22 来訪者は高級牛肉とともに?

 柳一がようやく元気になったのに、今度は桜子が熱を出してたおれてしまった。


「オレのせいだ……。やっぱり、桜子に嫌われたとしても、部屋から追い出すべきだったんだ……」


 柳一は激しく後悔して、しょんぼりと縁先えんさきに座って庭をながめていた。


 自分が病気をうつしたせいで、死んだ母と同じように、桜子を苦しめてしまった。


 体が大きい十五歳の柳一ですら高熱に苦しんだというのに、体が小さくてまだ子供の桜子はきっと柳一よりも辛い思いをしていることだろう……。


「オレの……オレのせいで……」


「どえーーーいっ‼ 辛気くさーーーいっ‼」


 突然、菜々子が柳一の耳元でさけび、おどろいた柳一は庭に転げ落ちてしまった。


「な、何をするんだ、菜々子⁉」


 庭からはいあがりながら柳一が怒って見上げると、仁王におう立ちした菜々子が柳一をにらんでいた。


 菜々子は、桜子の看病のために学校を休んでいたのである。

 家事がいっさいできない兄とあわてんぼうで危なっかしいスミレに桜子お姉様をまかせてはおけないと考えたのだが、自分が一番あぶなっかしいという事実は忘れていた。


「お兄様は、いったい、いつまでウジウジしているつもりなのですか⁉ 自分の許嫁が病気で苦しんでいるのに、めそめそしてばかりで、情けないにもほどがあります! どうせ、桜子お姉様が眠っている間に接吻キスでもしたから、風邪がうつったのでしょ? 熱が下がったのなら、ちゃんと責任をとって、桜子お姉様の看病を手伝ってください!」


「き、接吻キス⁉ するわけないだろ、そんなこと! お前は恋愛小説の読みすぎだ!」


「何でもいいから、わたしとスミレが桜子お姉様のおかゆを作っている間、お姉様のそばにいてあげてください! 今、お父様はお医者様を呼びに行っていて(今回は菜々子の命令で人力車をやとった)、お姉様の面倒を見ていられるのはお兄様しかいないのですよ⁉」


「わ……わかった……」


 おっちょこちょいコンビの菜々子とスミレがお粥を作るというのが激しく不安だったけれど、いま桜子のそばにいてあげられるのは自分しかいないと言われて、柳一はコクリとうなずいた。


 ――柳一さんも、わたしや家族のみんなが苦しんどる時、助けてほしいんです。


 桜子が昨晩言っていたのは、このことなのだ。


 今まで、柳一は、桜子や家族から背を向けてきた。でも、そんな柳一を桜子は真心をこめて看病してくれた。いま苦しんでいる桜子を助けなかったら、自分は、大切な人たちから背を向けつづける生きかたを変えられないような気がする……。






「桜子、具合はどうなんだ?」


 柳一が桜子の部屋に入ると、桜子は苦しそうな顔をしながら眠っていた。


「お……とう……さ……ま」


「ん? どうした、桜子? …………寝言か」


 桜子は夢を見ているのか、何やらブツブツと寝言をつぶやいている。


「お父様……お母様……。ミズキ……姉様……。桜子は……がんばって……生きとるよ……。だから……だから……心配せんといて……」


(ミズキ姉様? だれだろう? 朧月夜おぼろづくよ家には、長男の杏平きょうへいさんと長女の桜子しか子供はいないはずだ。故郷にいる年上の友達だろうか?)


 柳一は、そんなことを考えながら、桜子のひたいの汗を丁寧にふいてやり、


「今まで冷たくして、ごめん。これからはもっと優しくなるから……だから早くよくなってくれ」


 祈るような気持ちでそうつぶやくのだった。


「わたしのこと……お空から見守っといてな……」


 桜子の寝言は、まだ続いていた。






「お兄様、桜子お姉様はまだ苦しそうですか?」


 しばらしくして、菜々子とスミレがお粥を持って部屋に入って来た。


「ああ。オレの時ほど高熱は出してはいないみたいだが、まだ苦しそうだ。……ところで、ちゃんとしたお粥を作れたんだろうな?」


 二人の料理の腕前に不安を抱く柳一がそう聞くと、菜々子とスミレは「そ……それが……」と言って泣きそうな顔になった。そして、スミレがふたを開けて、柳一に鍋の中身を見せた。


「な、なん……だ……これは……⁉」


 お粥は、赤色なのか、緑色なのか、黄色なのか、それとも紫色なのか、何だかわけのわからない色をしていて、クラリとめまいを起こしてしまいそうな強烈きょうれつにおいをはなっていた。


「菜々子……。いったい、何を入れたら、こんな色と臭いになるんだ?」


「桜子お姉様に栄養をたくさんとってほしくて、家にあるいろんな食材や調味料をどんどん入れていったら、知らないうちにこんなことになっていて……」


 菜々子が面目なさそうに顔をゆがめ、答えた。


「……とにかく、これを食べさせたら、確実に桜子の病気は悪化する。もう一度、お粥を作り直して……」


 そこまで言いかけて、柳一はやめた。菜々子とスミレにまたお粥を作らせても、結果は同じだろうと思ったのだ。


「困ったな……。オレも料理なんてできないし……」


 柳一と菜々子、スミレの三人は困り果てて、「うーん……」とうなった。


 花守家に来訪者らいほうしゃがあらわれたのは、そんな時だった。


「おーい、桜子! 伊勢牛、持って来たったぞーーーっ‼」


 玄関で何者かが大声でそうさけび、「だれだろう?」とおどろいた柳一と菜々子、スミレは、玄関に向かった。


「あ……あの……。どちら様でしょうか?」


 スミレが、玄関前に立っているおっかない顔の若者にビクビクしながらそうたずねた。


 柳一は、もしかしたら強盗かも知れないと警戒して、菜々子とスミレを守るようにして二人の前に立ち、おっかない顔の若者をキッとにらむ。


 しかし、若者は、無愛想ぶあいそうな顔のままではあったけれど、意外と丁寧な言葉づかいであいさつをしたのである。


花守はなもり家のかたたちですか? オレは、桜子の兄の朧月夜杏平です。……おや? もしかして、君が柳一君か? 桜子が言っていた通り、すごく背が高いなぁ~」


「え? 桜子のお兄さん……?」


 柳一は、去年の春休みに桜子の父・梅太郎に招かれて四日市に来ていたけれど、杏平はそのころ仕事で名古屋に行っていたため、二人は顔を合わせたことがなかったのだ。


「君に栄養のある食べ物を食べさせてあげたいから伊勢牛を届けてほしいと桜子に頼まれて、三重県松阪産の牛肉をたっぷり持って来たんやが……もう元気そうやな。よかったやん」


「それが、実は……。オレの風邪がうつってしまったらしく、今度は彼女がたおれてしまったんです」


「何やって? 桜子が⁉ それは大変や! だったら、桜子に伊勢牛を食べさせよう!」


 妹思いの杏平は血相を変えると、「おーい! こっちに持って来てくれ!」とうしろにいた四人の男たちを呼んだ。


「肉が傷んだらあかんからな。冷蔵箱れいぞうばこに入れて、運んで来たったで!」


 朧月夜おぼろづくよ商会しょうかいの社員の筋肉モリモリな男たちは、ドスーン! と柳一たちの目の前に大きな冷蔵箱を置いた。


 冷蔵箱というのは、現代でいう冷蔵庫みたいなもので、中は氷で冷やしてある。電気式の冷蔵庫が昭和三十年代に普及ふきゅうするまでは、この冷蔵箱で食品を保管していたのだ。


「ちなみに、この冷蔵箱は花守家にプレゼントするわ。持って帰るのが重たいからなぁ」


 杏平がそう言うと、柳一と菜々子、スミレは、


(冷蔵箱ごと牛肉を運ぶなんて、金持ちはだいたんなことをするなぁ……。さすがは貿易会社のあとつぎ……)


 と、あきれた。


 すっかり忘れていたけれど、桜子は貿易会社のお嬢様だったのだ。


「あの……。せっかく、お肉を持ってきていただいて恐縮きょうしゅくなのですが……」


 スミレが恐るおそる言った。杏平は、意外と優しそうな人だったけれど、やっぱり顔が恐いからビクビクしてしまうのだ。


「何ですか? みなさんの食べる分もありますから、安心してください」


「いえ、そういう心配をしているのではなく……。お肉をうまく料理できる人間がいないのです」


 スミレは、自分と菜々子が料理をして、せっかくの高級牛肉を異臭プンプンで不気味な色の激マズ料理にしてしまうことを恐れていたのであった。

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