第二章⑧

 美律子の家に突入してから四時間後の、午前二時。

 俺たちは、井上一樹の身柄を拘束していた。

 一樹を拘束した場所は、とある市民会館の駐車場。後八時間後、今日の午前十時になればこの市民会館で、ある同人誌の即売会が開かれることになっている。

 その同人誌は、メロディーと歌詞を入力して人間の声を元にした歌声を合成することができる、バーチャルアイドルのものだ。

 一樹が今日、この場所に訪れるであろうことは、一樹の部屋を調べた時から分かっていた。

 一樹のベッドの下に積み上げられていた、同人誌。詰まれた本に汚れがなかったのは、最近詰まれたもの、最近購入したものだからに他ならない。

 本の出所を調べた結果、何冊かは通販ではなく、同人誌即売会でしか売っていない、そこに行かなければ手に入れられないものだった。

 さらに一樹の部屋にあった同人誌が売られている同人誌即売会の日程を調べた結果、一樹と美律子の部屋にあったカレンダーに丸が付けられていた日と全て合致した。

 そのカレンダーには、今日の日付も丸が付けられていたのだ。

 一樹は、カレンダーに丸を付けた日の同人誌即売会には必ず参加している。彼の、オタクの収集癖ならば、ニート狩り部隊に追われていたとしても現れると思っていた。

 現に一樹の身柄を拘束したこの市民会館は、美律子の家から歩いて何とかいける距離にある。一樹が公共交通機関を使わなかった、つまり一樹の実家からそう遠くない場所に身を潜めたのも、今日この日にここで同人誌即売会に参加するためだ。

 だから俺は美律子の家で一樹を取り逃がした時、慌てていなかったのだ。その場で抵抗されて発砲するような事態になるよりは、一樹が訪れる目的地が分かっているならそこで網を構えて待っていたほうがいい。美律子の家と実家が俺たちニート狩り部隊にマークされている可能性がある以上、一樹は直接同人誌即売会の会場である市民会館に来るしかない。

 ここ以外に、もう一樹に行き場所は残っていないのだから。

 そして俺たちが一樹を待ち構えていること一時間。一樹は俺の予想通り姿を現し、お縄に付いたというわけだ。

「頼む! 今日、今日だけでいいんだ! せめて目当てのサークルの同人誌だけでも買わせてくれっ!」

「いいから、乗れっ!」

 俺は手にしたスマホを護送車のバックドアに押し付け、電子錠を開錠した。

 護送車の中には、先客がいる。

 一樹の逃亡に手を貸した中村美律子と、井上和枝だ。二人とも、脱走兵の逃亡幇助で現行犯逮捕した。

 そう、二人とも、だ。

「……美律子、オフクロ」

「一樹……」

「……」

 一樹の問いかけに、美律子は顔を上げた。和枝は顔を伏せ、黙ったまま。

 和枝は三日、いや、既に日付が変わっているので四日前、俺たちに真実を話した。自分が真実だと思っている、本当のことだと思っていることを、俺たちに話したのだ。

 一樹を庇うのが正しいという自分の信じた、和枝にとってあまりにも自分本位な真実。

つまり、俺たちに嘘を付くのが絶対に正しいと、それがあるべき事実何だと、和枝は信じ込んでいたのだ。

「こんなことに、こんな大事になるなんて……」

「大人しくしていてくださいね」

 ようやくポツリとつぶやいた和枝の隣に一樹を座らせ、俺は護送車のバックドアを閉め、施錠した。俺も護送車に乗り込む。

 既に護送車に、運転席には不動、助手席にはアンリが、その後ろの座席に螢樹が座っている。ニートの送迎を行う際、俺は一緒に後ろの座席に座ることにしていた。

 この席順は、事故が発生した場合のことを考えてのことだ。ニートを送迎するための檻は、俺と不動しか開けることができない。そのため、送迎中は開錠できる俺と不動は隣同士に座らないようにしているのだ。

 市民会館に到着する間螢樹とアンリが鬼の形相をしてじゃんけんをしていたようだが、その結果今回助手席に座ることになったのはアンリのようだ。

「出してくれ、不動」

「ほーい」

 不動がエンジンをかけた。護送車にブレードサーバ以外の振動音が響き渡る。

 ゆっくりと車が移動していく中、俺は今回の報告書を作成しようとタブレットの電源を入れた。忘れずに護送車に仕掛けている監視カメラの映像も、一緒に表示させる。これで檻の中の一樹、美律子、和枝の三人を監視することが出来る。

 報告書を書いていると、タブレットにチャットのメッセージが届いたことを知らせるアイコンが現れた。送り主はアンリ。

 タブレットから顔を挙げると、フロントガラス越しに不機嫌そうなアンリと目が合った。そんなに後ろの席が良かったのか……。

 目を落とすと、タブレットに新たなメッセージが表示されている。チャットに新しいユーザが参加したらしい。車内に視線をめぐらせると、どうやら割り込んできたのは螢樹と不動のようだ。

 俺は苦笑いしつつ、チャットのメッセージを確認する。

 ムヘンの嫁:ムヘンはいつ、和枝が今回もワタシたちの突入を一樹に教えると分かったのデスか?

 隊長の花嫁:あ、それ私も知りたいですっ!

 たいちょー:LOVE

 俺は即効でタブレットのチャットアプリを強制終了。アプリのアンインストールを開始、出来ない!

 どうやら不動が俺のタブレットを強制的に遠隔操作しているようだが、護送車の運転が乱れた様子もない。

 それを確認して、俺は報告書を書くことに集中する。俺がチャットに応じなければ、不動が勝手に俺のタブレットに表示されている内容を、螢樹とアンリにリアルタイムで共有するはずだ。


 俺がまず疑問に思ったのは、果たして別れた恋人を匿うような人間はいるのか? ということだ。元カレ、元カノに未練があり、助けを乞われれば手を差し伸べる人もいる。そういう人もいる。それは理解している。

 だがそれが一年、いや半年も付き合っていない、しかもニートである相手を匿うような人はいるだろうか?

 もちろん、匿うと答える人もいるだろう。いてもいいと、俺も思う。だが、そう思う人の数は、多いだろうか? 少ないだろうか?

 俺は、圧倒的に少ないと思う。

 では、前提が間違っていればどうだろう?

 自分の、今の彼氏がニートで、その相手を庇うというのであれば、どうだろう?

 一樹と美律子が、別れていなければ、どうだろう?

 一樹と美律子は別れていなかった。だから、和枝と美律子の関係も切れてはいない。

 つまるところ、女優は二人いたのだ。

 和枝と美律子。

 一樹を、ニートを、自分がいないと何も出来ないと、自分が守ってやらなければならないんだと。

 そんな風に、自分の自尊心のために食い物にしていたのが、二人いたのだ。

 可愛そうなニートを見守る、二人の大根役者(ダブルヒロイン)。

 これが、和枝と美律子が演じていた演目だったのだ。

 和枝が美律子のことを俺たちに話したときの、あの目。

 まだ酔い足りないと訴えていた、あの全身に鳥肌が立つと錯覚したほどの、気持ち悪い目。

 あれはその通り、まだ酔い足りなかったのだ。

 フィナーレを、まだ演じきっていなかったから。

 二人の主演(和枝と美律子)の筋書きでは、悪役(俺たち)の側に生贄(一樹)を差し出すように見せかけ、最後にまんまと裏切り、高笑いを浮かべる算段だったのだろう。

 しかし、和枝から美律子の話を聞いた段階では、和枝が嘘を付いていない可能性もあった。

 酔い足りないのは、一樹が俺たちに連れ去られて完成する、悲劇のクライマックスを演じるのが残っていたからだという可能性もあった。

 だから俺は、保険をかけたのだ。

 美律子の部屋に突入する前日。俺は和枝に、そのことを伝えた。

 本来、この作業は必要ないのだ。

 何故なら、既に一樹のニート狩りは行われている。つまり、既に一樹を特別国家自衛官にする権利は行使済み。だからこそ、一樹は特別国家自衛官として脱走兵扱いとなっているのだ。

 もしそうでなかったとしても、俺たちがニート狩りを開始する前に、和枝へ権利行使の意思確認を行う必要はない。

 俺たちニート狩り部隊が今回意思確認を行うとするなら、隼人さんの方だ。

 何故なら特別国家公務員法は年金を払った人が、年金を払った相手を特別国家自衛官にする権利を持ち、年金を払う義務があるのは世帯主だからだ。一樹は未婚であるため、連帯して年金を納付する義務がある配偶者はいない。

 つまり一樹の年金を払っているのは、井上家の世帯主である隼人さんなのだ。恐らく一樹を特別国家自衛官にすることに決めたのは、隼人さんなのだろう。

 だから、和枝は焦っていたのだ。

 明日になれば、隼人さんが出張に出かけて丁度一週間。明日には一樹を俺たちに差し出そうとした、隼人さんが帰ってきてしまう。

 そうなれば、自分が酔うための酒(一樹)が俺たちに取り上げられてしまう。

 前回のニート狩りでは目の届く範囲、自分の家だったため和枝一人で一樹を逃がすことが出来た。だが、次は自分の目の届く範囲に、酒はない。

 そこで和枝は、飲み友達(共犯)を作ったのだ。一緒に美酒を楽しむための、仲間を。

 和枝は機械に疎いと言っていた。だが流石に、固定電話は使えたようだ。

 一樹の通信履歴を不動に洗ってもらっていると、一樹と美律子がインターネット電話、IPフォンで連絡を取り合っているのが分かった。

 しかし、これがアンリがチャットで聞いてきたように、俺は和枝が一樹に突入を知らせると確信していたわけではない。これだけでは和枝と美律子の関係が切れていない、ということの証明にしかならない。

 だからこその、保険だ。

 そしてその保険は、役に立った。

 突入前に和枝から一報入れるように言われた時、俺は和枝が一樹に俺たちの突入タイミングを漏らすと確信した。

 俺たちが突入する前に不動に頼んでいたのは、無線LANのハッキング。

 美律子の部屋に有線のネット環境がないことは、不動産屋への根回しをした時点で判明していた。しかし美律子は和枝とIPフォンで連絡を取っている。

 つまり、ネット環境がある。

 そう。無線LANの環境が。

 和枝が電話する相手が分かっているなら、そこで網を構えて待っているほうがいい。

 無線LANの通信は盗聴対策として暗号化されているが、逆を言えば復号化されてしまえば盗聴し放題。無線LANの暗号化技術には脆弱性が見つかっているものもあり別の暗号方式を使うように言われているのだが、美律子はそれを知らなかったのか、復号化は一瞬で完了した。

 そして復号化が終われば、後は聞き耳を立てていればいい。そして、それは聞こえてきた。

 和枝が、俺たちの突入を知らせる声が、リアルタイムで。

 つまり、現行犯だ。

 現行犯であれば、逮捕状は必要ない。俺たちだけで逮捕が出来る。

 一樹が市民会館にやってくることは分かっていたので、美律子を現行犯逮捕した後、俺たちは和枝の身柄を確保することを優先したのだ。


 報告書の記載を終えて俺がタブレットから顔を上げると、三人は納得してくれたようだった。

 それを見て、俺は報告書を書き直し始めた。流石にこんな砕けた文章で、報告書は提出できない。

 俺は報告書を書き直す前に、メモを作成。まぁ、これぐらいで足りるだろう。

 メモの内容は、螢樹にいくつかの同人誌を買ってこさせるという、つまりオタク嫌いをなおせという任務だった。

 今回は発砲許可を俺に求めたが、このままでは何かの拍子に螢樹は引き金を引きかねない。

 好きになれとは言わないが、俺の心労を減らす努力はしてもらいたい。

 俺はメモをメールで螢樹に送信した。

 メールを受信し、内容を確認した螢樹が不満げに、俺を見ていた。


 こうして、大根役者(和枝と美律子)の舞台は幕を下ろした。

 だが、もし脚本通りにことが運び、俺たちから一樹を逃がしきったとして、その後彼女たちは一体一樹をどうするつもりだったのだろう?

 俺には彼女たちが、自分が与える側なんだという、暗く、恐ろしいほど粘ついた優越感に浸るために一樹を利用していたようにしか見えなかった。

 でも、彼女たちは、本当は精一杯一樹に優しくしているつもりだったのだろうか?

 自分たちが守るからと。

 お前は何もしなくてもいいんだと。

 それは、本当に優しさなのだろうか?

 それは、ただ甘いだけなのではないだろうか?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る