アイツとアタシ(とママ)のロスト・アンド・ファウンド

アイオイ アクト

第1話 ハッとして霊感女子高生?

「こんばんは……お話、しませんか?」


 女に生まれて十九年。

 初めてナンパされる相手はせめて人間であって欲しかった。

 これも、『はらい師』として生まれたアタシの運命さだめか。んな訳ないか。


 こういう霊にはどう対処すれば良いのかな。霊にナンパされた場合の対処方法なんて習ってない。


「聞こえてるよね?」


 甘ったれた男の声をしているというのに、かなり強い霊だ。

 さっさと逃げよう。


「待って! あなたに、納土のうど安奈あんなさんに話があるんだ!」


 思わず足を止めてしまった。

 アタシがその、納土安奈だからだ。


「良かった、聞こえてた!」


 髪色明るくし過ぎて股が緩く見えるのかな。それとも、十五歳には到底見えない女がおろしたてのセーラー服を着ているから援助的な何かに見えたのかな。


「やっぱり! 野井間のいま照沙てりさ師にそっくりだ」


 ああ、そういう事。

 アタシのママのファンか。つまり、祓い師の知識を持っている霊だ。

 こいつは厄介だ。こんな化け物がアタシの魂を食い散らかすなんて一瞬だろう。


 この世に残った霊は全て害悪と断じる『祓い師』の業界において、怨霊と心を通わせて祓うのは極めて稀だ。

 ただの一度も霊に武力を行使する事なく、心を通わせ、在るべき場所へと還す。

 心優しいアタシのママはその筆頭だ。アタシには無理だから、逃げるしかない。


「ねぇ、お願いだよ!」


 助けを呼ぼうにも携帯は家に置いてきてしまった。


「お願い! 僕の事、はらってくれないかな!?」

「はぁ!? オメー今なんつった!?」


 まずい、応えてしまった。

 周囲を見回すが、夜の児童公園の前にたむろしている奴なんてお化けか不良JKくらいなものだった。一体何者だこいつは。


「あ、あの、僕の願いを……」

「ね、願い!? テメー自分の立場分ってんのか!?」


 人一人分の魂の力でこの世に留まれる時間はたかが知れている。これだけ強いって事は、もう魂をたくさん食っていやがるはずだ。


「立場……現時点では怨霊とはいえないんじゃないかな?」

「うるせー怨霊! 去れ! ね!」


「なら、祓ってくれないかな?」


「だからそれがおかしいっつってんだよ! アンタ霊だろ! 人の魂食うのが仕事だろ!」


「仕事? 本能的な事だと思うけど……そもそも魂なんて食べてないよ。そうなる前に祓って欲しいんだけど」


「その手には乗らねー! アタシが祓い師だって分ってて食おうとしてんだろ? 食った人間の知識は自分の物に出来んだろ! 分ってんだよ!」


「え? 霊にそういう知識与えたら駄目なんじゃ?」


「あ……忘れろ!」


 くそ、馬鹿かアタシは。逃げるしない。

 コンビニ行く途中で霊にやられたなんて一族の恥だ。


「待ってよ納土さん! 僕は君に会いに来たんだ」


「ナンパするなら身だしなみくらいきちんとしろピンボケ野郎!」


 霊は人の形をしていたが、姿がぼやけていた。

 死んだ際に受けた衝撃で、生前の姿を思い出せない時の現象だ。制服一着駄目にした高校五年目だけど、真面目に勉強してんだよアタシも。


「ごめん、記憶が曖昧で」


「だろうよ。どうせアタシの顔と手見て思い出したとでも言うんだろ」


 正直、身だしなみについて指摘する権利なんてアタシには無い。


「うん、そうだよ」


 少しは言葉を選べよ怨霊が。

 有名人は辛いねぇ。登下校以外は外になんて出たくないんだよ。コンビニにすら世闇に紛れて行くことくらいしか出来ない。


「その傷、呪傷じゅしょうなんだよね? 痛くない?」


 脚が止まる。アタシの顔の左半分は見れた物ではないのは周知の事実だ。

 呪傷は霊によって魂を直接傷つけられた傷だから、癒える事はない。


「は? いてえのなんて慣れたよ……ていうか何馴れ馴れしく話しかけてんだよ?」


 顔の事は言われたくなかった。

 前髪で申し訳程度に隠しているが、頬には火傷のような傷痕きずあとがある。

 左目は黒眼を失って、灰色の玉が眼窩がんかにはまっているようにしか見えない。BBクリームとファンデーションで遠目には分らないようにしているつもりだけど。


「あの、多分、あなたの事、あなたのその手を、とてもよく知っているんだと思う」


「アタシの手?」


 アタシの両手は左頬同様、焼けただれたような傷になっている。

 一時期は手の甲にドーランを塗っていたけれど、色んな所に付着するからもうやめてしまった。

 手袋をするのはそんな漫画があったらしいから抵抗がある。読んだ事ないけど。


「その、どうしてかは分からないんだ。でも、あなたに会いたくて」


 ああ、執着か。

 霊が現世をさまよう原因の一つ。まさかアタシに執着してこの世に残る奴がいるとは。勘違いである事は間違いない。


「なんだよ? アタシの魂食うってんなら今すぐ死んで霊化してやる」


 大方の『霊媒師』なる人々は『魂』と『霊』は別なんて言うが、そんな事はない。

『魂』は体の外に出れば『霊』になる。

 怨霊どもは霊になってしまった魂から、存在するための力を手に入れる事は出来ない。肉体を離れた魂は自分の形を保とうと、生前と同じ形の皮膜を作り出すからだ。その姿で幽界れいかいを目指すためと伝えられている。


「え? 食べないよ」


 だからこいつのように、怨霊達は巧みに人を誘惑して、徐々に魂の力を食う事もあれば、何らかの理由で意識を失っている人間を見つけて、肉体から無防備な魂を吸い取るのだ。


 ヤバい程強くなった奴に至っては、意識のある人を体ごと飲み込むように襲いかかって魂を食う。こいつの強さなら、それくらいの事は出来るだろう。


「うるせー! ママに連絡するから素直に祓われろ!」


「あの、僕の中の未練は、あなたなんだ! だから、安奈さんに祓って欲しくて」


「は、はぁ?」


 唐突に下の名前で呼びやがってナンパ野郎が。


「わ、分かった! そこのベンチにでも座って待ってろ。また明日相手してやるから」


「あ、ありがとう。待ってる」


 助かった。

 足早に歩き、家の門に懸けられた細いしめ縄の下をくぐったところで一息つく。ママが家に張っている霊を防ぐ防壁のお陰で、ある程度は安全だ。

 ナンパ霊には悪いが、我が家の周辺は祓い師が沢山住んでいる。あれだけ強い霊なら、すぐ見つけられて祓われるだろう。


 変な奴だった。

 あの霊は負の気が無かった。多分、人間の魂を食った事がないというのは本当だろう。人間が死や昏睡こんすいによって霊に変わる際、霊体の強さには個人差がある。個人差で片付くような強さではなかったけど。


「ただいま……どうしたのパパ?」


 もうすぐ日付が変わる時間だというのに、居間の明かりがまだ点いていた。早寝な父が夜中にテレビを見ているなんて珍しい。


「さっき電話があったんだ。ママがテレビに出るって」

「え? ほんとに!?」


 世間には認知されていないが、怨霊祓い業界の経済規模は、従事者向けのケーブルテレビ局を持っているくらいには大きい。有名人のママは常連だ。


『皆様お待たせしました! 『VIPコンサート席争奪! トシちゃんカップ』を盛り上げる田之大海原たのおおうなばら 慧之守彦としのもりひこ様のニューシングル初披露です、が……生演奏は都合により中止し、プロモーション映像を天気予報と共にお楽しみ下さい。では、『ハッとして霊感女子高生!?』どうぞ!』


 困った事に、一般社会に祓い師という仕事を浸透させようという目的の下にアイドルが組織されているが、当然空回りしている。


 そのアイドルである『トシちゃん』とやらの名を冠した『慧ちゃんカップ』は、ゆるい名称に似つかわしくない、殺伐とした怨霊狩りだ。

 参加者は期間内にひたすら怨霊をまるで狩るように祓い、その数と大小で決するポイント制競技だ。そんな競技に対話を前提とする野井間の血筋が関わる事など無いからどうでも良いのだけど。


『ハッ! とキミを狙うヤツらを祓えっちゃうさー!』


「パパ、なんで歌も下手な上にサボり癖もあるヤツにアイドルやらすの?」


「あはは、そこがアイドルっぽいっていう人もいるんだよ」


 パパも媚びるタイプなんだなぁ。田之大海原家はいわゆる宗家だ。祓い師の宗家のガキ共は見目麗しい上に天才と言える実力があるから、男女問わずこのアイドル活動に抜擢される事が多い。

 あらゆる有名祓い師の英才教育を受ければ誰だって天才級の実力になるっての。もちろんその有名祓い師の中にはママも含まれている。

 くそ、キラキラ輝いている同年代は全員嫌いだ。


 昔はアタシも神童と呼ばれていたんだけどな。

 両手がこんな状態になる前は、手で触れるだけで、怨霊は形を保てなくなったのに。


『……本日のニュースエクス、エンディングは野井間照沙|師による、公開除霊じょれいです』


 霊を除くと書いて除霊。その言葉にアタシもパパも少し顔をしかめる。

 これはママの旧姓、野井間の一族が使ってはならない言葉だ。霊も人として扱う事が、野井間の誇りなのだ。


 液晶パネルの向こう。この場所は、我が家から徒歩圏内にある廃寺だった。

 霊は映像の中であっても、見える人間以外の目には映らない。本当はママの活躍をもっと沢山の人に見て貰いたいけど。

 霊に傷つけられても一歩も引かず、一切の反撃もせず、ひたすら言葉を交わす。気高く美しい、大好きなママ。


 人影に照明が当たった。


「あ、ママ……ぁ?」


 世界が、暗転した。


 あれは、アタシの古い制服。


 ママが、五十歳のママが、セーラー服を、着ている。


『お前ら見てろぉぉ!!』


 叫びながら跳躍する、セーラー服姿の五十歳。


『くたばりゃあああ!!』


 怨霊に飛び蹴りを食らわせる、セーラー服姿の五十歳。


『死ねぇえええ!!』


 死んでいる相手に死ねと叫ぶ、セーラー服姿の五十歳。


『手こずらすなヘドロがぁあああ!!』


 口汚く罵る、セーラー服姿の五十歳。


『カアァーーペッ!』


 怨霊に痰を吐きかける、セーラー服姿の五十歳。

 痰は怨霊をすり抜け、地面に落ちた。


『ちょっ!? 照沙師は!? この人誰!?』


 現場が混乱していた。

 残念ながら、どこからどう見てもアタシのママ、野井間照沙だ。


『オラァ! 今ので何位じゃあ!?』


 霧消していく巨大な怨霊よりも、セーラー服を来た祓い師に、画面の中の人々は恐慌状態に陥っていた。


『い、一位です! と、慧ちゃんカップ暫定一位は、の、野井間照沙師です!!』


『ッシャァァァ!』


 ママが右手の中指を突き上げて絶叫した瞬間、畳に重い物が落ちる音がした。


「パパ!」


 何を気絶しているんだ。アタシだって気絶したいのに。この悪夢から逃れたいのに。


『シャアコラァァ!』


『て、照沙師は少々興奮されている様ですのでインタビューは中止させていただきます!』


 人の気も知らず、変わり果てたママは、カメラに向けて中指を立て続けていた。

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