昔、ガラスの靴を割ったのです。

カフェラテ

シンデレラにはなれない




彼女は、私の前でミルクティーを啜りながら、何事もないように強請るのだ。


「ねえ、私の首を絞めてくれない?」


ーー突然、何を言い出すのか。

ここは最近出来たばかりの小洒落たカフェで、周りには沢山の人が話をしている。自慢話だったり、仕事先の愚痴だったり、いろいろ。その空間で出す話題ではないはずだ。私は、冷静を振る舞い、彼女を見据え、問う。


「なんでそんなこと言うの。」

「ほら、私って死にたがりじゃない。すぐに死にたいって呟くし。でも、最近、本当に死にたいのかなあって思うんだ。」

「どういうこと?」

「死にたいのは、私の意思じゃない。空気に流されているだけなのかもって。」


愛おしげに自身のスマホを触り、答える。言われてみれば、今、この瞬間にすら、死への欲望が溢れていた。

後ろの席の女性が、隣の、また隣の大きな声で騒ぐ高校生が、飲み物を待つカップルが、軽々しく、死にたい、死ぬ、と。きっと私のスマホの中でも何人か死んでいる。彼女が氷を揺らして笑う。


「これくらいの暑さじゃ死ねない。テスト勉強しなかったくらいじゃ死ねない。ネイル剥げたくらいじゃ死ねないわ。分かってるの。でも口をついて出ちゃう。他の人が言うから。」


とろとろ、私が頼んだコーラの氷が解けていく。ストローに手は伸びない。彼女と合っている瞳を逸らせば、氷みたいに解けちゃう気がした。私じゃなくて、彼女が。

まるで馬鹿みたい。少し前のあなたは自分の芯をしっかり持っていたじゃない。それなのになぜ風向き通り流されているの。しっかり生きなさいよ。

思うだけで言えなかった。喉元が張り付いて、呼吸すらちゃんとできているか不安だった。私も同じだから。周りに調和することを覚えた私は、本音の色を塗り潰して、みんなと一緒の色で塗り直した。建前っていう色。私もすぐ死にたいと言う。生きていたくても、死にたいと言う。無意識にみんなの口癖が移ったんだ。

揺蕩う意識を引き戻し、私は必死で言葉を探す。彼女が私の返事を待っている。


「…でも、きっとあなたの首を絞めても、簡単に死んでくれないでしょうね。」

「どうして?」

「あなたは本当はまだ生きていたいもの。そうじゃなけりゃ、とっくに死んでるでしょう。」

「……かもしれないわね。」


ゆっくり、視線が逸らされた。死にたくなったら、死ねばいいよ。あなたの話をすべて受け止めるクッションを持って下で待つ準備はできている。

彼女はグラスを伝う水滴を、机に落ちる前に長い指で掬った。救った。私はそこでようやく、コーラへ口を付ける。当たり前だけど、氷が混じって、とても薄い。


「ミルクティー、薄くなっちゃった。」

「奇遇ね。私もよ。」


目を伏せ、呟いた彼女を、微笑みつつ肯定する。そんなのもたまにはいいよね。少し違う色があったって、誰も気にしないわ。みんな、自分を精一杯生きているんだもの。


開いた扉から、暖かい空気が流れる。昼間を過ぎた外は気温が上がり、暑い。スマホの中で、街の中で、何人かが言霊により死んでいく。

私達はそれを横目に、冷え切った喫茶店で、明日を語る。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

昔、ガラスの靴を割ったのです。 カフェラテ @caferatete

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る