鉄の証

北家

SIDE-1 リラ 前

 大陸西岸のウエストバイアという国に、ひとつの花畑がある。黒い箱と呼ばれるそこには、多くの子供たちが収容されていた。彼らはみな、事情があって親から離れた子供だ。 もちろん自らの意思で入ったものもいるが、そういった子供はごく少数だった。

 ともあれ様々な要因をもって四歳から六歳で入った子供たちは、そこで六年間の収容過程を経て、一人前の兵士となる。それまでは、いかなる理由でも出ることはできない。訓練から脱落すれば、その先には死だけが待っている。

 花畑と述べたのは、彼らの所属するクラスが花の名前を冠しているからだ。今存在しているクラスは十八。穢れなき子供達はそれぞれのクラスに配属され、冷徹な兵士となるために育てられる。クラスは分野が異なっており、十二クラスは機動兵器を、六クラスは諜報と電子戦を専門とした。

 ひとりの少女がいた。彼女は利発で、よく笑う子供だった。

「フォウちゃん。そこ、こんな感じで動かすといいわ」

「こうかな」

「うーん、ちょっと違うわね」

 彼女はライラックに所属する十一番目の少女。名前は誰も知らない。誰も聞かなかったのか、本当にないのか。ともかく、ライラック・イレブンという登録名以外、少女に名前はなかった。

「そう、できるじゃない。これで今日の課題は全員クリアね」

「イレブン、いつもありがとね。こんな僕なんかに」

「いーの。誰も落とさせやしないから」

 少女はいつも明るく、気配りができた。兵士としての類稀な才能もさることながら、人をよく見ている子供で、クラスは彼女を中心としてひとつになる。そのためクラスの雰囲気は良好で、脱落者も多い過酷な訓練を全員で突破することができていた。出遅れていたクラスメイトには手を差し伸べ、高いレベルでまとまった成果を残そうとした。そしてそれはいつも成功していたのだ。

「やっと終わった。もうこんな時間かよ」

「お腹空いたね」

「イレブン、一緒に食堂行こうぜ」

「ちょっと教官のとこ行く用事あるの。ごめんね」

「そっか、じゃあクラス室で待ってる」

「来週までのやつ、教えてね」

「わかった。早めに行くわ」

 だが、だからこそなのかもしれない。それが教官の目に、あまりよく映らなかった。諜報クラスには私情を激しく嫌うものも多い。ライラックの教官はそれが顕著であった。

 少女はその日、クラスメイトに先立ってあることを告げられたのだ。

「そ、それって、どういうことですか」

「何度も言わせるな。クラスの人間が今の半分、十人になるまで殺しあってもらう。群れるリラなどいらない。リラはな、一輪挿しであるべきなんだ。このままいけば貴様くらいは優秀な兵士になれるかもしれん。だが他はだめだ」

「そんなことは。シックスやエイティーンはよくできてるはずです」

 教官はひとつ冷笑を与えたのち、年齢にしてはやたら大きな体躯を持つ少女を見下ろした。

「屑だな。貴様の助言がなければ、奴らなどすでに死んでいる。塵芥が最後まで残るくらいならば、今死んでおくべきだな」

「なら、なら私が、全員私のところまで引き上げてみせます。それでいいでしょ」

「認められんな。絵空事なのは言うに及ばず、貴様の成長の邪魔になるならなおさらいらん」

 それとも。教官は頬を歪め、笑みを作った。

「今ここで試すか?」

 少女は何も言えなかった。結果は見えているからだ。挑めば、死ぬ。死ねば、どうにもならない。

 教官は踵を返すと、話にならんとばかりに手を振った。そして歩き始めたとき、今一度口を開いた。

「いずれライラックはひとりだけのクラスとなる。最後に残る本当のリラの尖兵は、こどくのリラは誰になるかな」

 俺も諜報科の端くれ。隠しても無駄だ。そう言い残して教官は消えていった。

 立ち尽くした少女は、おのれがいかに無力であるかを知った。聡明な少女ははじめからわかっていただろう。この教官は仲良くなることを決してよしとしない。それでも、どうにかなる思っていた。クラス全員が教官に認められさえすれば、その結果を変えられると信じた。

 だがそれはかなわなかった。教官はクラスメイトを塵芥と切り捨てた。この黒い箱で教官は絶対の存在。殺し合いをせよと言うのならば、しなければならない。

 結局クラス室には行けなかった。ベッドで少し横になったのち、行動することにした。少女はこういったとき、他の誰にも言わずに駆け込む場所があった。

「ねえトゥエルヴ、起きてる?」

 ひとりで本を読む少年は、ライラック・トゥエルヴの名を持っている。

「ああ、イレブン。どうした? あまり顔色がよくないが」

「教官に言われたの」

 少年はその先を手で制止し、一呼吸置いたのち続きを促した。少女は絞り出すようにひとつひとつ話した。

「そうか。いつかやると思ってた。でも、早すぎる。みんなにはそんな覚悟はないし、イレブン、君にだって」

「ええ、そんなの無理。知らない人ならいくらでも殺せる。でもクラスのみんななんて、そんなことできるわけ」

「その通りだ。それにしてもあの教官、狂っているようでよく見ている。僕のこともどうせわかってるんだろうな」

「最後に残るのは私じゃないって。あなたのことよ。もし私が本気であなたと殺しあうならば、私じゃとても勝てない」

「そのことを考えるのは、もっと後にしよう」

「そうね。私はその日までに、みんなに全部伝えるわ。私の技術全てを叩き込むの。そしてできるならば、あなたより強くなってみせる」

「楽しみだ」

 その日から少女は一層の熱意を持ってクラスメイトを先導した。端正な容姿をしていたため、男は特にそれに応えようとした。だが女のクラスメイトの中には、彼女に対しかすかな疑念を抱き始めるものもいた。

「ねえイレブン。優秀なあなたがなんで私たちなんかを気遣うの」

「なぜって、私は誰にも死んでほしくないからよ。黒い箱では、強くなれなきゃ殺されるから」

「理由になってないわ。それにあなた、最近よく教官と会ってるよね。裏でなんかしてるんじゃないの」

「そうよそうよ。結局、自分だけいい思いしようってわけでしょ」

 そんな言葉に意味などはない。皆不安なのだ。だから少女は、このようなことを言うクラスメイトを責めることができなかった。

 少女は誰も殺したくなかった。だから必死で持ちうる技術を伝え続ける。その先に破滅でないものが待つと信じたかった。

 そんな日々が半年は続いた。少女は教官に必死で嘆願したのだ。一人前にしてみせる。だから待ってほしいと。そう言うたびに教官は、こんな言葉とともに乾いた笑いを浮かべた。

「いいだろう。やれるものならやってみろ」

 だからこそ少女はついに告げられたこの非情な宣告を、どのような面持ちで聞いただろうか。不思議と激しく取り乱すクラスメイトはいなかった。他のクラスでは毎年二、三人脱落者が出ており、同じ諜報科のアイリスは特にそれが多い。全員生き残っていることが奇跡であることに、いやでも気づかされていたのだ。

 そのまま一本のナイフと一丁の拳銃が配られる。訓練以外では厳重に遠ざけられているこれらを、もう常に携帯していいというのだ。もう目を閉じても耳を塞いでも状況に理解が及んでしまう。そんな張り詰めた空気の中、教官はただ無機質に言葉を繋げた。

「最初の週で十人。次の週で五人。その次でふたり、最後にひとりだ。残っている人間が設定した人数より少なければいい。だが多ければ、俺の目の前で殺し合ってもらう。方法は指定しない。生活の中で殺してもよいし、毎日一定の時間を設けてもよい。それは貴様らの自由だ。ただ指定した日付までに、その前の週の半分になってさえいればいい。簡単だろう? 今まで俺が教えてきた貴様らなら、できるはずだ」

 少女は代表して口を開いた。何度聞いても納得がいかなかったからだ。

「その意図は、なんですか」

「知ってどうする。例えばそれが俺の私欲のためであったとして、貴様に何ができる」

「あなたを殺して、教官を替える」

 教官はくっくっと下品に笑ったのち、教卓をばんと叩く。その衝撃は確かな力を持って子供たちの頬を揺らした。

「馬鹿め、それが不可能だと言っているのだ。貴様らなど赤子だ。たとえ二十人全員を相手取ってさえ、万にひとつ負けはしない」

 それはおそらく、事実だろう。前提として揺るぎようのない体格差があり、その上子供たちの技術など所詮は彼に教わったものでしかない。

 だから悟らざるを得なかった。こいつが殺せない以上、クラスメイトを殺すしかないのだと。

 だが、だからと言って昨日までの友を気兼ねなく殺せるはずはない。むしろクラスメイトの存在だけが、恐怖が彼らを押しつぶすのを防いでいたのだ。

「以上だ。明日からも授業は予定通り行う。恐怖から逃げるなよ。逃げた末の最後のひとりなど、俺が殺してやる」

 案の定、教官がいなくなった後の教室は静かなパニック状態に陥っている。少なくとも三十六個の目が泳いでいた。

 始めに沈黙を破ったのはやはり少女であった。

「私たち、これからどうするべきだと思う?」

 まずは促し、重い口を開いてもらうことからだった。

「どうって、やるしかないんだろ」

「そんな、嫌。みんなを殺すなんて」

「できるわけない」

 少女は叫びたかった。そんなことはわかっている。教官から教わることを完璧に体得し、懸命に皆に伝えていた自分が一番よくわかっているのだと。

「皆、聞いて」

 少女は切り出した。前々から知っていたけど、止められなかったこと。皆が一定の技術を持つまでは待ってもらおうとしたこと。

 誰も少女を責める道理を持ち得ない。いかに冷静たれと教わったところで、死を前に取り乱す自分自身を誰も否定できないのだ。

「もう私たちは、後に引けないの」

 今はただ、そう言うほかなかった。

 この黒い箱に個人スペースなどない。あるのは男女のふたつに分けられた寝室だけだ。だからこそ、彼らはいつも通り生活しようとした。

 翌朝、ツーとエイトが死んでいるのが見つかった。誰が殺したとは、問えなかった。殺した者に罪はない。誰もが生き残りたいのだから。

 その次の日は、トゥエンティとナインティーンが死んだ。彼らはふたりで生き残ることが不可能だと知って、教官に挑んだのだろう。あるいは、彼らのことに気づいていた教官が、見せしめとして殺したのかもしれなかった。心臓を握られているような恐怖の中でしか、生きることが許されない。それだけは明らかだった。

 二日で四人。このままいけば、自分はクラスメイトを殺さずに済む。少女はそう安堵しようとした自らの心を強く憎んだ。

 だがその後の五日間は、誰も死者が出なかった。十六人いる教室を見て、教官はため息をついた。

「なぜ、まだこんなにいるんだ」

 誰も答えられない。殺したくない、死にたくない。そんな当たり前さえ許されないのか。いままではどこか絶望から目をそらしていた。だがそれは本当に避け得ないものだったのだ。

「では言った通り、殺しあってもらうぞ。これから番号を呼ぶ」

 ひとりの少年の手が、銃に向かってぴくりと動いた。教官は一瞬の動作で銃を抜くと、ためらいもなく放った。その弾は彼の頬をかすめ、切り傷を作る。恐怖で動けなくなった少年に歩み寄る。

「フィフティーン。安心しろ。お前は選んでやる」

 そして教官は六つの番号を読み上げる。それは比喩ではなく、死の宣告だった。

「イレブン。貴様が殺せ」

 こうなれば、もはや選択肢は従うよりない。少女を含めた七人は屋内演習場に向かう。教官は拳銃を構えていた。

「逃げたら俺が撃つ。生き残る道は勝つしかない」

 そう言うと、恐怖に震えていた六人の瞳にひとつの色が走る。それは追い詰められたものの狂気だった。

「イレブン。お前さえ殺せば、俺の敵はいない」

「あんたのせいなんでしょ、責任取ってよ」

「今までありがとね。だから死んで、お願い」

 最初の射撃は当たらなかった。手が震えていては、狙いなど定まらない。その銃口は瞬く間に六つに増えた。

 全員が少女を、イレブンを標的としている。当然であろう。彼女がいる限り生きる道などないのだから。

 少女は自らの胸を叩き、声をあげた。ワン、ファイブ、エイト、サーティーン、フィフティーン、セブンティーン。噛みしめるように、クラスメイトの仮の名を呼んだ。

「私の心臓はここよ。生きたいなら、私を殺して生きなさい」

 銃弾が飛び交うたび、人間がひとり消える。それはものの数秒のうちに六回起こった。最後に残った少女は力を失ったように膝から崩れ落ちた。その頬は二筋の線を引いていた。

「ごめんね、ごめんね……」

 そう繰り返す少女を尻目に、教官は去ってゆく。はじめからそうすべきだったと言わんばかりのその態度に、少女は強い怒りを覚えた。無力感で噛み締めた奥歯は、いまにも砕けそうに軋んでいた。

 教官に勝てないという事実は、徒手訓練で嫌という程全身に教え込まれている。逆らうことなど、もはや考えることすらできない。どうせ殺されるのであれば、元から減らしておいたほうがいい。クラスメイトがそう考えるのに時間はかからなかった。

 次の一週間ははじめの五日間で指定人数になった。毎日ひとりずつ殺されたのだ。少女はクラスメイトの変容にささやかな恐怖を覚えた。だが自らの手を汚さなくてよいという安堵は、本人の意思に反して存在した。

 教官は五人になった生徒を見て、ふっと笑った。やればできるではないか。その目はそう嘲っていた。

 次はふたりにしなければならない。もはや殺したくないなどと言ってはいられない。残ったクラスメイトは皆高い実力を持っている。

 エイティーンやシックスなどは少女から教わったことを我流に昇華させており、全く油断できない。もし生き残りたいのであれば、この状況は危険だった。

 だが予想に反して、はじめの三日間は沈黙が続いた。教室でもあえて平静を保ち、教官からの嫌悪の視線に耐える。ただひとりフォウだけは、そんな空間に耐えられずふさぎ込んでいた。

 その夜、他には誰もいなくなった女子の寝室にひとりの訪問者がいた。その手は震え、銃を構えている。彼の死角からそれを見ていた少女は、その後頭部に銃口を突きつけた。

「フォウちゃん、ごめんなさい」

「イレブン。今まで、ありがとう。こんな僕がここまで来れたのは君のおかげだよ」

「そんなことない。あなたは強かった」

「僕ね、三人殺したよ。みんな僕が一番弱いと思ってるから、いろんな場所で仕掛けられた。でも全部返り討ちにしてやった。イレブンのおかげで僕、強くなれたよ」

 だから、殺してよ。最後は君の手で。

 少女は拳銃を捨て、この悲痛な少年を抱きしめた。

「イレブン、泣いてるの?」

「殺せない。あなたを、殺せない」

 それを聞いたフォウは、腰にあった手を動かした。それは一瞬のうちに少女の心臓を狙った。この早撃ちに関して、彼はクラスでも無二の才能を持っていた。

 だがその引き金が引かれるよりも、反射で動いた少女のナイフがわずかに先だった。

「ごめんね。私が弱いばかりに、そんなことまでさせて」

「いいんだよ。イレブンは生まれて初めて、僕を見てくれた人だから」

 好きだった。そう言って消えるフォウを、少女は壊れるほど強く抱いた。

「ごめんね、ごめんね」

 四日目の夜。この日、二十あったリラの花は、たった二輪となった。

 残りはトゥエルヴがやったのだろう。ふたりだけになった教室で、少女は片割れの顔を見ることができなかった。だが教官の顔は嫌でも見ることになる。

「ずいぶん早いじゃないか」

 薄い微笑の張り付いた口は、そのように動いた。少女は無力な自分を憎むように、机の下の拳を強く握った。

 この時、教室では一度も開かれることのなかったトゥエルヴの口がかすかに動いた。

「教官、ひとつ聞きたいことがある」

 なんだ、とは言わない。見下ろしたまま、下目遣いだけで先を促した。

「残りふたりではいけないか」

「駄目だな」

「どうしてだ」

「知れたこと。はじめに言ったろう。不満があるなら俺を殺せ。それができるならな」

 何も言えなかった。いまの自分では勝てないことを、よくわかっていたからだ。当然であろう。いくら暗技を用いると言っても、たかだか十歳の子供が大人に勝てるわけはない。

「リラは一輪挿しが最も美しい。一輪だけを飾るために、他の花は切り捨てるんだよ」

 そう吐き捨てて、教官は教室を去った。次の週まで三日間の空白期間がある。誰も死なない三日間。そんな脆い日々など、一瞬で過ぎ去った。

 そうして最後の一週間が始まる。

 最初の日、もはや完全に個室となった寝室に、ひとつの影が入る。少女がどこで寝ているかは一見してわからない。トゥエルヴは大胆にも声を出した。

「イレブン、どこにいる」

 少女は反応しない。声を出せばどこにいるかわかるからだ。トゥエルヴが誤ったベッドに向かうならば、そこで殺すことも考えられた。

 だがどうしたものか、トゥエルヴは過たず手前から二番目、一番下のベッドへ向かった。無論、そこに少女はいる。

「なぜわかったの」

「なぜって、なぜだろうな。気配は消えてたけど、なぜか分かるんだよ」

 少女は頬を赤らめる。私情をくすぐられても、それに身をまかせることはもうできなかった。

「フォウちゃんを、殺したわ。あの子、いつのまにか私より撃つの早くなってた」

「フォウは努力家だった。奴は寝室で一番遅くまで練習していた」

「そしてその夜、あなたはシックスとエイティーンを殺した」

「奴らはふたりがかりで僕と君を殺そうとしたんだろう。だが、僕には一歩及ばなかった。結果はそれだけだ」

 少女と少年は一瞬の隙を伺いながら言葉を交わす。過去の話など、している場合ではないのだ。

 ねえ。空虚な声で少女が問う。

「これで私たち、最後よね」

「そうかもな」

 ぴんと張り詰めた空気のなか、トゥエルヴは背を向けて去っていく。少女にはひとつの確信があった。彼は今撃たれたら死ぬつもりだろう。少女は撃たなかった。

 その空気は、五日目になっても続いていた。少女は意外にもよく寝ていた。ふたりは言葉もなしに決めていたのだろう。

 いつ答えあわせをするのか。

 最後の夜。ふたりは屋内演習場で待ち合わせをしていた。先にきて待っていたのは、イレヴンだった。この場所に射線を通せるポイントはほとんどないため、正面から入ってくるだろう。

 風が両の頬を切り裂く。遅れてきた銃声は二回。その主は他でもない人だった。

「トゥエルヴ、待ちくたびれちゃった。始めましょう」

 そう言うや否や、少女は銃声のした方に三発撃ち込んだ。少年は一瞬身じろぎしたのち、ゆっくりと近づいて来た。

「なあ、最後ならこれは捨てよう」

 少年は銃を投げ捨てた。乾いた金属音が反響する中、一本のナイフを取り出した。

 少女はそれに応じる。トゥエルヴのそんな遊び心だけが、理不尽な世界から少女を守っていたのだ。

 闇の中、ただ金属の弾ける音が響く。鈍い足音や組み合う音は吸い込まれて聞こえない。暗視は当然の技術だが、今だけはそのようなものに頼ったりしない。ただ音と、ナイフに反射する光と、吐息だけで互いを感じていた。

 少女はできるなら、ずっとこうしていたかった。だが少しでも力を緩めれば、すぐそこには自らの命がある。違いに死力を尽くしていた。だからこそ、永遠に続くかと思われた。

 そして幕切れも、また一瞬。

 どうして。叫んだのは、少女だった。

「どうして、避けなかったの」

「避けられなかったのさ。君が強かったから」

「うそ。そんな事言ったって私は信じない」

 そんなの嫌だよ。本当のことを言ってよ。少女は声にならない言葉で繰り返す。

「ごめんな。僕の実力を最も信じてくれてたのは、君だというのに」

 倒れ伏す少年は濁りのない微笑を浮かべると、ひとつひとつ話し始めた。

「まずひとつはシックスとエイティーンを殺した日。僕は不覚を取って、右肩に受けてしまった。言うまでもなく利き腕だ。でも最後の週が始まってから、僕はどうにか教官を殺せないかと試した。でもあと一歩及ばなかった。奴はその度に僕を嘲笑った。俺が殺せないんだったら、イレブンを殺すしかないな。そんなことを言って。それでも試した。昨日までずっと。そしたらね、いつのまにか体がだめになってたんだ」

 見ると少女がつけた傷以外にも、腹や肩などいたるところを負傷していた。

「ねえトゥエルヴ、いっちゃうの。私、これからひとりだよ? さみしいよ」

「君なら大丈夫さ。必ず、あの教官を殺してくれ。君が大人になる時、黒い箱の歴史で一番強い兵士が生まれるんだ」

それまで、生きて……。

 少女の目に、今度は涙は浮かばなかった。押しつぶされそうなほど重大な責務を前に、決意を固めなければならない。

 これからの鍛錬は苛烈を極めるだろう。だが死んでいった十九人の苦しみに比べればないも同然だ。

 そうして夜が終わり、闇より暗い朝が訪れる。教官は少女の姿を見て、ひとつため息をついた。

「貴様が生き残ったか。期待はずれだが、まあいい。せいぜい訓練に励むんだな。呪われた兵士、蠱毒のリラよ」

「私が呪われているなら、私はあんたを呪い殺す」

「やってみろ、そして思い知れ。その小さな体に、いったい何ができるか」

 少女は自分が憎かった。心のどこかで、トゥエルヴに勝てば問題ないと思っていた。トゥエルヴは確かに自分より強いが、教官を倒すこととは比較にならない。あの時は、教官と向き合う勇気がなかった。今更殺しても、遅いというのに。

 だが、殺さねばならない。それは死んでいった十九人に対する、彼女の償いだった。

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