フェイク・リアルム

大園らくむ

第1話

 これといった特別な出来事などなく、いつも通りの一日が当たり前のように通り過ぎる。

 人々は忙しいことを見せびらかすかのように早足で通りを行き交う。流行り物を追いかけ自分を見繕う。自分自身が多数派であることの優越感に浸っている。

「くっだらねぇ」

 おれは繁華街の隅にしゃがみこみ空を仰いだ。

 雲ひとつない快晴の空にカラスが泳いでいる。クワァ~っと頓狂な声をあげ、おれの目の前にフンを投げつけた。勢いよく地面に叩きつけられたフンの飛沫しぶきのようなものが靴にかかり、どこからともなく湧いてくる得体の知れない怒りをなんとか押しこらえた。が、不意に人影がおれに覆いかぶさった。嗅ぐだけで不愉快になる香水の匂い。〝また来やがったのか!〟とおれは心の中で叫んだ。

「おーい凛太ぁ、テメェこんなとこでまたサボりかぁ? 一年のくせにいい身分だなぁ。そんなぼっちゃま校の制服着て不良気取りかよ」

「なんだよ須藤、お前に関係ねぇだろ。どっかいけよ」

「年上を敬うって心はお前にはねぇーのか? 敬語使えよ。敬語っ!」

 そう言って、須藤はおれの胸ぐらを掴みあげ壁に押し付けた。

 鼻をつまみたくなるほどの香水の匂い、こいつのふざけた面、靴についたカラスのフン、似たような格好で忙しそうに歩く人々、くだらない世界。

「はぐっ!」

 全ての苛立ちの要素が一つになり、おれの怒りが須藤の急所を蹴り上げるという行為により具現化された。

「いちいちおれに絡んでくんなよ。うざいんだよ!」

 須藤は地面に倒れ込み、陸に上がった魚のようなピチピチとした動きで跳ね回っている。

 こいつはこの街一のバカ高校の三年で、本人曰く番長らしい。本当に番長なら一人で毎度毎度おれに絡んでくるのはおかしい気がする。副番長みたいなやつとか、我先と啖呵を切って突入してすぐにやられるチンピラ的なやつを引き連れているもんだろう。

「凛太、テメェ覚えてろよ」

 過度に腹筋に力を入れることによって、まるで力士のような声でさえずった。

「おれはお前みたいなアホじゃないから、そんな直ぐに忘れないと思うけどなぁ。全米が泣いたっ! ってくらいの出来事が今すぐに起きればこんな小さな出来事は吹っ飛んじまうだろうがなぁ。でも、全米が泣くって表現、一瞬スゲーって思うけど、よくよく考えたらわけわかんないよなっ! 大切なボール、潰れてないことを祈ってるぜー」

 そう言い残しおれはその場を後にした。といっても行く宛てなんてない。適当にぶらぶらして今日一日をやり過ごす予定だ。

 それにしてもおれはよく絡まれる。金髪でぼっちゃま高校の制服きてちゃ誰だって鼻につくのかもしれない。だからそんなことに備えて護身術やパンチの打ち方なんかを勉強している。だからおれはそこそこ強いと自負している。

 ふと目線をショッピングビルの大型ディスプレイに移すと最近話題の女性が映し出されている。

 白銀のボブカットの女性。歳は二十代前半。知性と統率力を感じさせるようなクッとつり上がった青い目。異国人を象徴するかのような高い鼻に薄い唇。容姿端麗のその女性は全国民の憧れの的。

 そしてなんの前触れもなく世界を統一した事実上の支配者。


 統治代表 ティナムイール・ウォル


 この人物の出現によっておれたちの生活レベルはぐんと上がった。彼女は無償で全人類の脳にBIMと呼ばれるマイクロチップをインプラントさせ、それにより人々は物理端末を介さずにインターネットへの接続が可能となった。

 これを使えばなんだって調べられる。それに通話、メッセージ、時間、天気、ニュース、インターネット、健康状態の確認、なんでもござれだ。

 ディスプレイの中でしとやかに話すティナムイールにおれは見とれていた。上下に動く唇に吸い込まれそうだ。こんな素敵な女性に抱きしめられでもしたら、おれは気を失ってしまうかもしれない。

 なんて淫らな妄想にヨダレを垂らしていたおれに通行人がぶつかり、妄想から強制的に引き戻された。

 ディスプレイにはもうティナムイールの姿はなく、天気予報士のおっさんが映っていた。

 どこか誰にもぶつかられずに妄想に浸れる場所をおれは無意識下で探していた。するとハンバーガ屋がおれの視覚に飛び込んできた。小腹も空いたことだし、ポテトでもかじりながらおれにしか見えないティナムイールを脳内ホログラムで立体化し、淫らな妄想の先を見つめることにした。

 店内に入ると特に誰の顔を見るでもなくレジへ向かい、店員にポテトとコーラを注文した。

「新商品のカニミソバーガーはいかがですか?」

 店員のありきたりの文句に少し腹が立った。〝おれはポテトとコーラを要求してんだ。さっさと頼まれたもんを出せ!〟と心の中で文句を垂れながら店員の顔を見て、おれは脳内のもう一人のおれの頬をぶん殴った。

 サラサラの黒髪。いわゆる姫カットというのだろうか、眉の少し上あたりで一段。耳タブより少し上くらいでもう一段。大きく開かれたおもちゃの宝石のような瞳。すっと通った鼻筋に薄い唇。弓のように湾曲した唇から小さな歯が可愛らしく顔を覗かせている。

 ごくごくわかりやすく説明しよう。

 店員は究極に可愛かったのだ。

 一目惚れとはこのことなのだなと、おれは一つ人生というゲームにおいての経験値が上がった。こうやって思考回路が麻痺しているおれに向かって店員が優しい笑みで首をかしげた。

「お客様……?」

「カニミソバーガーセットでお願いします」

 人は混乱すると判断力が低下するという。まさに今がそれなのだろう。

 可愛すぎる店員さんからカニミソバーガーを受け取る手が震えていた。それを悟られないように呼吸を整え、震える膝に鞭を打って席に着いた。

 もうティナムイールの妄想どころではない。むしろおれの頭の中からティナムイールは消去されたようで、さっきの微笑みながら首をかしげた彼女の顔が頭から離れない。カニミソバーガーなるものの味なんてどうでもよかった。ただ彼女に勧められたものが自身の体内に入ってゆく感覚が嬉しかった。

 元来おれは女性に対しての免疫がない。自分で言うのもなんだが、おれはそこそこのイケメンだ。しかしこれまでに恋愛経験がないのには理由があった。

 まず母親がいないこと。

 男子小学校卒、男子中学校卒、そして男子高校に通っているということ。

 つまり、日常で女性と接する機会がない。同じ年頃の女の子とコミュニケーションをとったことすらないのだ。

 しかしこのままではいけないことはわかっている。何よりおれ自身が望んでいるのだ。かわいい女の子と仲良く手を繋いで街を歩くことを。

 壊れかけのブリキのおもちゃのような、ぎこちない動きで振り返り彼女の顔を見てみた。初めて見る端正な彼女の真顔が、おれの心を鷲掴みにして握りつぶそうとしている。おれは覚悟を決めた。


 作戦は簡単だ。バイトを終えて裏口から出てくるであろう彼女を待ち伏せする。まるで誘拐犯が考えそうな策ではあるが、これなら確実だ。

 問題はおれがきちんと想いを伝えられるかだ。こればかりは神にも頼めない。自分次第だからだ。

 彼女が何時にバイトを終えるのかなんて知りもしないが、三時間でも五時間でも、十二時間だって待てる。

 そう覚悟を決めて裏口にたどり着いた瞬間。スタッフ通用口が開き、彼女が、可愛らしい私服姿で薄汚い裏路地に舞い降りた。

 さっきまで結っていた髪を下ろし、ハンドバッグの持ち手を両手で握る彼女に、おれはなかなか声をかけることができない。このままでは彼女が行ってしまう。

 おれは覚悟を決めた。

「あのっ!」

 震えた〝あのっ!〟を聴いた彼女がゆっくりと振り向く。その彼女の表情はみるみるうちに恐怖で埋め尽くされていった。おれは自分の見た目を思い出した。だらしない格好した金髪のヤンキーだ。

「いやっ、その、怪しい者じゃないんです。ほほほら、さっきカニミソバーガーを勧められた……その、客なんです。じ、じ、実はおれ、あなたに、ひっ、ひっ、一目惚れっ……って、え?」

 彼女にはおれの言葉が通じていないのか? と思わすような、こんなにガチガチに緊張している人間を前にして、さらに恐怖の表情を浮かべる人なんているのだろうか? などと色々頭を回転させていると突然彼女は悲鳴をあげ、おれに背を向け走り去っていった。

 唖然とその背中を涙目でお見送りするおれ。

 裏路地から彼女が消えゆく瞬間、彼女のカバンから何かが落っこちた。なんだろう? と思い落ちた場所まで行くと、そこには赤いお守りが落ちていた。それを拾い上げた瞬間、頭に鈍痛が走った。

「よーっ、凛太ぁ。さっきはかましてくれたなぁ。今日という今日は我慢できねぇ。おれをナメたらどうなるか、思い知らせてやんよぉ」

 頭を抱えてうずくまっているおれのみぞおちに須藤が蹴りを入れた。長身で確実におれよりも重量のある須藤の蹴りは、おれに呼吸の仕方を忘れさせた。

「オメーかぁ、須藤さんに無礼なことしたってガキは。二度と生意気いえねぇ体にしてやんよ。おれたちがな」

 彼女が逃げた理由はおれが原因ではなかったことを知って、少しホッとした。おれの背後にはこんなにも強面な不良が十人もいたのだ。そりゃ悲鳴をあげるのも無理はない。しかしおれが仲間だと思われた可能性もある。まぁどのみち今日、おれは死ぬだろう。もうどうでもよくなった。

 

 退屈な人生だったな……。

 

 ひとしきりタコ殴りにされたおれは目を開くことすらままならなかった。

 須藤の仲間の一人がおれの持ち物を漁りだす。

「んだよ! お前全然金持ってねーじゃねーか。こんなおぼっちゃま高校の制服着てんのに、マジ詐欺だぜこりゃ」

 そう言っておれの腹に蹴りを入れた。

 もう痛みなんて感じなかった。ただの衝撃でしかなかった。

「おい、お前右手に何隠し持ってんだ。よこせよ」

 おれは自分の右手が握っているものが何なのかを考えた。

 そう、これは彼女の、きっととても大切な物である気がした。

「だ、だめだ! これだけは渡せない!」

「あん? テメェ、まだ懲りてねえのか。お前にそんなこと言える権利なんてねぇーんだよ。さっさとよこせ!」

 須藤を除く他の奴らの総攻撃が再び始まった。頭、耳をガードせず、彼女の大切なお守りをヘソのあたりで両手で握る。だんだんと意識が遠のいてきた。しかしこのまま意識を失えば、確実にこのお守りが奴らの手に渡る。それだけは食い止めたかった。

「これだけは……これだけは渡せない。これは……あの娘の大切なものなんだぁ」

 残っていた力全てを使って叫んだ。その声は裏返るを一周半回って低い怒鳴り声になっていた。

「もういい、やめろ。充分だ」

 一人路地の壁に寄りかかってタバコを吸っていた須藤が顔をしかめてそう言った。手下たちはピタリと攻撃をやめ、須藤の顔を見つめる。

「なーんか、飽きちまったぜ。行くぞオメーラ。それにこれ以上やれば死んじまうだろーがっ」

 そう言って、須藤はくるりとおれに背を向け、仲間を引き連れて帰っていった。

 春の夕空がオレンジ色に染まっている。その柔らかな西日が湿った裏路地に射し、踏み潰されたカエルのようなおれを嘲笑う。繁華街の喧騒は昼間ほどではなく、少し時間がゆっくりと流れているようだ。

 おれは己を己自身が恥ずかしくなるほどに高笑いを浴びせていた。

「みじめだな……くっだらねぇ……」

 そう独り言を呟き、お守りを握った右手で腫れた目を覆った。

「おれは何のためにこのお守りを守ったんだよ。ククッ、守ってくれるはずのお守りを守るって、なんかスッゲー矛盾してるよな。結局、おれは何かを守れたのか……?」

 そのとき、裏路地に誰かが入ってくる足音が聞こえた。その足音は徐々に早くなり、おれの側で止まった。

「きっ、君! 大丈夫? さっきの子だよね。君はグループで私を襲うつもりだったんじゃないの? どうして私を呼び止めたの?」

 その場でしゃがみこみ、おれを覗き込む端麗な顔。その顔に見覚えがあった。そう、さっき一目惚れをした彼女だった。おれは力の入らない右手を必死に挙げ、手の中に入っているものを彼女に渡した。

「どうして君がこれを?」

 彼女はおれの右手を両手で握り、そう訊いた。

「ハハッ、君が落としていったから、大切なものだったらきっと悲しむだろうなって思ってさ」

「こんなボロボロになってまで、このお守りを守ってくれたの?」

「うん……。でも今考えたら、お守りを奪っていく不良なんていないよな。やっぱりおれはバカだな」

 おれは夕空を見上げ、腫れた顔でニッコリと笑顔を繕った。すると彼女はくすりと肩を揺らして笑った。カニミソバーガーのときのあの笑顔で。それは風光明媚な景色を見たときのような感動をおれに与えた。心に涼やかな風が吹きつける。ずっとこの笑顔のそばにいたいと切望した。

「悪い……人じゃないんだよね?」

「どーなんだろう。少なくとも君を傷つけて自分のものにしようとはこれっぽっちも思ってないよ」

「ふふっ、そーなんだっ。何だか変わった子だね。私はかすみ。旭かすみ」

「川津凛太……かすみかぁ、綺麗な名前だな。すごく似合ってる」

「ありがとーっ。凛太くん、うちにおいでよ。怪我、消毒してあげる」

「えっ、い、い、いや……そんないきなり……」

 おれは今自分が〝女の子と会話をしている〟ということを思い出し、急激に鼓動が高鳴り出した。

「大丈夫だって! うちには私以外、誰もいないからっ。ほら立って」

 彼女はニッコリと微笑み、手を引っ張っておれを立ち上がらせると、おれの背中にそっと手を添え、足を引きずり歩くおれを支えてくれた。

 彼女と二人きりの密室空間に自分は耐えられるのか? 

 いや、耐えられなかってもいいじゃないか。

 きっと今日から新しい物語が始まる。

 そんな気が……いや、そう確信しているのだから。

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