15センチ隣の幼なじみ

葵依幸

第1話「キッカケ」

 キッカケはたぶんきっと些細なことで。

 でも、だからこそ何かキッカケがなかったとしてもそれはそうなっていたんじゃないかって私は思う。


 神様は気まぐれなのだ。

 奴らはサイコロを振らないどころか関心もない。

 ホイホイホイって足の指先で私たちのことを適当に扱って知らぬ存ぜぬおまえらが悪いとか言ってくる。


 まじファック、いえすにブッダ。あとなんか偶像崇拝ダメな人。


「はぁ……」


 あついなぁー。


 ジメジメした梅雨の終わり。

 窓の外では雨が降り続いていた。


 そろそろ7月に差し掛かり、真夏の暑さも感じられる季節で前髪がおでこにくっついてちょっと鬱陶しい。


 何気ない会話、何気ない挨拶。


 そんなありふれた日常が積み重なっていまが出来ているのだとしたら、やっぱりこれも避けられない日常の一部でしかないのだろう。


 机の上には黒板を写しているだけのノートが広げられている。

 日本史の佐竹はとめどなく歴史を紐解いては垂れ流しにしていて、正直退屈だけどそれももう慣れた。

 


「でー、この時の江戸幕府ではぁー」


 抑揚のないイマイチ締まりきれない話し方は眠気を誘う。

 蒸し蒸しと小雨とはいえまだ窓を開けられない教室の不快指数はマックスだ。

 いつもならパラパラと予習でも復習でもなく、ただの暇つぶしで教科書を捲っているのだけど今日はそれもできない。


「…………」


 気付かれていない、とは思う。

 私の席は教室の一番後ろ、窓側のすみっこだから。

 バレるかもしれないという緊張感が余計に汗を滲ませる。

 パタパタと下敷きをうちわ代わりに仰ぐクラスメイトも少なくなく、私も鞄から取り出したハンドタオルで汗を拭う。


 気持ち悪いーー……。


 夏服もべったり背中にくっついて、5時間目が体育だったのも拍車をかけた。

 水曜の6時間目。

 部活は多分体育館になる。いや、雨やみそうだし外かな……?

 早く終わってくれればいいのに時計の針はちっとも進んでくれていなかった。


「清河? おい、清河、聞いてんのか」

「はっ? はいっ!?」


 ーーやばい、バレた……?!


 野太く呼ばれた自分の名前に思わず背筋を伸ばすと髭ヅラの佐竹が不満そうな顔でこちらを見ていた。ちなみに髭ヅラのヅラはカツラだ。もじゃもじゃ顔の頭皮後退教師。私たちの間で話題になってる。


 正直ヅラなんて暑くないのかなーって思うんだけど今はそんなことどうでもよくて、


「お前なぁ……窓の外に何かあんのか」


 ヅラから汗が滲み出してる佐竹がこちらを呆れた声を上げる。


「あー……雨やみそうだなぁって……?」

「部活か」

「はい……」

「……まぁいい」


 ふん、と鼻で笑って黒板に向き直る。

 どうやらお咎めは済んだらしい。だが、


「あとな、教科書忘れたんなら隣に見せてもらえ」


 私の失態はちゃんとバレていた。


「山本」

「はい」

「見せてやれ」

「……はい」


 黒板に文字を書きながら隣の席の山本亮太に佐竹が告げる。

 私はギギギ、と机が寄せられる音を佐竹の横顔を呆然と見上げ聞いていた。


「ほら」

「う……うん……」


 ずいっと差し出される日本史の教科書。

 江戸幕府がどーのこーのって書かれてて、将軍様の肖像画が申し訳ない程度に差し込まれている。


「んだよ」

「別に……?」


 山本亮太、私の幼馴染だった。


「ん……? どこまで話したっけか」


 グダグダの授業を進める佐竹を笑う男子たち。しかし私の意識は15センチ隣の亮太に引っ張られていた。

 じわじわと汗がにじむ。

 汗の匂いが隣まで届いていないか心配だった。心底梅雨の季節ってウザったい。


「……」


 だから心持ち椅子をひいて窓側に逃げた。

 ギギギ、って引きずる音に亮太がこちらを見る。

 机があるから本当に気持ち程度しか動けないんだけどそれだけでもいい。

 この距離は、近すぎる。


「……?」


 怪訝そうに睨んでくるけどそんな顔も見ていられなかった。

 ドキドキと、柄にもなく心臓が音を立てる。


 こんなことーー、今までなかったのに。そんなふうに思う自分もバカみたいだ。


 全ては昨晩の電話から変わってしまった。

 けど、もしかするとそれは気がついていなかっただけでもっと前から。きっと入学した頃から徐々に掛け違えてきたボタンが大きくズレを生んだっていうか……ほんともう、意味わかんない……。


「はぁ……」


 今度のため息は、自分の膝を見つめて吐き捨てた。

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