第一章

『あと、じゅーごびょー』

 インカムから聞こえてきた声に答えるように俺、関川 無辺(せきかわ むへん)は頷いた。

 今から十五秒経過すると、あることが起こる。それを確認するためにも、俺はここにいる部下に視線を送った。

 俺の視線に気が付き、二人の部下が先ほど俺がインカムの声に答えたように頷きを返してくれる。二人とも、女性の隊員だ。

 緊張した面持ちで頷いたのは、福留 螢樹(ふくどめ けいじゅ)。階級は四曹。赤みがかった銅色の髪とくりっとした瞳の整った顔立ちをした、日本人だ。

 そんな彼女とは対照的に窓際にしゃがんでいるもう一人の部下、アンリ・ゴメス三士の表情は碧眼に緊張感をたたえながらも、微笑を浮かべている。

 今年の初めに訓練所から俺の部隊に配属となった螢樹とは違い、アンリは俺の下で一年以上も一緒に任務をこなしている。階級は螢樹より下だが、アンリの方が実戦経験が豊富なため、余裕があるのだ。

窓から差し込む優しい月明かりが、アンリのフランス人形のように白い肌を照らしていた。アンリはアメリカ人とロシア人のハーフなので、ひょっとしたら本人はフランス人形と例えられるのを嫌がるかもしれない。

 月光が照らしているのは、アンリの白い肌だけではない。さらさら揺れるアンリの金髪と、その金髪が流れ落ちているヘルメットと、左耳に付けたインカムも、月に照らされていた。

 アンリは黒玉色のヘルメットを被り、同じような色をしたライフジャケットを着込んでいる。そのライフジャケットの左胸には白色で『特別国家公務員法周知・送迎隊』の文字。安全装置を外し、誤って引き金を引かないように人差し指をまっすぐに伸ばしながら、アンリは小銃を構えていた。

 俺と螢樹も、同じような装備をしている。俺だけ違う点として、左腕に俺が部隊の隊長であることを示す、指揮する部隊番号『第八』の文字が書かれた腕章をしていた。

 そんな物騒な格好をした俺たちは、ドアの閉められたある部屋の前の廊下で、息を殺しながら闇に溶けるようにして、十五秒が過ぎるのを待っている。

 俺たちは今、ある建物の二階にいた。

 建物は日本のどこにでも建っていそうな二階建ての一軒家。それでも特徴を上げるとするなら、俺はこの家に上げてもらった時に見えた、庭に植えてある一本の桜の樹を上げる。決して幹の太く、立派な桜ではないのだが、倒れないようにしっかりと根を張っている。この家の息子さんの誕生祝にと、ご両親が庭に植えられたそうだ。

 しかし、植えられた桜の樹は花をつけていなかった。それもそのはず、後十五秒経てば日付が変わり、五月になる。ゴールデンウィーク中盤では、桜の花は既に散っている。桜の樹は散った桜の代わりに、夏の日差しを目一杯浴びようと、青々とした葉を伸ばしていた。

 十五秒後に、日付が変わる。日付が変わる、午前零時。

 その時間は、俺たちがこれから行う作戦開始時間だ。

『作戦開始まで、あとじゅーびょー』

 インカム越しに、もう一人の部下である立浪 不動(たつなみ ふどう)四士の声が聞こえる。

 相変わらずの間延びした口調に、不動のぼさぼさの長髪と、ずれた眼鏡姿が俺の脳裏に浮かんだ。「不動さんも女の子なんですから、身だしなみぐらい気を使ってくださいよっ!」と、螢樹がいつも怒っている。

 その不動は俺たちがいる家の外に止めてある、護送車の中にいる。俺たちの作戦内容を考えると、不動を現場に出すよりも車に残ってもらった方が都合がいいのだ。

 俺たちの任務は、ある人物を無事目的地に送り届けること。つまり、送迎だ。そしてその送迎する対象は、俺たちが今いる、この閉ざされたドアの向こうにいる。

 送迎という任務の性質上、送迎対象を乗せる車はいつでも動かせるように準備しておいた方がいい。加えて不動は情報処理の能力が高い。そのため護送車に残り、俺たちを支援するための情報収集も行ってもらっているのだ。

 俺たちの送迎対象がこの部屋にいることを事前に確認したのも、不動だ。もし突然対象が部屋の外に出ようとした場合は、不動がすぐに知らせる手筈となっている。

作戦開始のカウントダウンを隊長の俺ではなく不動が行っているのも、そのためだ。送迎対象との接触は、日付が変わった後でなければ、この作戦は成り立たない。

 日付が変わり、後十秒でやってくる五月一日。

 この日は、ある法律の施行日でもある。

 国会で可決、成立した法律は、その内容を国民が知るために『公布』される。そして公布されてから二十日が経過すると、その法律の効力が発揮される。つまり、法律が『施行』されるのだ。

『あと、ごびょー』

 インカムから不動の声が聞こえ、作戦開始への(日付の変わる)カウントダウンが始まった。

『ごー』

 アンリが俺から見て、ドアノブが付いているドアの右側に身を寄せた。うつむいた顔はヘルメットの影に隠れ、月明かりも今のアンリの表情を暴くことは出来ない。

『よーん』

 螢樹はアンリとは反対に、ドアの左側に身を寄せる。緊張がまだ解けていないのか、銃から左手を離し、瞳を閉じて、こぶしを握り締めた。

『さーん』

 螢樹は両の瞼を開くと、そのままそっと、ドアノブに手を伸ばす。

『にー』

 アンリが顔を上げた。再度月に照らされたその表情は、戦に赴く戦乙女。先ほどまで浮かんでいた微笑は、月に照らされて消えていた。

『いーち』

 俺も来るべきその瞬間のために、軽く息を吸い込んだ。

 そして。

『ぜーろ』

 日付が、変わった。

「突入!」

 俺の叫び声に瞬時に反応した螢樹が、ドアを勢いよく開け放った。

 このドアは部屋の内側に開かず、俺たちのいる廊下側に開く作りとなっていた。そのためドアは螢樹側に開き、螢樹は自分の開いたドアが邪魔ですぐに部屋の中に入ることが出来ない。

 だから、

「うおおおぉぉぉおぉぉぉぉおお!」

 その代わりとでも言うのかのように、螢樹の反対側に控えていたアンリが雄たけびを上げながら部屋の中へと突き進んだ。螢樹がドアを既に開けているため、アンリが部屋の中に入るのを邪魔する障害は、何もない。

 その背中を、俺、螢樹の順で追う。

 アンリと共になだれ込んだ部屋の中に、一人の男がいた。

 小太りなその男は、着替えていないのだろう、よれよれの服を着て、オフィスチェアーに座ったまま、突然部屋に乱入してきた俺たちをただ唖然呆然と見つめていた。

「両手に手を当てて、うつぶせになってクダサイ!」

「な、何? 何なの?」

 銃を構えたアンリに、男が怯えている。

「いいから、ハヤク!」

 自分の言うことを聞かない男に苛立ったのか、アンリは俺に目配せすると銃をしまう。アンリの目配せの意味を読み取り、俺はアンリの代わりに男に見せ付けるように銃口を向けた。

「ひっ! 撃た、撃たないでっ!」

 両脇を閉め、男は震えた両手を上げた。アンリはその震える手をつかむと、強引に椅子から引き摺り下ろした。

 そこにすかさず、螢樹が俺の背後から飛び出して男の腕を捻り上げる。

「送迎対象、確保しました!」

「よし。被害は?」

「ありません」

「ワタシもデース!」

 返って来た答えに、俺は頷いた。

 アンリが再び銃を取り出し、男に見えるように突きつけたのを見て、俺は人知れず安堵のため息をついた。

 本物の銃ではないとはいえ、コイツを使う機会がなくてよかった……。

 俺たちが使っている銃は、本物ではない。実弾の代わりにゴム弾が出る、殺傷能力のないものだ。

 だが、当たって痛くないわけがない。当たり所が悪ければ、骨も折れる。なるべく傷つけないように、送迎対象を確保したかった。そのためわざわざ俺もアンリも、威嚇になるようにわざと見せ付けるように男に銃を向けていたのだ。

 自分の銃をしまいながら、俺は部屋を見渡した。

カーテンが閉め切られた部屋は、まだ五月になったばかりだというのに、うっすらと冷房がかかっており肌寒い。

 そんな部屋の壁一面には、美少女ゲームのポスターが所狭しと貼られている。入口から見て右側にはベットが置いてあり、その上には蛍光色のような髪の色をした女の子が描かれた、表は半裸、裏は全裸の抱き枕が二つ置かれていた。左側には棚が置かれており、棚の上段にはやけに露出度の高いフィギュアが並び、中段にはマンガとライトノベルが詰め込まれ、下段にはアニメのDVDとブルーレイ、そして美少女ゲームの箱が所狭しと並べられている。

 そのオタクの夢が詰まった棚の奥には、机が置いてある。

 机の上には何に使うのか、不必要にデカいディスプレイが置かれており、あるネットの掲示板が表示されていた。そこに表示されている内容を読み、俺は顔をしかめた。

 机の下には見た目重視のごつい黒色のタワーケースが置かれ、青色に光を放つファンの音が聞こえてくる。男が使っているデスクトップPCだ。そのPCの持ち主は、今は螢樹に組み伏せられ、倒れたオフィスチェアーの隣で横になっている。

 この男が、俺たちの任務である送迎の対象だ。

「な、なんだよ。一体何なんだよ、お前らっ、ぁああぁぁあああ!」

 送迎対象の男は、震えた声で俺たちに問いかけた。後半の叫び声は、螢樹が腕を強く捻ったため出た呻き声だ。

 俺はその様子を見ながら、送迎対象のプロフィールを思い出す。

 男の名前は山﨑 武司(やまざき たけし)。二十七歳。誕生日は、十一月七日。

 大学までは順調に進学し、留年することなく無事卒業している。だが、不況の煽りを受けて就職活動に失敗。そのまま引きこもり、ニートとなった。

 アンリがしゃがみこみ、微笑みながら自分の顔を武司に近づけ、話しかける。

「今から、アナタの身元確認を行いマス。正直に、話してくださいネ!」

「は、はひっ!」

 美人の顔が眼前に迫ってくるのに、嫌悪感を抱く男はいないだろう。だが武司はアンリの整った顔よりも、アンリと自分の顔の間にある銃口の方が気になるのか、引きつった顔をしている。

「What's your name?」

「やま、あ、あああいあむ、たけ、し、やまざき……」

 しどろもどろになりながらも、何とか武司はアンリの質問に答えている。何故アンリが英語で質問したのかは謎だが。

「フム。ムヘン、どうやら本人で間違いないようデス!」

 アンリが武司に銃口を向けながら、俺に向かって左手の親指を立てた。それに俺は頷き返し、武司を見下ろした。

アンリが武司に名前を尋ねたのは、単に対象を送迎する前に名前を確認する、というプロセスをなぞった事務的なものに過ぎない。

 この男が山﨑武司であることは不動の調査でも明らかだし、何より武司のご両親にも確認を取っている。

「ちょっと、アンリさん! 作戦行動中は、隊長のことは『隊長』って呼ぶようにと言っているじゃないですかっ!」

 螢樹が作戦行動中にもかかわらず、上官への礼を失したアンリに噛み付いた。武司の腕を捻りながら叫んだため、螢樹の下にいる武司が呻く。

「アレアレ? ケイジュ、ワタシがムヘンと仲良くしているからって、焼いてるのデスか?」

「ちちちちち、違いますひょっ!」

「……ケイジュ、顔真っ赤デスよ?」

「うぅ~っ! もうっ、アンリさんっ!」

「お前ら、いい加減にしろっ! まだ作戦行動中だぞ!」

 俺の一喝で、螢樹とアンリが黙り込む。

「まったく。螢樹(ほたるぎ)もアンリも、対象を確保したからって、気を緩めすぎだ!」

「……スミマセン」

「も、申し訳ありません……。って、隊長! 私の名前は、け・い・じゅ・で・すっ!」

 あ、しまった。つい癖でからかってしまった。

 上層部は訓練所で優秀な成績を収めた螢樹に現場の経験を積ませ、ゆくゆくは幹部にと考えているようだ。が、その上層部から『問題児』ばかり集められていると揶揄されている俺の部隊に入ったのが螢樹にとっては運の尽き。

螢樹は俺と同じ四曹だが、現場経験は俺やアンリの方が上。新しく入った真面目な『後輩』に、俺もアンリも、もちろん不動も思わずからかってしまう。

 俺は誤魔化すように、咳払いをした。

「ともかく、手錠をかけたら車に連れて行け。不動が待っている」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 俺の言葉に反応して起き上がろうとした武司を、螢樹が武司の背中から自分の体重をかけることで、それを押しとどめた。アンリも銃を武司の顔に直接押し当てる。俺もしまっていた銃を抜いていた。多少ふざけていても、やることはやるのだ。

 俺は銃口を武司に向けながら、問いかけた。

「どうした?」

「い、今俺を連れて行くって……」

「ああ、車を用意してある。お前を外に連れ出して、働かせるためにな」

「は、働く? 外に出るのも嫌なのに、何で働かないとならないんだよっ!」

 俺の話を聞いた武司の声が、裏返る。

「何故って、ちゃっんと憲法にも書かれているだろ。中学校で習わなかったか?」

 やれやれと俺は頭を軽く振り、話を続ける。

「日本国憲法第二十七条にある、勤労の義務。日本国民の三大義務の一つだ。お前が日本人である以上、お前は働かなくてはならない」

 それを聞いた武司は、鬼の首を取ったように笑った。

「確かに、日本の憲法には労働の義務がある。だけど、その憲法を日本国民が守る義務はないんだよ!」

「へぇ。よく知っているな」

「俺のように訓練されたニートには、常識だ! 働きたくないからなっ!」

 武司の発言の中に威張れるようなことは何もないのだが、日本国憲法を日本国民が守る義務がないというのは本当だ。

 日本国憲法を守らなければならない憲法尊重擁護の義務については、日本国憲法第九十九条にこう定められている。


『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』


 国民という言葉は、たったの一度も登場していない。つまり憲法九十九条に定められていない日本国民は憲法を守らなかったからと言って咎められることはなく、裁判所で違憲か合憲かの判断がされることもない。

 一瞬感心しかけたが、部屋に置かれたディスプレイに『何故ニートは働かなければならないのか?』というスレッドが表示され、さっき武司が話した内容がそのまま書かれていたことを思い出した。どうやら俺たちが突入する前に、偶然ネットで憲法の知識を得ていたようだ。

「だから、俺には働く義務なんてない! 俺は働かなくていいんだっ!」

「なるほど。確かにそうだったかもしれないな」

「そうだろ! 大方お前らはババァが頼んだ、ニートの社会復帰を支援するとか謳っている怪しい自己啓発団体なんだろ? 俺には必要ない! この家で、この部屋で、死ぬまで引きこもって暮らすんだ! 死んでも働いてたまるかっ!」

「確かに、お前の言う通りだ」

 俺たちが武司を無理やり外に連れ出し、無理やり働かせる。そんな権利は持っていない。

「昨日までは、な」

「……え?」

「もうその言い訳は通じなくなったんだよ。ニートは、少なくともお前は働かなくてはならなくなった」

 呆けた顔で俺を見上げる武司の隙を付いて、螢樹が武司の後ろ手に手錠をかける。

「何、言ってるんだ。適当なこと言うなよ!」

「こら、暴れるんじゃない!」

「大人しくしてクダサイ!」

「嘘だっ! 俺が働かないといけないなんて、デタラメだっ!」

 螢樹が、俺の話を聞いた武司を暴れないように押さえつけられながらも無理やり立ち上がらせた。アンリは銃をしまい、螢樹の補佐をするために武司のそばに近寄る。

「デタラメなんかじゃない。今日、五月一日は、特別国家公務員法が施行される日なんだよ」

「特別、何?」

 どうやら武司には聞きなれない法律だったようだ。訓練されたニートでも、これはノーマークだったようだ。

「それが何だって言うんだ! その法律が施行されたからって、俺が働かないといけない理由にはならないだろ?」

「なるんだよ、それが」

「え?」

 武司のディスプレイ上に表示されていたスレッドが自動更新され、丁度特別国家公務員法の話題になっていた。

 あと少し俺たちの突入が遅れていたら、武司にこの内容を見られていたかもしれない。もし見られていたら、きっと今以上の抵抗をされていただろう。そうなると、今俺が構えているこの銃も使う必要があったかもしれない。危なかった。

 ディスプレイには特別国家公務員法の概要と共に、次のようなスレが付いた。


『ニートが公務員になったら、憲法守らないといけないんじゃね?』


そう。

「お前は今日、たった今から、公務員になった。つまり、憲法を守る義務が発生したんだよ」

「は、はぁああぁぁぁああ? そんな馬鹿な! 俺は公務員になった覚えなんてないぞっ!」

 お前は、そうなんだろうな。お前の中では、そんなことになったなんて、そんなことになっているだなんて夢にも思わないだろうな。

「さっき言っただろ? 特別国家公務員法が今日から施行された、と」

「それがどうして、俺が公務員になることにつながるんだっ!」

 ディスプレイに表示された法律の内容を、俺は武司に伝えた。

 先ほど、武司は国民は憲法を守る義務はないと言った。それは正しい。

 それでも国民は、法律を守る義務があるのだ。これは、憲法で定められている。

 国民は憲法を守る義務がないのに、憲法に定められている法律を守る義務は、国民にある。

 一見矛盾しているようだが、そうではない。

 そもそも日本国憲法には国民の憲法遵守義務がないため、国民から、国や憲法九十九条に定められた者に対して自分たちを律しろと命令書を突き出す形式を取っている。

 つまり、日本国民の方から、国に自分たちを縛れと言っているのだ。

 税金について例を挙げると、国民に税金を納めさせろと、国民の方から国に命令し、それを実行するために国が法律を定め、国民に税金を納めさせているのだ。

 憲法に定められている日本国民の三大義務の一つ。日本国憲法第二十七条の、勤労の義務も同じだ。二十七条には、すべて国民は勤労の義務を負うと、しっかりと『国民』の文字が入っている。

 これは国民自ら、自分たちに労働させろと、憲法を通して日本という国に命令しているのだ。

 そして憲法には九十九条、憲法尊重擁護の義務がある。

 憲法自体が、日本国民から日本国に自分たちを縛るように命令している形になっているので、九十九条に定められている者は、日本国民から日本国に命令している憲法の内容を日本国民に守らせなければならない。そうしなければ、九十九条に記載のある者全てが違憲となってしまう。

 そこで憲法を国民に守らせるために法律が定められ、国民を縛っているのだ。日本国民が望んだ通りに。

 日本人は自分たちで国に自分を縛って欲しいとねだる、全員ドM民族なのだ。

 そして今日、そのドMたちを縛るために、新たな鎖(法律)が増えた。

 その鎖には、こう記載されている。

『国民年金保険料を納めた者は、国民年金保険料を納める対象である第一号被保険者に対して特別国家公務員である、特別国家自衛官の任に就けさせる選択権が与えられる』

『特別国家公務員の職は、国家公務員の特別職と同等の職であるものとする』

 つまり。

「今日から年金を払った国民は、公務員になる権利が与えられる。そしてお前は、今日からめでたく公務員となった」

 今日から武司は、ただ法律だけを守らなくてはならない国民ではなくなった。

 日本国憲法第九十九条に記載のある、憲法を守らなくてはならない公務員になった。

 それはつまり。

「今日から、アナタは問答無用で日本国憲法第二十七条の、勤労の義務を守らなくてはならないのデス!」

 アンリが、俺の言おうとした台詞を引き継いだ。

「そんな、嘘だっ!」

「嘘ではありません。その証拠に、私たちがあなたの元にこうしてやってきたんです」

 螢樹が、武司を睥睨しながらそう言い放つ。

「というわけで、今日から君は俺たち公務員のお仲間だ。俺たちの任務はそのお仲間の『送迎』。お前を、特別国家自衛官の訓練施設まで送り届けることだ」

「さ、行きましょう」

 俺の言葉に促されるように、螢樹が武司を部屋の外に連れ出そうとする。それに反発して武司は逃げ出そうともがくが、螢樹とアンリに挟まれ動けない。

「いい加減にしてくださいっ! まったく、これだからオタクはっ……!」

 螢樹が苛立ちを隠そうともせず、武司をつかんでいない右手で銃に手をかけた。まずい。

 螢樹は確かに、上層部が目をかけるほど優秀だ。だが、螢樹には一つ、苦手な、いや、嫌いなものがあった。

 それは、オタクだ。螢樹は、大のオタク嫌いなのだ。

 このままでは螢樹が発砲しかねないと思った俺は、とっさに武司に呼びかけた。

「抵抗するのはやめてくれ! 特別国家公務員である特別国家自衛官は普通の公務員である特別職の、自衛官と同等の職になる。逃げ出せば、脱走兵扱いになるぞっ!」

 その俺の言葉に、武司の顔は凍りつく。脱走兵という言葉に、武司はどこにも逃げられないと悟ったように、暴れるのをやめた。

 その様子を見て、俺は螢樹を睨み付けた。

 一瞬不服そうな表情を見せたが、それでもしぶしぶ、螢樹は銃から手を離した。俺が睨み付けた意図は、汲み取ってもらえたようだ。

 何とか一息つきながら、俺は話を続ける。

「まぁ、逃げてニートを続けようとしても、勤労の義務を怠っているから違憲になる。諦めるんだな」

「そんなっ! 俺は年金なんて払った覚えは……」

 それでもなお俺に反論しようと口を開いた武司は、話の途中で口を閉ざし、顔を伏せた。話している途中に、この法律のくどい言い回しに込められた意味に気が付いたようだ。

 このくどさは、別に法律文章特有のものではない。

「『国民年金保険料を納めた者は、国民年金保険料を納める対象である第一号被保険者に対して特別国家公務員である、特別国家自衛官の任に就けさせる選択権が与えられる』? じ、じゃあ!」

「そうだ。この法律のキモは、『年金を納めた人』が、年金を納めた相手を特別国家自衛官にする権利を得ることにある」

 つまり、国民年金保険料を納めた者(親)が、国民年金保険料を納める対象である第一号被保険者(ニート)に対して特別国家自衛官の任に就けさせる選択権が与えられるのだ。

 はっと顔を上げた武司は、先ほど落ち着いたのが嘘であるかのように、鬼の形相になって叫んだ。

「ババァ共ッ! 俺を売りやがったなっ!」

 憤怒の表情をした武司の視線の先は、俺たちがこの部屋に入ってきたドアの先。螢樹が開け放ち、そのままとなっていたそこには、俺たちをこの家に招き入れてくれた武司のご両親の姿があった。確か父親の名前は山﨑 大貴(やまざき たいき)、母親の名前は山﨑 菜々(やまざき なな)と言ったはずだ。

「そう怒るな。お前のご両親は法律に従い、その義務を全うしたに過ぎないのだから」

 国民年金法には年金を納付することを定めているだけではなく、年金を納めれない武司のような収入がない人の年金は、世帯主や配偶者も連帯して年金を納付する義務を課している。

 武司の両親はこの法律に従い、収入のない自分の息子の変わりに年金を納めたのだ。そして、自分の息子を特別国家自衛官にさせる権利を得、その権利を行使したのだ。

「分かったか? この法律は、お前の身に起こっていることは、日本国に住む日本国籍を持った日本国民である若年無業者(ニート)全てに適応され、今日から守らなければならない『義務』なんだよ」

 何故なら、ニートも日本国民だからだ。そして日本国民は、法律を守らなければならない。そのように、自ら法で縛られることを望んでいるのだから。

「なんだよ、それ。ふざけるな! 今日から施行されて、何でこんなすぐにお前らが、お前らみたいなのが来るんだよっ!」

 武司の疑問に、螢樹とアンリが答える。

「もちろん、あなたのご両親がこの法律施行前からお前の分の年金を納めていたからです」

「アナタだけではなく、他のニートがいるご家庭も、同じように年金を納めてもらっていマス!」

 自分の子供(ニート)を特別国家自衛官にさせるための必要な書類は既に役所に届けられていて、日付が五月一日になった瞬間に受理される手筈になっている。

「この法律が公布されてから俺たちの国民への周知活動が功を奏したのか、思った以上に申請が多くてね。初日の、しかも日付が変わったタイミングで『送迎』されるお前は運がいい」

「いいわけあるかっ!」

 武司が、吼えた。

「何で俺なんだ? 何で俺のところになんて来たっ! 他にも申請が来ていたのなら、何で他のやつらのところに行かなかったんだよぉぉおお!」

 興奮状態となった武司を危険と判断したのか、螢樹とアンリが自分の銃に手をかけた。

 だが、二人が銃を抜くよりも先に、俺は言葉を紡いでいた。

「事故を、起こしてしまったからさ」

 そもそも、俺に危険が迫っていたとしても、彼女たちが銃を抜く必要はまったくない。何故なら俺は、押さえつけられた武司が起き上がろうとした時に抜いた銃を、まだしまっていないのだから。

 俺はその銃を、武司の額に押し付ける。

「……事故?」

 自分でも武司を撃ちたくないと思ってはいたし、螢樹にも武司を撃たせないようにした。

 だが、必要があれば、俺は撃つ。

「ニートは全員引きこもって、自分の部屋(車)の中でレースをしているのさ。毎日毎日、どこまで引きこもり続けれるのか(スピードを出し続けられるのか)のチキンレースをな。そしてお前は今日、引きこもりすぎて(スピードの出しすぎで)交通事故を起こしてしまったんだよ。連れて行け」

 銃を下ろし、それでもいつでも抜いて撃てる状態の俺の言葉に螢樹とアンリは頷くと、武司を引っ張り、部屋の外へ、家の外へと連れ出そうとする。

「何だよ、これ。こんなの、こんな法律、酷いじゃないかっ!」

 引きずられながらも武司は俺に振り向き、怨嗟の叫び声を上げる。

「差別だ! こんなの、ニート差別だっ! 許されていいわけない。こんな非道、許されていいわけないだろっ!」

 体を揺すって武司は抵抗するが、そんなもので螢樹とアンリを振りほどけたりはしない。

「出ない! 俺は部屋を、家から出ないぞ! 出るなら、ニートを辞めるなら、こんな形じゃないんだ。もっと優しくて、可憐で、こんな、こんなやつらじゃないんだっ!」

「隊長!」

「ムヘン!」

 だが今は、誰も銃を構えていない。だからこそ、螢樹とアンリは俺に抜けと言っている。撃てと、言っている。

 俺はその二人の部下の申し出を、首を振って拒否した。その上で、そのまま連れて行けと、俺は二人に顎をしゃくって促す。

 銃で撃つ必要などないと、既に俺には分かっていた。

「俺は、俺たちは、ニートは、ただ邪魔にならないようにしていただけじゃないかっ! 家に引きこもって、耳をふさいで貝のように黙っていただけじゃないかっ。それなのに、こんな扱いあんまりだ……」

 武司の言葉が徐々に弱々しくなり、震えていく。

「就職活動に失敗した俺なんかが社会に出たところで、何の役にも立つ分けない。だから、他の誰かに迷惑にならないようにしていたのに。何もしないことを、自分から選んだのに……」

 誰かの迷惑になりたくない。

 武司のその慟哭は、ひょっとしたら全てのニートの気持ちを代弁していたのかもしれない。

 誰かに迷惑をかけるぐらいなら、自分からその誰かとのつながりを絶って、迷惑がかからないようにする。

 誰かを傷つけるぐらいなら、誰も傷つけないように引きこもることを選んだ、何もしないことを選んだニートは、ひょっとしたら誰よりも心の優しい人なのかもしれない。

 でも、

「何もしなかったからだろ。お前が今、こんなことになっているのは」

 その誰よりも心の優しい人を、俺は言葉の弾丸で貫いた。

「……は?」

 そう俺に言われることは想定していなかったのだろう。さっきまでとは違い、武司ははっきりした口調で俺に食いついた。

「だって、何もしなかったんだぞ? それなのに、こんな酷いことされるなんて、あんまりだろっ!」

「お前が『何もしない』ということを選択したんだ。それを選んだ責任を、お前は今取っているのさ。口を閉ざした貝だって、魚のような捕食者には食べられるだろ?」

 人間のお前だって、貝を食ったこと、あるだろ?

 武司のディスプレイに表示されていたのは、ネットの掲示板のスレッドの内容だけじゃない。そのスレッドに書き込むための投稿フォームも、一緒に表示されていた。

 そのフォームには武司が書き込もうとしていた、ニートを擁護するために他者を誹謗中傷する内容が書かれている。黙った貝も、どうやら筆談はするらしい。これでは、黙る意味がない。

「クソッ! ふざけるなっ!」

 いよいよ部屋の外に出ようとするところで、武司の抵抗が一段と激しくなる。だが、それは見かけだけ、声を張り上げているだけ。事故を起こした被害者(武司)は、変形した車(現実)に挟まれ、逃げることは出来ないと理解しているのだ。

「こんなの、こんなの人間狩りだ! ニート狩りじゃないかっ!」

 それでも、螢樹とアンリは着実に武司を部屋の外へと連れ出した。その途中で、武司は自分の両親とすれ違う。

「おい! お前らも、俺の親なら止めろ! 俺の親なら、俺を生んだ責任とって、最後までちゃんと育てろよっ!」

「すまない。これもお前のためなんだ」

「分かっておくれよ、武司」

「分かるわけねーだろっ! ふざけるなっ! クソジジイ! クソババァ! ぶっ殺してやる! 必ず、ぶっ殺してやるからなぁぁああっ!」

 自分の息子に罵声を浴びせかけられ、菜々さんが涙を拭った。

「昔は、素直でいい子だったのに。どこで間違えたんでしょうか。私の育て方が悪かったんでしょうか……」

 ハンカチで目頭を押さえた菜々さんの手には、色あせた古い写真が握り締められている。写真にはランドセルを背負った小さな男の子と、撮ったのは春だったのか、満開の花を咲かせた、しっかりと根を張った一本の桜の樹が写っていた。

 あの桜の樹に、俺は見覚えがあった。この家に植えてある、桜の樹だ。ということは、写真に写っている男の子は武司か。

「あまり自分を責めるものではないよ、母さん。大丈夫。武司はきっと、やれば出来る子だ。きっかけがあれば、武司はまた頑張れる。そのきっかけが、この特別国家公務員法なんだ。だから私たちは、武司を信じて、帰ってくるのを待とうじゃないか」

「お父さん……」

 本格的に泣き始めた菜々さんを、大貴さんが抱きしめる。その光景を見届けながら、俺も武司の部屋を後にした。その途中で、棚に収められていたアニメのタイトルが見えた。その中に二つ、俺は見覚えのあるタイトルを見つけた。

 一つは、引きこもりの主人公を、ある美少女が訪ねてくる話。武司がこんな形じゃないと叫んでいたのは、いつしか自分にもこんな展開があると夢見ていたからなのだろうか?

 だとしたら、夢の見すぎだ。そんな現実あるわけない。

 二つ目は世界の争いをなくすため主人公が世界の敵、『絶対悪』となり、最後に自分を殺させることで世界をハッピーエンドに導こうとする話。俺は、このラストがどうしても納得できなかった。この話を思い出す度、こう思う。

 何故、死んでしまったのだ。

あの主人公は、『必要悪』は、最後まで生きていなければならなかったのに。

アニメの内容を思い出していると、一階に連れて行かれる武司の声が、階段の下から聞こえてきた。

「嫌だ……。働きなくない! 家の外に出たくない! よせ。やめろ。やめてくれ! 嫌だ。嫌だぁぁああああぁぁあああ!」

 武司の涙声を聞きながら、俺は廊下にある窓のそばに移動した。アンリを照らしていた、月明かりが入り込んだ窓だ。

 窓際に来たことで、ここからあるものが見えることが分かった。

「助けて! 助けてよぉおお! お父さぁあん! お母さぁぁああぁぁあん!」

 菜々さんの持っている写真とは違い、花びらを全て散らした桜の樹が、ぽつんと一本だけ庭に棒立ちになり、寂しそうに夜風に揺れていた。


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