地球誕生とコンビニ寄り道

タルト生地

第1話

 ある日の仕事終わりに俺、水沢は先輩の吉岡さんから説教されていた。

 原因は資料の作成ミス。会議で使う資料のページが抜けていたのだ。

 先輩がなんとかカバーしてくれたから良かったものの大ピンチになるところだった。


「ったくお前はー。そういう小さなミスがいつか大失敗に繋がるんだぞ!」


「す、すみません……」


「今回は俺が一応用意していたからなんとかなったけど次はわからないんだからな!」


「はい……すみません……」


「すみませんばかり言って! わかってんのか!」


 先輩が苛立ち、怒鳴る。腕を振り上げ、机に向かって振り下ろした。


 そして、


 腕が机をすり抜けた。


「……は?」


「……え?」


 何故か緊張したような、ピリついた空気が流れる。


「……え? なんですか先輩? 手品? 机叩くと見せかけてー。みたいな? 和ますやつですか?」


「いやいやいや、知らない知らない。怖い怖い怖い。え、なにこれ? なにこれ?」


「いやいや知らないってなんですか、机すり抜けておいて。何やったんすか今。」


「いや知らないって! 何これ! 嫌だ怖い何これ!」


 大人が2人で訳のわからない状況にパニックを起こした。

 俺は先輩が何かしたんだろうと騒ぎ、先輩は俺が何かしたんだろうと騒ぐ。

 俺が知らないと言うと、先輩も知らないと言う。

 2人きりの会議室は未曾有の大混乱に陥っていた。


「いやだっておかしいじゃん! すり抜けてんじゃん! 何かしてんじゃん!」


「おかしくないって! いやおかしいんだけどね! いやもうわけわかんない! 何この状況! どしちゃったの俺の腕! いやああああ!」


 気づけば俺は敬語すら忘れるくらいのパニックに陥っていた。先輩は先輩で乙女チックな部分が出てきていた。


 大混乱の中、俺たちの背後の会議室の扉が開いて誰かがやってきた。


「ちょっと、何やってるんですか。廊下まで響いてますよ。」


 入ってきたのは同期の谷口だ。常に冷静な理系男子。この男なら頼りになるかもしれない。


「聞いてくれよ谷口さん!先輩の腕がすり抜けたんだけど何も知らないわけねぇよな⁉︎」


「いやいや知らないって! 知らないの! すり抜けるわけないもん! 無理だもん!」


「落ち着いてください。ゆっくりわかるように説明してくださいよ。」


 さすが谷口。冷静だ。肝が座っている。きっと戦場で生き残れるタイプだ。信長が唯一恐れた男のメンバー入り濃厚だ。

 そこで俺たちはありのままを話した。俺が何も仕込んでいないこと、先輩が何も仕掛けていないこと、空振りなどではなくすり抜けたことなどだ。


 全て話し終えたところで谷口は納得した様子を見せた。


「なるほど。そういうことでしたか。」


 やはり彼は頼りになる。腕が机をすり抜けたことにある程度納得できる男なのだ。メンタルの強さが尋常じゃない。時が時なら大将軍になっていたであろう男だ。そんな彼に俺たちは説明を求めた。


「ど、どういうことなんだ?」


 ふぅ、と短く息を吐き答えた。


「難しいことではありません。これはただの奇跡です。」


 バカにされているのだと思った。しかし谷口は淡々と続けた。


「文系のお二人には難しい話なので詳しいことは省きますが、量子力学というものすごく小さな世界の考え方によると、ありえないことではないのです。」


「ますますわからん。どういうことなんだ?」


 先輩が問いかけ、谷口が答える。


「例えばです。先輩、ピンポン球を10m先のグラスに投げ入れることは可能でしょうか?」


「そりゃあまぁ何度かやればできるんじゃないか? そういう動画もたまに見るし。」


「そうですね、可能です。最適な強さと角度で投げれば入るでしょう。では水沢さん100mでは?」


「それもまぁ…可能だと思うなぁ。めちゃくちゃ何回もやれば。多分。」


「そうです。可能です。これも最適な強さと角度で投げれば。」


 なんだか外国の愉快な奴らが好きそうな映像の話をし始める谷口。

 彼の話はまだまだ続く。


「では難易度をグッとあげて、上空からパーツを投げて学校のグラウンドでプラモデルを完成させることは?」


「そんなの無理に決まってるじゃないか。ねぇ先輩。」


「そうだな。それは流石にありえない。」


「そうでしょうか? 最適な強さと角度とタイミングで投げた場合どうでしょう?」


「そりゃたまたま風とか角度とかがいい感じになればありえなくはないのかもしれないけど……」


「そうです。ありえます。確率は0に近いですが0ではないんです。」


 屁理屈のような理論だ。いまいち納得できない。

 街中でいきなり俺が全裸になってもたまたま誰も見てなくて通報も逮捕もされなかった。なんてありえない。


「もっと実感しやすく言うと、地球人みんなでジャンケントーナメントをして、水沢さんが優勝する確率は0でしょうか?」


「多分無理だろうけど……0ではないかな。」


「つまりそう言うことです。確率が0じゃないことは、時間や回数なんかの制限がなく何度も何度も試したら起こりうる。ってことです。」


 随分訳のわからない話のようだがなんとなくわかった。

 あたりが1%の確率のくじでも100回引けば1回くらい当たるし、0.1%でも1000回、0.000001%でも1億回引けば1回くらい当たると言うことらしい。



「そしてさっき言った量子力学では、振り下ろした腕が机をすり抜ける可能性も0に近いがあり得る。と言われています。」


「つまり俺の腕は……」


「そう、何百億回やっても起こらない程低確率のことを一回でやってのけたんです。つまりこれは奇跡です。」


「な、なるほど……むちゃくちゃな奇跡が起こったのか……どうせなら大人数の前で起こしたかったな。」


「そうですね。先輩。とりあえず、防犯カメラのテープもらえるように交渉しましょう。」


 大宇宙の奇跡の映像だ。欲しい。まぁ無理ではあるだろうけど。


「ちなみに机をすり抜ける確率は、地球がもう1つ誕生する確率、部品をプールに投げ込んで水流だけで時計が組み上がる確率なんかと同じだと言われています。」


「と、いうことは宇宙にもう一個地球が生まれる代わりに俺の腕は机を通り抜けたのかぁ。」


「俺がアイドルになってバカ売れするのより奇跡かな?」


「かもね。」


 これは対応に見せかけた無視だ。理系は平気でこういうことしやがる。


「なんだか今日は最後にどっと疲れた。もう帰ろう。あ、水沢、もうくだらないミスするなよ。」


 そしてそのまま俺たちは会社を出た。

 いつの間にかの普段通りになった雰囲気に少し違和感があった。

 それにしても生命の多様な美しい惑星の誕生の代わりに変な手品もどきを見たというのは複雑な気持ちだ。説教はもうふんわりとしか頭に入っていなかった。


 建物を出ると静かに雨が降り始めていた。


「うわ、タクシー拾おうかな……」


「お、谷口。駅までなら車で送ってやるぞ。」


「本当ですか! ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて。」


「水沢は? どうする?」


「俺は歩いてもすぐの距離ですし、酷くなったら途中で傘買えばいいんで大丈夫です。」


「そうか? 風邪引いたりするなよ?」


「ありがとうございます。それじゃあまた明日。」


 こうして谷口と先輩は車で駅へ。俺は自分の家へむかって走り始めた。奇妙な1日だった。







「…………マジか。」


 15分後、家の玄関に一滴も濡れず、傘も持たずに俺は立っていた。

 もう1つの地球の誕生とコンビニへの寄り道はまた今度のようだ。





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