第14話 この国のエリートとは

 2050年の日本は、官僚による集団支配下にあった。

 憲法は法の下での平等を唱え、国民一人ひとりは職業選択の自由も、移動の自由も、表現の自由も保障されている。

 選挙は従来通りに実施されており、規定の年齢に達すれば選挙権も被選挙権も与えられる。

 政治信条に関係なく、特定の年齢に達した国民は犯罪歴をクリアして供託金さえ用意できれば立候補は自由だ。

 もちろん、選挙時の集計に不正などあろうはずもなく、票を集めることができれば議員になることができる。地方でも国会でもその点に変わりはない。

 しかし、数え切れないほどの省令によって一般国民の生活はがんじがらめに規定されていた。特に低所得者層の身分固定化は絶望的な状況にある。そこかしこで“見えない障壁”が張り巡らされているが、国民の多くはそのことに無頓着だった。何よりさほど生活に困っていないという状況がある。

 総人口は9707.6万。2010年の1億2805.7万からは約3,100万人もの減。世界におけるランキングは10位から17位へと下がっている。うち、労働力人口4438.0万人。2010年の6590.4万から約2150万人も失われていた。

 2017年現在世界第三位だったGDPは、2010年(4兆850億PPPドル)比で27%も縮小(2兆9720億 年基準購買力平価=PPPドル)。成長余力があり巨大な人口を有するインド、ロシア、ブラジルに抜かれただけでなく、それなりの成長を達成していたイギリス、ドイツ、フランスの後塵を拝する第9位で、すぐ後ろにはインドネシアが迫っている。アメリカ、中国の8分の1にも満たない規模にまで後退していた。先進国という位置にはあるものの、もはや経済大国とは呼べない。

 ちなみに一人当たりGDPも 2010 年の 31,899PPPドルから 2050 年は 30,612PPPドルと 4.0%減らし、2010年の世界第 20位から2050年には28 位と後退している。


 それでも日本は先進国であり、まだまだ世界では上の方にある。総じて生活レベルは高い。一部の貧困地域を除けば治安は相変わらず安定しており、住みやすさという点において、途上国よりは遙かに恵まれた立場にある。

 ただ、ある種の自由が奪われており、そのことが隠蔽されているに過ぎなかった。

 

 そのような緩やかなディストピアになってしまったことには、幾つもの原因が考えられる。民主主義国家という体を持ちながらも、いつまでもお上任せという国民性と、それを少しも変えようとしない教育制度は確かに深刻な問題であった。だがもっとも罪が重いのは報道機関――大手メディアと言えよう。

 

 知識人はしばしば国民が愚鈍であると指摘する。

 確かに大衆は愚かであるかもしれない。しかし、そんな大衆を先導することこそが識者の使命である。それなのにマスメディアは既得権の最大の受益者と化し、選ばれた者のみに許された高収益を享受してきた。見返りにやっているのは低俗な娯楽の提供ばかりだ。だがここで大手メディアの問題を語るには、まずこの国のエリートについて理解する必要があるだろう。

 

 この国のエリートたちの一般的な育ち方はこのようなものだ。

 まず裕福な家庭に生まれる。父親はそれなりに名の通った企業に務めるサラリーマンや公務員だ。母親は仕事を持っていたり専業主婦であったりまちまちである。

 裕福な夫婦は、子供ができた途端に、家探しを始めることが多い。

 子供の教育に適したところを探すのだ。

 生活レベルが高く、治安がよく、教育に相応しい環境が揃っている場所が望ましい。

 そして近くに都営アパートのような低所得者層がいる地域は真っ先に避けられる。

 ある者はお受験で名門幼稚園、名門小学校へ入る。或いは高額な塾の月謝を払いつつ中高一貫の私立高校を受験する。収入がさほど多くない家庭では公立の中高一貫高校も選択肢の一つだ。経路はいくつかに分れるが、最終的には名門大学への進学という目的は同じである。そういった過程において、同じように上品な仲間だけと付き合うようになり、異物を排除する傾向を持つようになっていく。

 小学校、中学校、高校、大学と進学していく間にそれなりの社会性を身に着け、それなりに名の通った企業に新卒社員として入社する。それ以降は運が良ければ悪くない待遇で定年を迎え、企業年金で豊かな老後を過ごすことができる。運がなければ勤務先が破綻し、その後の人生計画を一新しなければならない。

 それぞれの経路があり、それぞれの結末がある。しかし彼らエリートにはある共通点が見られる。即ち、幼少期より遊びたい衝動をガマンしながら受験勉強を成し遂げるだけの忍耐強さ、すなわち従順さである。もちろん、それを実現するための気力と体力も重要だが。そのような“ふるい”にかけられて残った存在こそがこの国のエリートである。つまるところ“いい子ちゃん”なのだ。しかも彼らの周囲はそのようないい子ちゃんばかりなので、それ以外の生き方を理解できないようになっていく。

 彼らエリートは基本的に従順であるが同時に権威的でもある。結果として上の人間に逆らえず、しかしエリート意識=選民思想に縛られたまま。恵まれた環境から離れることなど考えることさえできない。これはつまり、上からの脅しに弱く、今の立場を人質にすれば簡単にコントロールできるということでもある。

 

 そんなエリートにとって、大手メディア企業は就職先としてはうってつけである。

 まずステータスが高いから就職したら自慢できる。周りも誉めてくれる。

 しかも給料が高い。

 彼らが入社して知ることは、労働組合が“しっかり”しているおかげで、有給休暇の多さや福利厚生などの待遇が一般的な企業と比べて極端に恵まれているということだ。例えば、祝日が土曜日に当たるとすると、普通の企業に勤めているなら運が悪いと諦めるところである。ところが、本来休むべき筈の祝日が土曜日であるために振り替えにならないのはおかしいと組合が主張する。結果、土曜日が祝日の場合は、月曜日が公休扱いとなる。そういった権利を勝ち取りながら、それが当然だと考える。1990年代に関西の某テレビ局で実際にあった話だという。当時はさすがに在京キー局の人間も呆れたと言われている。

 その恵まれた環境は、極めて高い収益性に支えられている。

 では、そこまでの収益性はどこから来ているのか――?

 

 テレビ局でいえば、国民共有の“財産”ともいえる電波は総務省の管轄下にあり、不当なほどに安い対価によってその領域を割り当てられている。

 2017年現在ではすっかり収益性の低下が指摘されている新聞社についていえば、彼らは再販売価格維持制度に加えて“記者クラブ制度”によって、省庁からの情報をほぼ独占している。テレビ局もしかりである。そして記者クラブによっては、クラブ会員以外は出入禁止という措置が取られており、雑誌などは一次情報に接することができない。加えて官僚は特定メディアのみに“リーク”をおこない、これがしばしば特ダネとして大手メディアに重宝されている。

 要するに、大手報道機関は省庁からの利益供与によって経営が成り立っているのである。

 これは裏を返すと、省庁に多くを依存しているために、敵に回せないということでもある。

 例えば、テレビ局は彼らを主管する総務省を批判することは滅多にない。

 特に電波行政については完全黙秘を保っている。

 

 かくして国民をリードするという重要な使命は忘れ去られ、大手メディアは省庁との関係性を強めていった。結果的に新聞やテレビは官僚への批判ができなくなっていた。だが大手メディアはそれで困ることはなかった。なにしろ、官僚からのリークによって政治家を叩く材料は適宜供与してもらえるのだから。

 もちろん、報道は大手メディア企業だけではない。

 雑誌媒体もあるし、ネットメディアも存在する。

 だが忘れてはいけないことがある。大手出版社もまた、エリートの巣窟なのだ。つまり“いい子ちゃん”の集合体である。

 そしてネットメディアは多様化しすぎていて、その力は限定的である。

 残されたのは中小の左派雑誌くらいのものだが、彼らは団塊世代の減少とともに存在感を失っていった。

 

 官僚たちがすべきことは、ネットメディアの信頼性を毀損するだけだった。

 彼らにとって好ましいことに、ネットは匿名性に基づいた無責任な発言や、フェイクニュースに溢れていた。しかも致命的なコンピュータ・ウィルスは大体海外からやって来る。大手メディアを煽ってネットの危険性を訴えていけばいいのだ。しかもネットを毀損することは既存メディアと完全に利害が一致する。

 ネットを抑えてしまえば、あとはやりたい放題だった。

 立法も、司法も行政の配下に置かれていった。

 行政の膨張を嬉々として手助けしていたのは大手メディアだ。報道機関は政治家を叩き、特に行政改革に熱心な政治家には容赦なかった。司法についても、行政の方針に反する裁判官は不当なバッシングを受けるようになっていった。

 そのようにして2050年の日本は報道機関によるチェックアンドバランスの効かない社会となり、官僚の跋扈を許すことになってしまっていたのだ。

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