怖がりな竜の恋episode2

 次の日の朝は、昨日とは打って変り、激しく打ち付ける雨音で目が覚めた。雨音は嫌いじゃない。木の葉に落ちた雫が、ぽつりぽつりと落ちている音を聞いていると眠くなってくる。だが、今日の雨音は、恐怖を駆り立てるようなそんな音だった。

 私は、怖くなり両腕を摩りながら横にしていた体を起こす。テーブル代わりの木箱の上に置かれている花瓶の花は萎れていた。

 竜は鼻が良く効く。遠くからでも、花を持ってやってくるあいつの匂いも分かるし、人の家で勝手にサンドウィッチを作るいい匂いも分かる。だから、萎れてしまった花からする悲しい匂いもよくわかった。

 そして、それに混ざりじっとりと香る血と鉄の匂いも――

 体が硬直し、心臓が激しく脈打ち、歯が音を立てる。これが、恐怖から来ているものというのはすぐに分かった。

 一度、恐怖を認識してしまうと、竜としての感覚が研ぎ澄まされていく。戦争の嫌な臭いを感じた次は、雨音に混ざり聞こえる銃声と悲鳴だった。

 女性や子供の悲鳴、男性の怒号、そして変に途絶える人間の声――気が付いたときには、詰まる息を吐き出す勢いに任せ立ち上がり、雨の中へと飛び出していた。立ち上がるとき、テーブルの上の花瓶が倒れ割れた。でも、そんなこと気にも留めず、ただ喧騒が響く方――私を神と崇拝する村へと走った。


 辿り着いた村は想像を絶するものだった。

 人間を嫌い、接触を避けていたといっても、村くらい私でも想像ができる。老人が麻の服を着て農作業をし、子供たちが両親の手を握りながら森の中を探索する、家の中では大きなテーブルを家族で囲み、他愛のない話で笑いながらご飯を食べる。王都よりは断然劣るが、王都にはない平和な空気が村には流れている。

 それが、深緑色の軍服に敵を示す紅いマークを付けた男たちが機械的な表情で銃を構える。後ろでは家が燃え、泣き叫ぶ子供の髪を兵が掴む。

 村人が農具を掲げて、申し訳程度の抵抗を見せるが、虚しく殺される。

 私は、そんな光景を遠く離れた木の後ろから見ていた。

 ――嘘だ。

 声を漏らす。

 晴れていた日に、優しくしてくれる少年兵とちょっと遅い朝ご飯を食べ、また明日会おうと約束をしただけなのに、こんな残酷な未来が待っていたなんて考えたくもなかった。

 足が震え、座り込んでしまう。

 その時、家の中に隠れていた少年だろうか。五歳くらいの男の子が必死に涙を堪えながら兵士の1人に連れてこられ、銃を構える男の前に投げ飛ばされる。

 私は、声が出なかった。恐怖ではない。恐怖よりも驚愕と絶望の方が勝ってしまったのだ。

 男の子に銃を向ける返り血で血だらけになった金色の髪の少年。

 

 ――私は、こいつを知っている。


「グレア! やめろ!」

 反射的に声を荒げてしまった。

 グレアを含む、4人の敵兵が私を見る。男の子は、守り神である私を見た安心感からだろうか声を出して鳴き出す。

 恐怖を悟られないよう、深呼吸をして一歩前に出る。

 嫌に雨が私に打ち付ける。

「グレア……何をしているんだ」

 グレアは、何も答えない。

「はは……銃なんて捨てろ。 今日も、サンドウィッチを作ってくれるんだろ?」

 やはり、グレアは何も答えない。その代わり、周りの兵士たちが大声で笑った。

「馬鹿なドラゴンだ。 人間に騙されるなんてな」

 兵士の一人が無言のグレアの肩に手を回す。

「弱虫のお前は、顔だけは整ってるからな。 女のドラゴンをたぶらかすくらいじゃなきゃ国に貢献できないもんな!」

 グレアは、男の声にも何も反応せず、ただ俯いていた。雨のせいで、私の大好きな金色が汚く見えた。

 肩に手を回す男が、顎のあたりをもう片方の手で撫でながら何かを考え、口に出した。

「よし、グレア。 あいつを殺せ」

 男の人差し指は、確かに私を指していた。

 グレアが、ゆっくりと顔を上げる。疲れ切った青い双眸が、私を捉え、小さく笑った。悲しそうにも見える微笑みだ。

 そして、グレアはゆっくりと銃口を私に向け、こういった。

「もう、終わりなんだよ。 こうすることでしか僕は、僕を表現できない。 楽になりたいんだ」

 私は、時間をかけて彼の言葉を飲み込み答えた。

「そうか……わかったよ」

 口に入った雨がとてもしょっぱかった。

 私を「綺麗だ」と言ってくれた男に「ありがとう」と言えなかったことが苦しかった。

 最後に、彼を楽しにしてあげたのが、私の竜の手だったことが憎かった。



 どのくらいの時間が経ったのだろう。雨はすっかり上がり、昨日のような穏やかな晴天が頭上を飾っていた。

 焼けた村に人の姿はない。兵士も、村人も、涙を堪えていた勇敢な男の子も。

 いるのは一匹の血に染められた竜の鱗を持つ人間とその腕に抱かれ、だらりと横たえる金色の髪の少年だけだ。

 誰もいない森の奥、嗚咽の混じった声で「好き」と聞こえた気がした。

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