弱虫な兵士と怖がりな竜

成瀬なる

竜の見ていた世界

怖がりな竜の恋episode1

 暗い洞窟の奥まで伸びる太陽の光が、私の身体をぽかぽかと温める。目を閉じていてもそれを超えてくる白い光は苦手だ。だけど、心地いい感じは悪くはない。

 何か手ごろな物を抱きしめたくなった。

 ぼんやりとした意識の中で目を閉じたまま手を伸ばす。何かを掴んだ。弾力はあるけれど、表面はツルツルとしていて硬く、ひんやりと冷たい。

 私は、それが何なのかを知っている。

 もうひと眠りしよう、そう胸の中で呟いて、自分の<尻尾>を抱き寄せ、顔を埋めた。


 どれくらいの時間眠ったのだろう。抱き寄せすぎて痺れてしまった尻尾を慎重に動かしながら体を起こす。

 すると、鼻を擽る柔らかい匂いが、寝ぼけた頭に危険アラームを与え、私の目は冴える。一歩後ろに退き、爪を立てながら洞穴私の住処の入り口を見た。170センチくらいの人影がこちらを見ている。逆光で顔までは分からない。でも、私は、そいつが誰で、その柔らかい匂いが何なのかも十分に理解ができた。

 だからこそ、警戒するのだ。

「やぁ、おはよう。 ドラゴンさん」

 <彼>は、何の躊躇もなく、私の住処に足を踏み入れ、椅子代わりの切り株へと腰を下ろす。そして、テーブル代わりのその辺で拾った木箱の上に置いてある空き瓶へと柔らかい匂いのする<花>を飾り、もう一度「おはよう」と微笑んだ。

 私は、出来るだけ嫌みな表情を作り言った。

「来るなと言っているだろ、グレア……殺すぞ」

 殺す、という言葉を言うのに震えた。もちろん、そんなことをするはずもないし、出来るわけもない。それを知っている彼――深緑の軍服に、金色の髪、病的に白い肌と細い腕、青空のような青い目のグレアは、怖がる様子はない。

 そして、嫌味みたいにこんなことを言う。

「君は、優しいね。 毎回『殺す』と言っているけど僕は、こうして生きている」

「うるさい、ここで殺したら、私の家が汚れるだけだ」

 そっか、と言って微笑み続けるグレアには不快感を感じる。そんな彼を置き去りにして、外へ出て、近くの滝つぼへと行った。

 森の奥にあるそこは、近くの村人が神聖な場所として誰も近づかない。だから、水浴びをするのには丁度いい。でも、私の水浴びをする滝つぼは、本当にただの滝つぼだ。神秘的な力も、昔から伝わる神話があるわけでもない。

 じゃ、どうして村人たちは神聖な場所だというのだ。

 その理由は、私が訪れるから。

 竜のような尻尾と飛べやしない飾り物のような翼、人間の肌と混じる硬い鱗に、ちょっと念を込めれば鋭い爪を生やした竜の手になる両手を持つ――それが、私だ。

 竜の血を受け継ぐ村の守り神である者、それが私なのだ。

 太陽の光を受けて、鱗が滑らかに光る、それに竜の手をなぞるように滑らせため息をついた。

 私は、特別な力があるわけでも、魔法が使えるわけでもなければ、普通の人間よりも弱い。肉体的でなく精神的に。でも、それを知らない彼らは、私を神と崇めている。彼らだけでない。今、この世界中で、私に歯向かおうとする者はいない。

 私の弱さを知られてしまったら、私は死んでしまう。だから、隠さなくてはいけないのだ。

 滝に打たれるのを止め、私は、家へと戻った。その途中、とてもお腹が減る匂いがして、少しだけ足を速めた。


   *


 肉を焼く香ばしい香りは、竜としての本能を駆り立てるように腹の音を大きく鳴らす。洞穴の入り口の手前、ご機嫌な鼻歌に顔を顰めてから、大きく息を吸い、止める。こうすると、お腹が鳴らないような気がするのだ。気がするだけだ。

 竜の血を継ぐ私が、人間に肉をねだるなどあってはならない。それは、私の弱さをさらけ出すことにも繋がる。

「おかえり、ご飯できてるよ」

 息を止めているのを悟られないよう、わざと意地悪に鼻を鳴らし、切り株に腰かける。すると、いつもグレアが持参する白い皿の上にこんがりと焼けたベーコンと半熟の目玉焼き、新鮮でみずみずしいレタスを挟んだサンドウィッチを綺麗に盛り付け、私の目の前に置く。そして、いつものようにグレアは、私の正面に座り持参した水筒に入れたコーヒーをコップ型の蓋につぎ微笑みながら一口飲み「食べないの?」と尋ねた。

 私は、なんだか泣きたくなった。息を止めているのが苦しくなったからだろうか、お腹が減っているからだろうか。

 それとも、ある日、突然現れて、私にちょっかいをかけてくるグレアが兵士であって、今の世界が戦争の真っただ中だからだろうか。

 近くの木に止まっている小鳥が小さく鳴いた。それに答えるように、別な鳥が小さく鳴く。

 息を止めているのが馬鹿々々しく感じて、私は、目の前に出されたサンドウィッチを無言で齧る。

「おいしい」

「僕の自慢は、料理だからね」

 頬張ったサンドウィッチをゴクリと飲み込み聞いた。

「グレアは、どうして私に構うんだ。 こ、殺されるかもしれないんだぞ!」

 グレアは、きょとんとした顔をした後、口を押さえて大きな声で笑いながら言った。

「ドラゴンさんは、僕を殺したりなんかしないよ。 それに、好きな人の近くに居たいと思うのは普通のことじゃないか」

 私は、妙に顔が熱くなり、サンドウィッチをこれでもかと頬張った。

 好きなんて感情、ドラゴンには分からない。もちろん、私だって分かるわけがない。守りたいと思うことが好きなのか、近くに居たいと思うことが好きなのか、死んでほしくないと思うのが好きなのか――それとも、その全部が好きなのか。

 できるだけ人間を避けていた私が、グレアと出会ったのは数か月前のことだ。今もだが、今以上に、初めは彼を蔑み、憎み、嫌っていた。私のたった一人の平和な生活に何の躊躇もなく踏み入れる人間を嫌っていた。

 人間は、今まで何度も私を傷つけてきた。少し寝れば治るような風邪が流行れば私のせいにされ、作物を育てる時期になると豊作を願い神と崇める。都合よく使われ、要ら無くなれば切り捨てられていた。

 だが、グレアは違った。

 私の異様な容姿を「綺麗だ」と言ってくれたのだ。あの時は、本当にうれしかった。

 頬張ったサンドウィッチを咀嚼する間、そんなことを考え、飲み込んでから言った。これは、私とグレアの共通点みたいなものだ。

「最近は、大丈夫なのか?」

「何がだい?」

「とぼけるな! グレアもその容姿だから蔑まれているのだろう」

 グレアは参ったとでも言わんばかりに乾いた笑いを出し、頭を掻く。手を上げると袖がめくれ、腕に規則正しく並ぶ火傷の跡が痛々しかった。

「まぁ、仕方ないさ。 集団で生きる以上、異物を取り除くのは当たり前のこと。 たまたま、僕の容姿が、その異物だったってことさ」

 そんなことを笑って話すグレアに、私は、何もしてやれなかった。

 だから、私の人間の手を彼の頭においてやり「私は、お前の髪が好きだぞ」と言ってやった。

 グレアは「ありがとう」と言って、いつもみたいに微笑んでいた。

「さ、そろそろ帰るよ。 みんなに怒られてしまうからね」

 グレアは立ち上がる。

「あぁ、気を付けるんだぞ」

 彼の背中を見ているととても弱弱しい背中だと思った。きっと、私の手を竜の手にして鋭い爪をあの白い肌に突き刺せば、彼は死んでしまうのだろう。そんな奴が、戦争で銃を持ち戦っているのだ。

 私は「おい」と叫んだ。

「あれだ……何もしてやれないが、一緒にご飯を食べてやるくらいはできる。 だから、また、明日も来い」

 彼は、一度、びっくりしたように口をあんぐりと開け、その後、嬉しそうに歯を見せながら「もちろんだよ」と言った。

 今日は、いい空だ。爆撃機も戦闘機も飛ばずに、雲一つない水彩絵の具のような青がずっと広がり、時折、気持ちの良い風が吹く。

 これから先もずっとこんな日が続けばいいのにな、なんて夢を小さく呟いた。


 明日見ることになる最悪の世界なんて想像する由もないまま――

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