第21話 竜王国6

 食堂の扉が静かに開けられた。

 視界に入るのは散乱した料理と、それを片付けるノーヴェたち。テーブルの上ではメイが魔法で拘束され身動き出来なくなっていた。

 同時にアテナの怒気を孕んだ低音が食堂に木霊する。


「これはどういう事かしら?」


 現在食堂にいるのは、メイを除けばノーヴェを初めとした男性陣だけだ。ノーヴェが言葉を探して俯くと、ニュクスが呆れるように肩を竦めてみせた。


「食事の準備が出来たというから態々わざわざ来たのに、この有様は何なの。まさかレン様をこんな状態でお迎えしようとしていたのかしら?」


 声を聞きつけたオーガストたち女性陣が、厨房から食堂に駆けてきた。

 レンの姿を確認すると全員が神妙な面持ちになる。汚れたテーブルに散乱した料理。最悪の状態でレンを出迎えたことに、オーガストが悔しそうに俯く。


「申し訳ございません。このような状態でレン様をお出迎えしたこと、深くお詫び申し上げます」


 メイ以外の上位竜スペリオルドラゴンは全員跪き頭を下げて謝罪の意を示す。メイは相変わらず拘束されたままだ。

 散乱した料理を見てレンもいたたまれなくなる。


(何があったんだ? 落ち着いて食事ができる状態じゃないな。メイは拘束されて動けないみたいだし、誰かと喧嘩でもしたのか?)


「何があったのか話してみよ」

「はっ! 食事の準備も整いレン様をお待ちしていたのですが……。メイが料理を食べ始めまして、それを抑えようとしたらこの様な有様に……」


(なるほど。つまり俺が来るのが遅いから、お腹の空いたメイが食事を始めたわけか。別に先に食べても何の問題もないだろ? あんな小さい子に食事を我慢させる方が余程問題だ。これだと、どう考えても食堂に来るのが遅れた俺が悪いじゃないか……。それにしてもドラゴンの中に、ちゃんと料理が出来る奴がいたんだなぁ~。そっちの方が驚きだ。見る限り食べられる料理は沢山ある。このまま食事にしよう)


「話は分かった。メイを解放して全員席に着け、先ずは食事にする」

「ですがレン様、我々はまだ罰を受けておりません」

「罰だと? なぜ罰を必要とする。私が遅くなったのが悪いのだ。罰など必要ないだろ?」

「いえ、そうではございません。レン様のお時間に合わせるのが臣下としての努めです。それを守れないメイは勿論ですが、止められなかった我々にも責任がございます」

「何も私を待つ必要はない。腹を空かせた者がいるなら、直ぐに食事を与えてやればいいだろ? お前は私を食事ひとつ満足に与えられない、駄目な主にしたいのか?」

「いえ、そのようなことは決して……」

「では話は終わりだ。皆で食事にしよう」


 話を終えたレンはオーガストに笑顔を向けた。

 辛気臭い顔で食事をしても美味しいわけがない。テーブルには美味しそうな料理が残っているのだから、これを食べないのは料理人と生産者への裏切りである。

 レンが席に座ると同時に、温め直したスープが厨房から運ばれてきた。メイは既に席に着いて料理を美味しそうに頬張っている。レンがよいと言っているので、ニュクスとアテナが怒ることはなく、大人しく席に着いている。

 ジャニーが洗練された動きで、皿に注がれたスープをレンの前に差し出す。一礼して立ち去る姿は、さながら一流レストランのウェイターだ。

 運ばれて来たスープは野菜を使ったものらしく、緑色のスープには野菜が浮かび、甘い香りが漂っていた。

 レンはテーブルに置かれたスプーンを手に持ち、スープの中に沈めた。一口スープを口に入れると、優しい甘さが口全体に広がり思わず笑みが零れる。


美味うまい! ドレイク王国で食べた料理も美味かったが、それとはまた違った美味さだ)


 ドレイク王国の料理はスパイシーな香辛料で食欲をそそる料理だったが、いまレンが飲んだスープは、素材の旨みを引き出す手法の、まったく別の料理であった。どちらかと言えば、レンが好きなタイプの調理方法だ。


「この料理は誰が作った?」


 鍋を運んでいたマーチがビクッと体を震わせ、レンに向けて深々と頭を下げた。この所作だけでも誰が作ったかは一目瞭然だ。


「も、もも、申し訳ございません。レ、レン様の、お、お口に合わない、りょ、料理を。すす、直ぐに作り直します」


 俯き小声で話す言葉は、距離が離れていたこともあり、レンの耳には届いていなかった。

 マーチはビクビク震えながら厨房へ逃げ込もうとすが、次の言葉を聞いて足を止めた。


「とても美味い。マーチは良いお嫁さんになるだろうな」


 マーチの顔は見る間に赤くなる。

 その場でグルグル目を回すと、今度は仰向けに倒れて意識を失っていた。手に持っていた空のスープ鍋が、マーチのお腹の上に、ぽふん、と乗っかっている。

 姉のジャニーはそんなマーチを微笑ましく眺めているが、レンの言葉を聞いた他の女性の反応は違っていた。

 瞳を大きく見開くと、ギョロっとマーチに鋭い視線を向けている。ちなみにメイは食べるのに夢中でレンの言葉を聞いていない。

 女性陣が一斉にマーチへ視線を動かしたことで、レンの視線も釣られるように、周囲の女性を向いていた。微かに視界に捉えたのは、血眼になった女性陣の怖い顔だ。


(え!?)


 しかし、まばたきをした次の瞬間には、全員いつもの表情に戻っていた。


(なんだ今のは。一瞬悪寒がしたが気のせいか? それに女性たちの顔も豹変したように見えたんだが……。見間違えか?)


 ニュクスとアテナに視線を向けるも普通に食事を取っている。他の女性も普段と何ら変わりない。

 レンは気のせいかと目の前の料理に視線を落とす。


(これだけの料理が作れるなら、当面の間はヒューリから料理人を借りなくても良さそうだ。今後は料理関係のことは全てマーチに任せていいだろう。後は倒れたマーチの安否が心配だ。さっきジャニーが厨房に運んでいたから問題ないと思うが、後で確認した方が良さそうだな。まぁ、よく考えれば一人でこれだけの料理を作ったんだ。疲れが溜まっていても可笑しくない。マーチを補佐する人材は必要かもしれないな)


 食事も終盤にかかる頃、廊下から足音が聞こえてきた。足音が止まると扉は開けられ、レンを捜索に出ていたヘスティアが心配そうに駆けてくる。


「レン様、お探しいたしました。ご無事で何よりです」

「お前にも迷惑を掛けた。空いている席に座って食事をするといい」

「はい、そういたします」


 ヘスティアは笑顔で答え、レンの一番近くの席に視線を向けた。そこには既にアテナとニュクスが座っており、それを見たヘスティアは「ちっ」と、小さく舌打ちをした。そのまま汚れたテーブルに視線を落とし、不機嫌な顔で部屋全体を見渡している。

 テーブルクロスは零れたソースで所々が茶色に染まり、細かな料理の欠片がそこかしこに散乱していた。部屋の床には零した料理を雑に拭き取った後まである。酷い有様だ。本来ならレンに料理を出せる状態ではない。


「ねぇ、これはどういう事かしら?」


 ヘスティアは嫌な顔を隠そうともせず、怒気を強めてアテナに尋ねる。ニュクスはレンと一緒にいたはず、であればこの状況は、アテナの仕業と考えてのことだ。


「私に聞かないでよ。ニュクスと一緒にレン様をお連れした時には、既にこうなっていたのよ」


 アテナは何で私がと愚痴を零しながら食事を再開した。

 ならばと、ヘスティアはオーガストたちを鋭く睨みつけるが、レンがそれにいち早く気付いた。


(不味い! また争いの予感がする。次から次へと本当に忙しいな)


「ヘスティア、些細なことは忘れろ。私がよいと言ったのだ。それともお前は私の意に背くつもりか?」

「め、滅相もございません。レン様のお言葉は絶対でございます」

「ならばお前も席に着け。つまらんことで私の食事の邪魔をするな」

「申し訳ございません」


 ヘスティアは深く一礼すると、空いている椅子に視線を向ける。アテナの隣に腰を落とすと手近な料理に口をつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る