15センチのリンケージ

しかも・かくの

第1話

 朝か。

 木須きす三日月みかづきはうっすらと目を開いた。カーテンの隙間から洩れる光が、夢の残りを少しずつ消し去っていく。けれどベッドはまだ三日月を離してくれそうにない。

 もう一度身を沈めようとした少年の耳たぶを、その時甘やかな囁きがくすぐった。


「おはようございます、ミカヅキくん」

 三日月は枕に頭を預けたまま横を向いた。純情可憐な少女が微笑む。光沢のある黒い髪。柔らかそうな頬。仄かに紫がかった優しい瞳。小作りな口元が少しはにかんで、だけど真っ直ぐに三日月のことを見つめている。


「おはよう、スミレ」

 三日月は微笑みを返した。自分にとってこの世界で一番愛しい相手。いつでも傍にいてくれる。文字通り、おはようからおやすみまで。幸せに包まれながら目を閉じる。


「おやすみ」

 きっと素敵な夢を見られるだろう。

「あ、寝たら駄目です!」

「あと五分だけ。お願い」

 高くなった声に三日月は首を竦めながら、しかし掛け布団を引っ張り上げた。


「もう」

 膨れるスミレ。だけど心配はいらない。怒り出したあげくに、乱暴に揺すり起こしたりなんてする子じゃない。安らぎの時間はまだ続く。

 ミルク色のまどろみが、心の縁を越えて忍び入る。

 けれど小さな見張り番は、健気にも役目を果たした。


「ミカヅキくん、もう五分経ちましたよ」

 控えめながらも芯の強い響き。三日月も無視はできない。

「分ったよ」

 ちゃんと聞こえるように返事をする。スミレが黙ったのはわずかの間だけだった。


「分ったよ、じゃありません。ちゃんと起きてください。学校に遅刻しちゃいますよ」

「だってスミレと一緒にいたいんだ。二人だけで誰にも邪魔されずにさ」

「ミカヅキくん……」

 スミレは瞳を潤ませる。今にも感動のままに、くちづけをせがんできそうだ。


「……なんて、そんな嬉しいこと言われてもごまかされませんからね。早く起きないと怒りますよ」

「どうしてそんなに意地悪するんだよ。俺のことが嫌いなの?」

「そんなの、大好きに決まってるじゃないですか」

「だったらさ」

「だーめ、です。好きだからちゃんとしてほしいの。お願い。分って?」


 三日月は吐息をついた。スミレは自分のために言ってくれているのだ。わがままはほどほどにしておこう。

「あと五分だけでいいから、スミレと寝てたい。そしたらちゃんと起きるから」

「しょうがないミカヅキくん。約束ですよ?」

「スミレは優しいから好きだよ」

 困り顔のスミレもかわいい。三日月はかりそめの楽園に戻った。そして。


「もう五分です」

 時は無情だ。どれだけ強く願おうと、決して歩みを止めることはない。

「約束しましたよね?」

 けれど人には心がある。想いが通じる。望む気持ちを分ってくれる。


「ミカヅキくん?」

 三日月の狸寝入りにスミレは呆れた気配だ。だけど学校なんて退屈なだけだし、今日はこのままスミレとベッドの上でのんびりと過ごしたい。

 スミレだってそう思うだろう?


「起きろーーっ!!」

「うわぁっ!?」

 鬼がいた。清楚な少女の面影は、次元の彼方に失せていた。頭には長く太い角が生え、眼は鋭く吊り上がり、耳まで裂けた口には反り返った牙が覗く。


 心臓が飛び出しそうな気分で跳ね起きると、三日月は今にも喰らいついてきそうな鬼を払い除け、勢いまかせに放り出した。

「きゃっ」

 床に物が落ちる音とともに、恐ろしい妖怪が発したとはとても思えないような、かわいらしい悲鳴が上がる。三日月は我に返り、急いでベッドから身を乗り出した。


「ごめんスミレ、大丈夫?」

 拾い上げてすぐに状態を確かめる。ぱっと見では特に疵などは見当たらない。変なところを打ったりして、中身に問題が出ていなければいいのだが。


「もう、ミカヅキくんってばひどいです」

 15センチの少女がプンスカとこちらを睨む。

 PD(Personal Device)の画面は、さっきまでの顔のアップではなく、全身像に変わっていた。声と表情ばかりでなく、仕種でも怒ってるアピールをしたいのだろう。片手を腰に当て、もう片手の人差指を突きつける。


 対して三日月はほっとしていた。どうやらどこも故障などはしていないみたいだ。

「だからごめんって。でもスミレだって、あんな起こし方はひどいよ」

「なるべく起こしてって頼んだのは、ミカヅキくんですよ。スミレはその通りにしただけです」

「そうだっけ?」

 三日月はそらとぼけた。


 スミレにはPDのルート権限を付与してあるから、「もっと寝かせて」みたいな、いい加減な指示なら、無視することも可能だ。三日月にとっての優先順位を、自律的に判断したうえで動作する。

 だが上辺だけでも所有者の意思に逆らうのは、PDの組み込みAIとしては辛いらしい。


「嘘つきで怠け者のミカヅキくんなんて知りません。スミレに叱られたいんですか?」

 三日月を責めているはずなのに、かえって自分が泣きそうにしている。


 ちょっとじゃれてみたかっただけで、スミレを傷つけるつもりなんてない。PDを手にしたまま、三日月はいそいそとベッドを下りた。

「ほら、ちゃんと起きられたよ。君のおかげだ。ありがとうスミレ、大好きだよ」

「スミレもですよ、ミカヅキくん」

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