タイムスリップきなこもち
能登崇
タイムスリップきなこもち
1 東名と新東名ってどっちがいいの?
1
久しぶりに早起きしたので、日光が目に染みる。
「しかし遅いな。もうそろそろ一時間たつぞ」
車の屋根に手をかけながら、腕時計で時間を確認する。今回の旅行の企画者である、前田愛希が遅刻しているのだ。言いだしっぺが遅刻するとはけしからん。
『味噌カツ食べたい』
彼女の一言で、今回の旅行が決まった。味噌カツを出す店なら、探せば近場にいくらでもあるのだろうけど、「せっかくなら本場に行こう」と誰かが言い出したおかげで、「じゃあ名古屋だ」と声が続き、いつの間にか一泊二日の名古屋旅行へ行くことになっていたのだ。俺はその話をしたときに酔っていて、ほとんど覚えていなかった。大学の講義が終わったあとに、参加者の一人、向島星一と会って、急に「来週の名古屋旅行の集合時間だけど、進は朝早くても平気?」と話かけられてから、徐々に思い出した。しかし、宿の予約も済んでいるようなので、いまさら行かないというわけにもいかない。いや、そもそも覚えていなかっただけで、旅行自体には賛成なのだ。計画に一切手を貸さなかったのは気が咎めるが、成り行き上しかたない。
「まあ、アッキーの遅刻はいつものことじゃん。それを考えて少し早目の時間にしたんだし」
ニコニコと笑いながら、星一が言う。今日使うのは彼の車なので、集合場所も彼の住んでいるマンションの駐車場だ。見上げると首が痛くなるようなマンションで、俺なんかは一生かかってもこんなところには住めない。星一は「俺の家じゃなくて、親の家だから」なんて言うのだけれど、親の家なら星一の家だろう。そんな星一も車だけは、「これは俺のだから、自由に使っていいんだ」と気前よく使わせてくれる。今日の旅行のように、持ち主である星一が参加するイベントならともかく、そうでないときでも貸してくれるのは、俺にはちょっと理解できない感覚なのだけど、彼はそれで納得している。いや、納得というよりも、むしろ積極的に貸そうとしているようにも思えた。
星一の車は彼の家には似合わない大衆車で、色も目立たない紺だ。昔から売られている定番の型で、街を歩けば同じ車を何台も見かけるし、レンタカー屋で借りることもできる。高級車に乗らないのか、と冗談交じりに聞かれた彼は、「そういうのは親父だけで充分」と笑っていたし、実際に彼の家では、もう一台高級車を所有していた。
「まあ、アキと出かけるなら、一時間くらいは覚悟しないとね」と坂本英美里が笑う。
「まあ、今日は集合が星一の家だし、埼玉から来るアキが一番遠いんだから、しかたないかも」
星一のマンションは千葉と東京の境にある。大学は都心にあり電車も複数の路線が通っているので、通学時間はそれほどかからないが、大学以外の場所で集まろうとすると、乗り換えが増えて時間がかかるのだ。
「一時間か、そんなに待てないなあ」
「そんなに言うなら、進はこのまま帰ってもいいよ」
わざとらしく怒ったような表情で、英美里が俺を睨みながら言った。旅行の計画は、ほとんど愛希ひとりで立てたらしいので、今回のボスは愛希だ。その愛希を置いていく選択肢はない。
英美里も、この旅行にずいぶんと気合を入れているようで、荷物も一番多かった。「そんなに入らないから、いらないものは置いてったら?」と、言われても「女のオシャレには必要なの!」と聞き入れず、「置く場所がないなら抱えて座るからいいもん」と主張して、星一を困らせている。
予定ではもう一人、村田英人という男に車を出してもらうはずだったのだが、その村田が急な用事とやらで来れなくなったので、無理やり一台に詰め込んだ結果、かなり手狭になってしまったのだ。
「アキ来たよ」と、敷地の外で煙草を吸っていた丹波葉子が入り口の門から顔を覗かせて、呼びかけてきた。
「やっとか」
ため息をついて、車から離れて門へと歩いて行く。ちょうど角から愛希の姿が見えた。両手に大きな荷物をぶら下げながら、
「ごめーん、待ったよね?」
「何を当たり前のことを……」
「いや、いいよ。ほら、早く行こう」
俺の言葉をさえぎって、星一が愛希のカバンを受け取って車に押し込めた。これは優しさなのか、それとも早く出発してしまいたいだけなのか、判断がつかずに、愛希の後ろを歩いてきた葉子に視線を向けたが、彼女はいつも通りの無表情で、さっきまで吸っていた煙草を携帯灰皿に押し込めている。
何はともあれ、これで今回の名古屋旅行のメンバーの六人のうち、五人がようやく揃った。英人は遅れてくると言っていたので、おそらく現地で合流することになるだろう。
早朝出発の予定だったが、かなり遅れてしまったので、すでに空はすっかり明るくなっている。五人乗りの車に定員ぎりぎりの五人で乗り込んでいるうえに、荷物が多いので少し狭い。もちろんトランクにも積み込んだのだが、それでも積み切れない荷物は、座席に置いている。運転席には葉子が座り、俺が助手席に収まった。今日のメンバーで免許を持っているのは、俺と葉子と星一の三人だ。誰がどこに座るかで少し揉めたが、ドライバーの葉子が「助手席には免許持ってる人がいい。進が座って」と言ったので、あとは荷物の多い女性陣が二列目、消去法で星一が三列目に決まった。名古屋までは片道五時間以上かかるので、一時間半を目安に交代しながら運転すると決まっている。計画時点では、英美里も免許を持っている予定だったのだが、教習所の卒業検定に二度も落ちてしまったらしく、未だに仮免のままだ。とはいえ、免許取り立ての英美里に高速を運転させる気は初めからなかったので、あまり問題はない。
運転席に座った葉子は、シートやミラーの位置を調整している。ミラーにはなぜかサンマのキーホルダーがぶら下がっており、それが少し揺れた。星一が言うには「よく覚えてないけど、誰かに貸したときについてきた。海にでも行ったんじゃない?」とのことで、持ち主が分からないまま、捨てるのももったいないのでそのままになっているらしい。
「東名と新東名って、どっちがいいの?」
カーナビを操作しながら尋ねた葉子に、一番後ろの席の星一が即答する。
「そりゃ、新東名でしょ」
「なんで?」
「だって、新しいのと古いのだったら、新しい方がいいに決まってるだろ」
「なにそれー」
星一の意見に、愛希は不満そうだ。
「女房と高速道路は新しい方がいいってか」
「なにそれ?」
俺がついつぶやいた冗談に、愛希が反応する。心なしかさっきの「なにそれ」よりも口調がきつく感じられた。
「ねえねえ、東名をさ、透けてる方の透明と勘違いするのって、あるあるだよね?」
「あー、子供の頃は、そんな勘違いもあったかも」
英美里がはしゃいだ声をだして、幸いなことに愛希はそちらへ反応してくれた。
「で、実際に行ってみて普通の道路でがっかりするんだよな」
「せめてトンネルだけでも本当に透明ならいいのに」
「あっ、トンネル!」
エミリが突然大声をあげた。
「どうしたの?」
「あっ、いや、そうだよね。透明のトンネルとか楽しそう」
「車が走れる透明トンネルは、たぶん世界のどこにもなかったはず」
葉子がカーナビを操作しながら、振り返りもせず答える。
「でもそれって、関東ローカルネタじゃん」
「え?」
「だって俺、岩手出身だけど、東名高速なんて、こっち来てから初めて聞いたぞ」
「それは進がモノを知らないだけじゃないか」
「いやいやいや、関東の地名なら知ってて当然ってのは、東京育ちの驕りだよ」
「驕りだなんてそんな」
愛希が少し呆れたような口調で返してくる。
「そもそも、東名は東京名古屋間なんだから、関東ローカルとは言いきれないんじゃ」
「また、星一は細かいことばっかり気にする」
「えー、細かくないでしょ」
「でも私も東名高速って、今初めて聞いたよ」
英美里の言葉に、星一が唖然としながら言う。
「それはモノを知らなすぎるでしょ」
「だって、高速道路の名前なんて、車運転しないと聞く機会なんてないじゃん」
「いや、帰省ラッシュのニュースとかでさ……」
「そういや、愛希って出身どこだっけ?」
「もういいから、とりあえず車出すよ」
葉子が少し怒ったような声を合図に、ようやく車が動き始める。ガクン、と振動があって、マンションの敷地から出たことが分かった。葉子はいつも通り涼しい顔をしているが、彼女だって、免許を取ってそれほど長くないはずだ。どの程度経験があるのかはわからないが、助手席に座った以上、サポートはしなければならない。
「慣れてるの?」
「ん?」
「いや、運転」
「んー、たまに親の車借りて乗ってるけど、それでも妹迎えに駅まで行くときくらいだから、あんまり長時間運転したことはない」
「大丈夫?」
「さあ?」
「おいおい、安全運転で頼むよ」
星一があきれ顔で言う。
「スピード違反とかしたら、恭一郎さんに捕まえてもらわないとね」
愛希が楽しそうに身を乗り出す。恭一郎さんというのは星一のお兄さんで、今年から警察官になったらしい。星一の家に遊びに行ったときに何度か顔を合わせたことがあるが、星一によく似ていた。人当たりが良くて、俺たちといくつも違わないはずなのに、そうは思えないほど落ち着きのある魅力的な人で、愛希なんかは事あるごとに「あんなお兄さんが欲しい」などと発言するくらい心酔している。
「高速しか走らないし、お兄さんのお世話になるようなことはないから、大丈夫」
歩行者や信号のある一般道より、高速道路の方が簡単だと聞いたことがある。俺も免許は持っているものの、車がないので普段はまったく運転しない。実家に帰ったときに数度だけ乗った程度で、高速道路なんて教習所でやった実習以来だが、そのときのことはほとんど覚えていないので、確信は持てないが葉子が言うのならそうなのだろう。
「高速入っちゃうとコンビニとかないけど、なんか買うものとか大丈夫?」
葉子の質問に、後ろの席から「だいじょーぶ」と揃った声で返事があった。
「下道の方が早いかもしれないけど、ナビに出てる通りでいいよね?」
「うん。変に工夫して迷うより、ナビ通りに行こう」
一応持ってきた地図を広げながら答えるのと、同時に、葉子がウインカーを出して、車線を変更する。高速への入り口の坂を、ゆっくりと上っていく。
「じゃあ、行くよ」
「ねえねえ、これって東名? 新東名?」
「いや、ここはまだ首都高」
「あっ、私首都高なら聞いたことある」
英美里がはしゃいだ声を出す。
「それで結局、愛希の出身ってどこなんだっけ?」
「ヒミツー」
「なんでだよ」
「女の子は、謎が多い方が素敵なんだって」
「それ根拠はあるのかよ」
「昨日、コンビニで読んだ雑誌に書いてあった」
「根拠ないじゃん」
「エミリ、あんまりケータイいじってると酔うよ?」
「んー、酔い止め飲んだし大丈夫」
葉子の運転は快適だった。カーナビがあるので地図をみる必要もなく、助手席に座ったにも関わらず、ほとんど何も役にたっていない。助手席に座ってしまうと、後ろの会話があまりよく聞き取れないので、テンポが速くなるとついていけなくなる。かといって運転中の葉子に話しかけていいものか分からないので、車内の会話に耳を傾けながら、ぼんやりと窓の外を見ていた。
「壁なんて見てて楽しい?」
「いや、全然。首都高って景色が見えないからつまらないね」
「じゃあなんで見てるのさ」
「いいから、前見て運転してよ」
「運転中は前だけじゃなくて、サイドミラーも見なきゃいけないの。そしたら嫌でも君のつまらなそうな顔が目に入る」
「そりゃ失礼しました」
横を見るのをやめて、前を見てみる。ちょうど、緑の案内表示が目に入った。
「さて、いよいよお待ちかねの東名高速ですよ」
わざとおどけて言ってみると、思っていた以上に楽しくなってきた。
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