第9話 ドレイク王国5

 アテナが自らの首を差し出すことも視野に入れているとは露知らず、レンはアテナの返答を聞き安心していた。

 最高の主と言うのは行き過ぎと思うが、褒められて悪い気はしない。


「アテナ、お前の気持ちは嬉しく思う。私もお前に恥じぬよう、良き主を目指そう」

「もったいないお言葉」


 レンの言葉を聞いたアテナはまたも悩む。


(私の気持ちを嬉しく思うとは、至らぬ我々を許すと仰っているのかしら? その後の良き主を目指すとは、これからも仕えて良いと仰っているの? レン様は慈悲深いお方、きっとそうに違いないわ)


 アテナの中でついに答えが出る。

 見当違いもいいところだが、それでもアテナは疑わない。

 冷静な判断ができないほどアテナは歓喜で満たされていた。

 レンが慈悲深い素晴らしい王だと再認識することで、レンへの忠誠心はまさに振り切っている。

 その日の夜は何事もなく過ぎていった。

 もちろんアテナにも、ソファが置かれている場所から奥へは入らないように伝えている。


 翌日はヘスティアがレンの護衛についた。

 ヒューリに無理を言って街に繰り出したが、これが失敗だった。

 ドレイク王国の親衛隊長マルスを紹介され、親衛隊100人が新たに護衛に追加されたのだ。

 普通に買い物がしたいだけだったのに、まるで大名行列だ。

 行く先々で親衛隊が露払いをする。通りを歩けば誰もが平伏している。

 商店に入り品物を見れば、竜王様に献上いたしますと、なんでも貰えてしまう。

 まるでたちの悪い押しかけ強盗だ。

 即座に街での散策は諦め街の外に繰り出した。これ以上、街に迷惑はかけられない。城に戻らず街の外に出た理由、それはこの世界に魔物や魔獣が存在するからだ。

 地球にいない生物が見られるかもしれない。単純ではあるが、興味本位で直にこの目で見たかったのだ。

 ゲームに馴染みのあるレンは冒険者にも憧れている。命懸けの危険な仕事だと理解しているが、好奇心は抑えきれない。

 それに今回は過剰なほど護衛が付いている。万が一にも怪我をすることはないはずだ。ましてや安全な馬車の中である。例え魔物が出たとしても、安全は初めから確保されていた。

 しかしだ。何度外を見渡しても魔物や魔獣の姿が見当たらない。レンは肩を落とし、馬車の小窓から近くの親衛隊に尋ねた。


「この辺には魔物や魔獣はいないのか?」


 声を掛けられるとは思っていなかったのか、親衛隊の竜人ドラゴニュートは体をビクッと震わせると、恐る恐る振り返っていた。


「は、はっ! 街や街道に近い場所は、定期的に巡回し討伐しております。出会うことは滅多にございません」

「……出会うのは珍しいのか、それは少し残念だな」


 横に視線を移せば、隣に座るヘスティアも残念なのか、何故か頬を膨らませてムスッとしている。


(ヘスティアも見たかったのか? ヒューリに会って魔物や魔獣の図鑑がないか聞いてみるか……)


「魔物や魔獣がいないのであれば城に戻ろう。遠出をしてはヒューリを心配させてしまう」


 レンの言葉は絶対だ。

 直ぐに言葉通りに城への進路を取り、親衛隊の列が歩き出す。レンは城に戻るなり、今度はヒューリの姿を求めて執務室に足を運んでいた。

 親衛隊長のマルスが案内を申し出たため、執務室までは迷うことはないが、思ったよりも城が広い。

 通路の角を幾度となく曲がり、ようやくそれらしき場所に出ることが出来た。扉の前には護衛が2名、近づくマルスの様子を窺い警戒している。

 恐らくはあの部屋なのだろう。

 普段は執務室に近づく者がいないのか、ヒューリの護衛は訝しげな表情で、腰に下げる剣に手を添えていた。

 当然のことだが国王の身辺警護は厳重にされている。特に執務室には機密書類も多数ある。たとえ親衛隊長のマルスと言えど、国王の執務室に近づくことは許されていない。

 事前に知らせがあるのならまだしも、護衛はそんな知らせを受けていないため、警戒心を顕にすると身構えていた。 

 マルスの後方を歩くレンも、護衛の異変に気が付くほどだ。

 明らかに此方を警戒している姿が見える。レンは咄嗟にマルスを押しのけると前に出て声を上げた。


「ヒューリに会いに来たのだが、中に入れるか?」


 竜人ドラゴニュートがレンの声を聞き、相手が誰か分からないはずがない。

 先程まで鋭く睨んでいた瞳が、明らかに驚愕へと変わり、そして今度は狼狽する。


「レ、レン竜王様! 国王陛下は中にいらっしゃいます。どうぞお通りください」


 護衛は緊張のあまり直立不動で身動きできない。

 レンが頷き部屋に入ろうとするなか、一人拳を震わせ怒りで戦慄わなないている人物がいた。


「レン様を睨みつけるなんてどういうつもり?」


 怒りを押し殺したヘスティアの冷たい声が廊下に響き渡る。


「ヘスティア?」

「レン様、この国を滅ぼすご許可を」


 言葉と同時に護衛とマルスに凄まじい殺気が浴びせられた。

 護衛とマルスは恐怖の余り言葉が出ない。絶対的強者から浴びせられる殺気、蛇に睨まれた蛙どころではない。

 気の弱い者なら、その殺気だけで命を落としてしまう程だ。


「まてヘスティア! とにかく落ち着け!」

「レン様、私は落ち着いています。レン様に敵意を向ける愚か者は種族ごと全て排除すべきです」

「少し睨まれただけだ。相手も私だと気がついていなかったのだ。許してやれ』

「レン様がそこまで仰るのでしたら……」


 ヘスティアは渋々殺気を鎮めると、「以後気をつけるように」と、一言だけ護衛に告げた。もっとも、声を掛けられた護衛は気を失い廊下に崩れ落ちている。既にヘスティアの言葉は届いていない。

 マルスも安著の溜息を大きく吐き出すと、気が抜けたのか、廊下の壁に寄り掛かり動けなくなっていた。全身から噴き出る汗がマルスの疲労を物語る。

 レンは頭を抱えたくなった。


(少し睨まれただけだろ? その程度で国を滅ぼそうとしないでくれ。世話になっている国を滅ぼすなんて冗談じゃない)


 気を取り直して執務室に入ると、苦笑いをしているヒューリの姿が視界に入る。

 ヒューリも殺気を浴びたのだろう。汗で衣服が濡れており、机の上には滴り落ちた大粒の汗が見えた。


「これはレン様、先ほど廊下の方から声が聞こえたのですが、配下の者が何か粗相をしたのでしょうか?」

「その通りよ。レン様を睨みつけた不心得者がいたわ。今度から躾はきちんとなさい。国が滅びることになるわよ」


(ちょぉぉぉぉぉ! お前は何言ってんだ。ヒューリが顔を引き攣らせてるだろうがぁぁぁぁぁ!)


「誤解するなヒューリ、国を滅ぼすようなことは絶対にない。ヘスティアもいい加減にしろ。私は些細なことは気にしない」

「流石は慈悲深くもご寛大なレン様」


 ヘスティアはうっとりした瞳でレンを見上げると、体を擦り寄せ胸を押し当ててくる。

 

(近い! 近い! 近い! 胸が当たってる! さっきまで殺伐としていたのに、何でいきなり妖艶な雰囲気を醸し出してるんだ。情緒不安定なのか? それに女性特有のいい匂いがする。見かけより胸も大きいし柔らかい。このままでは不味い! 俺の下半身が戦闘モードに入ってしまう。本題を切り出して直ぐに退散しなければ……)


「ここに来たのは他でもない。魔物や魔獣の図鑑がないか聞きに来たのだ」

「図鑑でございますか? 書庫にございますのでご自由にご覧下さい」

「書庫だな、了解した。では有り難く利用させてもらうぞ。騒がせてすまなかったな」


 そう告げるとレンは踵を返し部屋を出ていく。当然ヘスティアもだ。

 残されたヒューリは書類に目を落とし、思わず大きな溜息を漏らした。視線の先にあるのは、ノイスバイン帝国からの宣戦布告の書状だ。


(レン様が滞在中になんということだ。戦争を回避するため手は尽くしてきたが、流石にもう無理か……。しかし、レン様に被害が及ぶことがあってはならない。やはり国を離れてもらうしかないな。だが何と説明する? 戦争に巻き込まれる恐れがあるため、とでも言うのか? レン様が共に戦うと言いだしたらどうするつもりだ。確かに共に戦ってくださるなら負けることはないだろう。いや、私は何を馬鹿なことを考えているのだ。レン様や古代竜エンシェントドラゴン様に万が一があっては困る。本来お仕えすべき主を戦わせるなどあってはならない。開戦はまだ先だが、それまでに何とかしなければ……)


 やり場のない怒りがこみ上げ、ヒューリの拳が机に叩きつけられた。


「くそっ! ノイスバイン帝国め!」


 衝撃で積み上げられた書類は音を立てながら崩れ落ちる。

 何よりも優先すべきはレンの安全、そのための最善の方法をどうするべきか。ヒューリは頭を悩ませていた。

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