第二章⑥

 三日後の午後十時。

 俺たちは、一樹が匿われていると思われる場所へと向かっていた。

 向かっているのは、和枝が話していた、一樹の元カノの家だ。不動の解析の結果から、ほぼ間違いないだろう。和枝の真実は、事実でもあったようだ。

 目的地のマンションは八階建てで、元カノの部屋は二階。そのマンションの駐車場に、不動は護送車を止めた。護送車のタイヤが止まるまで、駐車場に敷き詰められている砂利を、何度も噛み砕く音が聞こえた。

 俺はスマホを手に取り、電話をかけた。

「もしもし。関川です」

『関川さん! お世話になっております。井上です』

 俺が電話をかけた相手は、和枝だ。

 特別国家公務員法は年金を払った人が、年金を払った相手を特別国家自衛官にする権利を持つ。そのため、ニート狩りを行う際その決定権を持つニートの年金を支払った、ニートの両親に対して意思確認を行う必要があった。

 普通この意思確認はニートは外に出ることがないため、ニートが住んでいる家でニート狩り直前に行われる。

 だが今回一樹はその家から脱走しており、両親の住んでいる家にはいない。そこで昨日、俺は今日の作戦について説明をしたのだ。そこで作戦決行前に一報入れるよう、和枝から頼まれていた。

「では、一樹さんは必ず我々が責任を持って『送迎』いたしますので」

『よろしく、お願いいたします』

 和枝との電話を切り、俺は小さくため息を吐いた。さて、どうなることやら。

「隊長。そろそろ時間です」

 螢樹の言葉に、俺は頷いた。

「よし。いつも通り、不動はバックアップ。俺たちで一樹の送迎に向かう」

「了解!」

「りょーかい」

「了解デス!」

 三人の声と共に、不動が車の明かりを落とした。

 代わりに車内に広がったのは、翠色の光。光の正体は、護送車に設置してあるブレードサーバのランプだ。正常稼動を示すその色をより輝かせようとしているかのように、サーバの排熱ファンも唸りを上げている。

 それを見届けてから俺は、護送車から音も立てずに零れ落ちた。俺に螢樹とアンリも続く。開いた扉から月光が入り込もうとするが、ぼうっ、と翠色の壁がそれを阻んでいた。

 足音を立てないように砂利を踏みつつ、俺たちは各々の装備を手にして駐車場からマンションへと侵入していく。

 防犯のためか駐車場からマンションへ入る扉には、鍵がかかっていた。だが、それは既に想定済み。このマンションを管理している不動産屋への根回しは、既に済ませている。

 事前に入手していたマスターキーを使い、俺は風が隙間をすり抜けるように門戸を開いた。

「不動。あれ、頼むぞ」

『おっけー』

 インカム越しに不動に一声かけ、俺たちは蛇が壁を伝うように、一気に二階へと登りつめた。そしてある部屋の前で、ぴたりと足を止める。二階に上った階段から、右側二つ目の部屋。

 ここが、一樹がいると思われる部屋だ。

 部屋の持ち主の名前は、中村 美律子(なかむら みつこ)。二十三歳。専門学校生。

 両親からの仕送りを受けつつ音楽学校に通う傍らプロの歌手を目指しており、自分の歌った音源を動画サイトなどにアップロードしているそうだ。一樹と知り合ったのも、そのサイト経由のようだ。

 螢樹とアンリが俺に視線を送る。その視線を受けて、俺は螢樹にマスターキーを放物線を描くようにして放り投げた。

 螢樹がそれを両手でつかむのを見届けながら、俺はインカムに話しかける。

「不動。配置に付いた。突入までのカウントダウンを、五秒から開始してくれ」

『あいよー。じゃーいくね? ごー』

 扉の入口に、俺たちはしゃがんだ。

 部屋に入る方から見て右側にアンリ、左側に螢樹、螢樹から少し離れて俺の布陣。丁度ニート狩り法が施行された日に武司を狩った、あの布陣だ。

 そこでの役割はここでも同じで、螢樹が扉の取っ手に手をかけ、俺はゴム弾入りの小銃を握り締め、突入のタイミングを見計らっている。違うのは、アンリの役割だ。

『よーん』

 アンリは今、銃ではなく巨大なペンチを手にしている。

『さーん』

 今回は家の中にいるニートの部屋に突入するのではない。家の扉にチェーンロックがかけられていることが想定される。もしロックがかけられていた場合、アンリのペンチでそれを切断するのだ。

『にー』

 もし切断することになれば、美律子から色々言われるかもしれない。

『いーち』

 だが美律子は脱走兵を匿っているのだ。こちらとしては、文句を言われる道理はない。

『ぜーろ』

「突入っ!」

 俺の怒号と共に、螢樹がマスターキーで扉を開錠、開閉する。

 引き戸となっているその扉が一瞬開き、金属同士がぶつかりあった時の、低い重低音が聞こえた。チェーンロックがかかっていたのだ。だがそのチェーンは、後一秒後にただの鉄屑となる運命にあった。

 チェーンロックが伸びきった瞬間、既にアンリがペンチを扉の隙間に入れている。

「っっ!」

 アンリが歯を食いしばり、ペンチに力を込めた。

 肺から搾り出したような空気がその口から漏れ出した瞬間、チェーンロックは金属音の断末魔を上げ、鍵としての役目を果たせないまま無残にも惨殺された。

「隊長!」

 螢樹の叫びを聞く前に、俺は既に美律子の家へと侵入していた。螢樹はアンリがチェーンロックを切断する前から今まで、扉を開ける力を緩めていなかったのだ。

 鎖(チェーンロック)から解き放たれた扉は螢樹の導きに従い、俺たちの進むべき道が開かれた。その道を俺は、チェーンロックの悔しそうな金切り声を耳元で聞きながら走り抜けていく。

ここまでくれば、もはや俺たちの存在を隠す必要はもうどこにもない。

 荒々しい足音を立てながら、俺は土足で部屋を走り続ける。目指している場所は、扉が開け放たれ、部屋の光がこぼれだしている、あの部屋だ。

「動くな!」

「ダメっ!」

 銃を構え、部屋に転がり込む勢いで突入した俺が見たのは、何かを庇うように両手を広げて俺の前に立ちふさがる女性。

 恐らく、彼女が美律子なのだろう。淡い桃色のリムレスフレーム越しに、少しつり目の勝気な瞳が、俺を見据えていた。

 そして美律子が庇っている相手、一樹は、今まさにベランダから飛び降りようとしているところだった。

「どいてください!」

「嫌です!」

 俺を部屋に入れまいと、美律子が抱きついてくる。舌打ちをしながら、俺は美律子に押されるまま後ろに下がる。だが、ただ後ろに下がったのではない。抱きついてきた美律子を引きずり、美律子も部屋から遠ざける。

 部屋の妨害をする美律子は排除できたが、俺は美律子に囚われ、身動きが取れない。

 だが、その心配は無用だ。すぐに頼もしい二人の部下がやってくるからだ。

「隊長! 何やってるんですかっ!」

「ムヘン! また新しいオンナに手を出しテッ!」

「いいから一樹を追え!」

 俺の罵声を浴びながら、螢樹とアンリは部屋の中へと飛び込んでいく。

 その後を追おうとする美律子の腕を、俺はつかみ、その場に留まらせた。

「放してっ!」

「中村美律子さんですね?」

「嫌っ! 一樹!」

 抵抗しながら部屋に入ろうとする美律子に引きずられるように、俺も彼女と共に部屋へと入った。無論、美律子の腕は放していない。

 部屋に入ると、螢樹とアンリがベランダに出ており、二人とも同じ方向を向いていた。きっと螢樹が突き出した拳銃の先に、一樹がいるのだろう。

 銃口はベランダの下を向いており、一樹が既にベランダから飛び降り、逃亡したようだ。

「隊長、発砲の許可をっ!」

 それを聞いて、美律子が息をのんだのがわかった。螢樹はオタクを撃つことに、ためらいがなさ過ぎる。

 螢樹の言葉に、俺は首を振った。

「ダメだ。発砲は許可できない」

「でもっ!」

「これ以上騒ぎになるのはまずい。アンリも、手すりから降りろ。追う必要はない」

 ニート狩りの風当たりが強まっている中発砲すれば、よりニート狩りへの批判は強まることになる。何より今発砲してしまえば、一樹を狩るのに失敗したことが、ニート狩りが失敗したことを隠し通すのが難しくなる。

 今のところニート狩りが失敗したことを知っているのは、逃げ出した本人である一樹、一樹の両親、そして美律子だけだ。このマンションを管理している不動産屋にはただのニート狩りだと説明しており、一樹の件は詳しく説明していない。自分たちの不手際まで、わざわざ周知する必要はないのだろう。

 螢樹は自分の嫌いなオタクを撃てなかったことが不満なのか、しぶしぶといった感じで銃を下ろした。アンリも素直にベランダから部屋へ戻ってくる。

「逃がしてしまいマシタね」

「ここで一樹の身柄を押さえれれば、それが一番良かったんだがな」

 だが、慌てる必要はない。一樹が今どこに向かっているのか、その見当は付いている。そのために、今日まで待ったのだから。

「……ちょっと、さっきから何なのよあんたたちはっ!」

 ここで、美律子が声を荒げた。螢樹が発砲の許可を俺に求めた時から固まっていたが、一樹が逃げ切れたと分かり、強気になったのだろう。

「さっきから聞いていれば、人権無視もはなはだしいわっ! それにアンタ、いつまで私の手を握っているつもり? 痛いから早く放しなさい。セクハラで訴えるわよっ!」

 美律子が俺の腕を振り払い、威嚇するように俺たちを見回した。

「アンタたち、自衛隊なんでしょ? 無垢な一般人相手にこんなことして、ただで済むと思っているわけっ!」

 美律子の言う通り、ただの一般人の部屋に無断で自衛隊員が入り込んで言い訳がない。不法侵入で訴えられれば、その隊員は一発でクビ。ひょっとしたら、実刑もありえるかもしれない。

 だというのに、俺は美律子の言い分を無視。部屋を眺め、目的のものを発見する。

「ムヘンの予想通りデスね」

「ああ」

「ちょっとアンタたちっ! 何無視してるの? ホントに訴えるわよっ!」

 自分が正しい主張をしていると思っている美律子は、俺たちに相手にされないことに激昂した。

 その様子は、まるで必死に俺たちに食らいつき、相手をしてもらおうとしているように見える。美律子からすれば、俺たちを少しでもここに留まらせればその分一樹の逃亡時間を稼げる、という思惑があるのかもしれない。

 そんな彼女に、螢樹がこんな一言を口にした。


「中村美律子さん。あなたを、井上一樹特別国家自衛官逃亡幇助の罪で、逮捕します」


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