第6話 f:
オーブンに突っ込まれた七面鳥の気分。そんなものがわかってしまいそうな暑い夏の日。
彼女に呼び出されて指定の場所へ向かっていると、目的地付近からウクレレの音が聴こえてきた。
でも、そのウクレレが鳴らしていた音は、ハワイアンのような穏やかで心安らぐ音色ではなく、血湧き肉躍る激しいファンク調のカッティングだった。さらに近づいていくと、その音はマンションの上の方で鳴っていた。
夏の青空に目を細めながら見上げてみると、屋上でウクレレを抱えながらダッグウォークしている彼女の姿がちらりと見えた。
ウクレレにファンクとダッグウォーク。なんとも奇妙な取り合わせだ。僕はぼんやりとそんなことを思った。
上がっていくと、彼女は無造作にまとめた髪を振り乱しながら、踊るようにウクレレをかき鳴らしていた。小さな木製のテーブルセットの上には、アルマイトのバケツが置いてあって、ビンタンビールが氷に沈んでいた。
「ぶっ飛んでるね。クスリでもはじめたのかい」
屋上へ出る鉄製の扉を片手で押さえながら、僕は眩しさに白んだ真夏の世界へと視線を向ける。
「あら、わたしはとっくにジャンキーよ。知らなかった?」
カッティングの手を止めることなく彼女はリズムをキープし続ける。
「確かにアルコールぐらいじゃ説明つかないイカレっぷりだよ」
「フルシアンテにチャックの霊が乗り移ったら、って設定で弾いてたんだよね」
僕はバケツからキンキンに冷えたビンタンビールの瓶を取り出すと、王冠を栓抜きに引っ掛けて跳ね飛ばす。
「チャック・ベリーはまだ死んでないよ。生霊かい?」
ビンタンビールをグイッと煽ると、痛いほどに冷えた苦味と鮮烈な香りが喉を駆け下りていく。
すると彼女は、僕から瓶を奪い取って勢いよく一口煽ると、口元を拭いながら笑った。
「はっはっは、こういうこともできます」
そして、これまでとは一転して、柔らかいストロークでブルーハワイのメロウなイントロを弾きはじめた。
向日葵の形をした変なサングラスの隙間から、彼女の悪戯な瞳がのぞく。タンクトップの首筋には玉のような汗が浮かび、ショートパンツからは均整のとれた形のよい脚が伸びる。
照りつける真夏の太陽の下、フラダンスでも踊るかのように柔らかく身体をくねらせる彼女。
昼間に飲むアルコールはすぐに身体中に回って、僕はだいぶ気分が良くなってきていた。ハーフパンツのバックポケットを漁ってキャメルのソフトパックを探り当てると、クシャクシャになったパックからヨレヨレの一本を取り出して火をつける。大きく吸い込んで煙をたっぷり肺へと送り込むと、ターキッシュと表現されるキャメル独特の香りが一気に広がった。
漂う紫煙の中、ウクレレ特有の柔らかくピッチの甘い音色と、彼女の味のある歌声が響きわたる。
彼女の声は少し掠れているのによく通った。
まるで白昼夢に浸るかのように、ふわふわとした気分でいると、唐突にブルーハワイがファンクへと変貌した。彼女は激しく頭を振り乱してヘッドバンギングしながら、跳ねたリズムを奏でていく。
そして、両膝を床について最後におもいっきりコードをかき鳴らすと、その場へドサッと仰向けに倒れこんだ。
「あっちぃーっ!」
真上に昇った太陽を鋭く睨みつけながら、彼女は大声を張り上げた。
そういえば、チャック・ベリーは鬼籍に入ってしまった。
さよなら、ロックンロール。
彼女が知ったなら、とても嘆き哀しんだと思う。
世の中には知らない方が幸福なこともある。
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