする」
そう、僕は行きがかり上、同居しているにすぎない。
「違うんですか? じゃあ、なんで猫を?」
才谷さんが不思議そうに、その大きな眼で僕を覗き込んでくる。
「いろいろ諸々な事情があってね」
事細かに説明する気は僕にはない。これ以上はご遠慮いただきたい。
そういう意味合いを込めたのだが。
「いろいろ諸々ってどんな事情なんですか?」
才谷さんは悪い人じゃないけれども、そういうところがあった。つまり、ちょっとばかり察しが悪い。そうした特質は、時には可愛らしく思えたりもするが、大概は面倒に感じる。真面目で一生懸命でズレていて察しが悪い。
でも、それを補って余りある長所もあった。才谷さんは素直で正直で、そして、とても可愛らしい容姿をしていた。それはもう、暴力的なほどに。彼女に甘い顔をしてしまう男を、僕は同性として責めることができない。なぜならば、その気持ちがよくわかるからだ。別に個人的な好みということではなく、もっと原始的な部分を刺激されるとでも言おうか、自分の意思とは関係なく反射的に庇護欲を引き出されるのだ。
容姿で対応が変わるだなんて、差別的だし、恥ずべきことなのだと思う。でも、残念ながらこれは、僕たちが神様に与えられた性質なのだ。開き直る訳じゃないが、本能的なものなのか、後天的・文化的なものなのかわからないけれども、誤解を恐れずに言えば、これが男性性なのだ。幻滅もするだろう。でも事実だ。たぶん、聖人でもなければ、あとは似たり寄ったりだと断言できる。
悲しいまでに単純で欲望に忠実。
思慮深そうなあの彼も、一皮むけば皆同じ。その違いは誤差と切り捨てられるぐらい微細なものだ。
でも、才谷さんは自分の容姿が与える印象を、利用しようとはしなかった。上手く使えるほどの器用さがなかったとも言えるが、どちらかといえば、それを拒否しているように見えた。自立した個人として認められようと、がむしゃらにもがいている。
僕にはそんな風に見えた。
「猫を飼ってるとね、才谷さんみたいな可愛らしい女の人に声をかけてもらえるんだよ、こんな感じで。これって十分に猫を飼う価値があると思わない? 少なくとも僕は思うね」
「またそうやってからかうんですね。もぅ、やめてくださいよ」
そう言って才谷さんは、見る者が思わず息を呑んでしまうような、とびきりの笑顔を不用意に見せる。
実際、猫を飼う価値は十分あると思う。こんなことがあるのだから。
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