第46話 国家樹立3

 朝の空気を取り込むべく、レンは寝室のバルコニーから対岸の町並みを眺めていた。

 奴隷を購入してから二週間経つが、子供たちの順応性は高く直ぐに生活にもなれていた。安心して暮らせる家と、毎日食べられる食事に、不満を口にする者は誰もいない。

 与えられた家には、調理場が備え付けられているのは勿論のこと、上下水道や風呂まで完備されている。今は仕事を同じくする子供が、男女に分かれて四人前後で暮らしているが、何れは所帯を持つだろうと、既に家族向けの住居も準備されていた。

 食料と衣服は国から支給されるため購入する必要はなく、奴隷という身分を考えれば有り得ないほどの好待遇だ。

 本来は奴隷に給金を支払う必要は無いが、それでもレンは労働の対価として給金を支払っていた。だが支払う給金は半分のみ、残りの半分は子供たちが自分自身を買い戻すため、国に収める仕組みだ。

 レンとしては直ぐにでも奴隷という身分から解放しても良かったが、子供たちから働いて金銭を返すと言われては、無下に断ることも出来ずにいた。

 動く人影を捉えて視線を落とせば、メイド服に身を包んだ少女が桟橋を渡っていた。桟橋の長さだけでも2キロはあるため、子供が歩きで通勤するのは些か不安が残る。


「子供が城に通勤するのは危険だな。風に煽られたら湖に落ちる危険もある。城で働くメイドは住み込みにした方がいいか――」


 強い北風が吹き込み、レンの独り言は掻き消された。

 それほど寒さを感じない体だが、空気の冷たさは伝わっているため、昔の癖で体をブルッと震わせる。

 冬の終わりが近いとは言え、まだまだ外は肌寒く、薄着で長居するのは望ましくなかった。

 再び視線を落とすと、少女が桟橋の欄干に掴まって風に耐え忍んでいる。


「……直ぐに改善した方が良さそうだ」


 レンは暖かい室内に戻り、メイドの部屋を用意すべく寝室を後にした。




 同じ頃、ノーヴェはゴンドラの中で、どうしたものかと頭を悩ませていた。

 今日は南のサウザント王国と、東のエルツ帝国に使者を送る日になっているが、とある問題が起きていたからだ。

 事前に訪問先の国へは、ドレイク王国とノイスバイン帝国から早馬の使いを出しているし、先方も使者が訪れることは承知している。

 其処までは良いが、計算外なのは両国ともに使者ではなく、国王自らゴンドラに乗り込んでいることだ。

 竜王国としても体裁を図るため、使者のノーヴェではなく、国王のオーガストが赴く必要があるが、それにはレンの許可を取る必要があった。

 通話用の指輪を使い許可を取ればいいだけの話だが、指輪の使用は緊急時以外は禁止と言われている。

 どの程度までが緊急なのか疑わしいが、ノーヴェは意を決して指輪を口元に近づけていた。


『レン様、ノーヴェでございます』

『ノーヴェ? どうした。何か急ぎの用か』

『はっ! ノイスバイン帝国とドレイク王国で使者を回収したのですが、少々問題が起こりました』

『問題だと?』

『はい。両国とにも使者ではなく、国王自ら赴くようです。我が国も体裁を保つため、王であるオーガスト自ら赴いた方がよろしいかと』

『……そうだな。他国が国王自ら赴くのに、我が国の王が居ないのでは話にならん。ノーヴェ、お前たちは今どこにいる?』

『ドレイク王国の城の前におります』

『オーガストには私から伝える。そこで暫し待て』

『畏まりました』


 ゴンドラの片隅で通話を終えたノーヴェは、安堵の溜息を漏らし、中央に置かれたソファに戻った。

 20人が優に座れるソファセットには、ノイスバイン帝国の国王オヴェールと、ドレイク王国の国王ヒューリ、そしてノーヴェの三人しか腰を落としていない。護衛の騎士や付き添いの従者は、各々が従う国王の後ろに佇み、それとなく周囲の警戒に当たっている。

 ノーヴェの不可解な行動を見て、ヒューリが不思議そうに口を開いた。


「ノーヴェ殿、如何なされましたか?」


 本当ならば上位竜スペリオルドラゴンには様と敬称を付けるべきだが、表向きはノーヴェの方がヒューリより下、もしくは対等の対場のため、公の場では様という敬称は禁じられていた。


「申し訳ございません。まさか両国ともに、国王自ら赴くとは思いませんでしたので……」


 ノーヴェの向かいに座るヒューリとオヴェールは、互いに顔を見合わせ苦笑いを浮かべた。

 ヒューリからすれば、竜王の治める国に協力するのは至極当然のことであり、オヴェールにしても竜王国には多大な恩義があるため、国王自ら力を尽くし、少しでも借りを返したい思いがあった。


「竜王様は我ら竜人ドラゴニュートから見れば神と同じ存在です。ドレイク王国が尽力するのは当然と言えましょう」

「ノイスバイン帝国は竜王国から多大な食糧支援を受けている。その他、ドレイク王国との関係改善にも力添えいただいた。それに対し礼は尽くす。私に出来ることなら何でもしよう」

「お二人の心遣いに感謝いたします。竜王様も自ら赴くそうですので、到着まで暫しお待ちください」


 それを聞いて二人の王は眉をひそめた。

 ヒューリたち竜人ドラゴニュートには、対外的に竜王はオーガストだと伝えている。二週間の間に情報は統制され、レンのことは漏れないように細心の注意が払われていた。

 ドレイク王国に訪れる人間は殆どいないが、それでも情報が絶対に漏れないとは言い切れない。そのため訪れる商人などには、オーガストが竜王であると噂を流し、レンの名前が隠れるようにしている。

 ヒューリから見ればオーガストは偽りの竜王であるが、神の国を代表する国王であることに違いはない。

 竜王に絶対の忠誠を誓う立場としては、レン直属の配下の手を煩わせたくないのが本音だ。


(ノーヴェ様が動いているだけでも後ろめたいのに、更にオーガスト様も動かれるのか……)


 ヒューリが自らの不甲斐なさを痛感する一方で、オヴェールは冒険者のギルドマスターと話したことを思い出していた。

 ジャンヌを怒らせたと聞かされた時には肝を冷やしたが、それより驚いたのは金髪の青年のことだ。

 冒険者ギルドにやって来たジャンヌが、金髪の青年に従っていたと聞かされた時には首を傾げたが、その後の言葉で全てを納得することが出来た。

 青年は竜王と呼ばれていた、と。


(竜王か……。ギルドマスターの話が本当であれば、オーガスト殿は偽りの竜王と言うことになる。真意を探るには丁度よいかもしれんな……)


 オヴェールはその時が来るまで静かに待つ。

 小一時間ほど待っていると、ゴンドラの扉が音もなく開いた。視界に入ったのは二人の人物だ。

 最初はオーガストが姿を見せるが、その直ぐ背後から現れた人物を見て、ノーヴェと竜人ドラゴニュートたちは目を丸くする。


(レン様!)


 予定には無い突然のことに、無意識のうちにソファから立ち上がり、頭を深々と下げていた。それを誤魔化すためオーガストが苦笑する。


「そんなに仰々しく頭を下げなくともよい」


 レンはオーガストの後ろに控えているため、傍から見ればオーガストに頭を下げているように見える。それが幸いして、ノイスバイン帝国の人間に気付かれることはないと思われた。

 実際、その光景を不思議に思う者はいない。


 ただ一人、オヴェールを除いては……。

 

 事前に竜王が来ると聞いているのだから、オーガストを見て驚くのは明らかに違和感があった。

 驚いたのは想定外の人物が来たからに他ならない。

 オヴェールの視線は、自ずとオーガストに付き従う金髪の青年に向けられていた。


(やはり、あの青年が本命か……)


 ヒューリは先ほどの礼はオーガストにしたのだと強調するように、再度深々と頭を下げた。 


「竜王様自ら御足労いただき、感謝の言葉もございません」

「堅苦しい挨拶は抜きだ。直ぐに出発する」


 オーガストの言葉と共に扉が閉まると、ドラゴンは天高く舞い上がり、風を切って雲を突き抜けた。

 同時に凄まじい重力が掛かるが、ゴンドラ内は重力操作グラビティコントロールの魔法で揺れや重力が安定しているため、中に乗る人物は僅かな揺れすらも感じじることはなかった。

 オーガストがソファに座ると、レンは従者としてオーガストの後方に佇む。

 ソファには多くの空きがあるが、レンだけが座ると怪しまれてしまうため、他の護衛や従者と同様に後方に控えていた。

 だが、レンが竜王だと知る者は内心穏やかではない。オーガストもレンを立たせるわけにはいかないと、直ぐにソファに座るように促す。


「ゴンドラが揺れては危険だ。護衛や従者もソファに座るがよい」


 方便だ。

 ゴンドラが揺れることは無いが、オーガストの言葉を真に受けた従者や護衛はソファに腰を落とす。

 流石に中央に座る王族には近寄り難いのか、殆どが端の方に詰めて座っていた。レンもならって端の方に座り、正面に見知った顔を見つけて思わず笑みが溢れる。


「クレーズ、それにマルス、お前たちも来ていたのか」


 向かいに座っていた竜人ドラゴニュートは、書庫の番人とも言えるクレーズと、親衛隊長のマルスであった。


「今は竜王国にお世話になっておりますので、私はノーヴェ様の補佐として参りました。レン――殿はどうしてこちらに?」

「クレーズ、レンで構わないよ。どうしてと言われてもなぁ……。強いて言うなら竜王様の従者だからだ」


 本当は国家樹立の進展を見守るために来たのだが、本当のことなど言えるはずがなかった。


「左様でしたか」

「マルスも久し振りだな」

「……レ、レンも元気そうでなによりだ」

「何を固くなってるんだ。同じ従者として仲良くしようじゃないか」

「あ、ああ……」


 マルスは緊張の余り口調がたどたどしくなっている。しかも、背を真っ直ぐ伸ばし微動だにしない。

 何も知らない者たちから見れば違和感しかなかった。

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